31-5 Crescent ― 兆 ― ⑤
時間は、凜と美月が豊岡の会社を訪ねたときに戻る。
美月は、凜の後押しもあり豊岡の話を受けることにした。その後、これから先の予定や計画を話していたら、だいぶ時間が過ぎてしまった。続きははまた次の機会にしようということになり、凜と美月は事務所を後にした。
石田から、美月の保護者とも話をしなければならないことがあるので、近いうちに会社から連絡するのでこのことを伝えておいてほしいとのことであった。凜が、デザインの盗作とかはないと思うけど、万が一があったらちゃんと法的手段とれるから安心してね、と美月に言うと豊岡は苦笑いしていた。豊岡が凜の親と知り合いらしいことは、会話の中で何となく美月にもわかった。
帰り際、豊岡が交通費と言って二人に一万円ずつ差し出す。凜と美月は固辞したが、最初だけだから、と豊岡に押し切られしぶしぶ受け取った。石田に、どう見てもパパ活みたいですよ、とつっこまれて豊岡は真顔になっていた。
ビルを出ると、凜はせっかくだからおいしいものを食べに行こうと言って、美月をレストランに誘った。通りをすいすい抜け、ここのスパゲティがとてもおいしいの、と言って、大通りを一本入った場所にあるお店へ入っていった。店内に入ると、ディナータイムの前にもかかわらず結構にぎわっていた。
美月は何がおすすめか凜に聞くと、イカ墨パスタがおいしいとのことであった。美月がそれにしますと決めると、じゃあ私、別のもの頼むから半分こしよー、とうれしそうに言っていた。その笑顔があまりにもかわいくて、美月は思わず見とれてしまった。
スパゲティを待っている間、美月は高校のことを凜に聞いた。
生徒数が多く、クラスメートの名前は多少わかるが、別のクラスとなるともう誰が誰だかわからないほど数が多いことや、教室の移動で休み時間が結構削られることなど、美月が高校に入学したらするであろうことを教えてもらうのが楽しかった。
ふと、美月は、自分が三学期に中学校に行くべきかをチームメンバーに相談した時に話題に上がった、〈ガチャ〉という言葉を思い出した。その話をしたときに、蓮が深く考え込んでいたのが印象的だったからだ。
その場に凜はいなかったので、凜が〈ガチャ〉についてどう考えてるか聞きたくなったのだ。
美月は、こんな話をしたんですけど、どう思いますかと尋ねると、うーんと凜は唸りしばらく考え込んだ後一気に話し始めた。
「確かに、〈ガチャ〉って言ったらなんだけど、生まれた時点で、その人の選択肢が大きく制限されちゃうことは多いよね。
もし戦争やってる場所に生まれれば、子供だって武器持って殺し合いしなきゃいけないこともあるのは現実にあるから。国によっては生まれてこないほうがマシって場合もあると思うよ。生きていると本当に〈ガチャ〉としか言えないことっていっぱいあるけど、生まれた場所って、その人の人生がどうなるかの一番大きい要素の一つだと思う。
ただ、私は思うんだけど、その人の人生で大きな要素は、そうゆう〈外的要因〉が全てじゃなくて、〈内的要因〉って言って、その人が持って生まれた資質も関係あると思う。要は、生物的な遺伝とか何かでその人の性格が決まっちゃうって場合があるみたいなんだよね。
そうなっちゃうと、どんなに家庭環境とかまわりの人間に恵まれていても、先天的に問題がある人間はどうにもならないと思うんだけど。だからまあ、そんなこといったら、〈人間〉てゆう存在はガチャ要素の集合体なのかもね。
生きていく中で、逆らえないガチャがあるのはどうしようもない現実だから、その状況は受け入れるしかないけど、でもガチャの結果をどうするか自分で決められる場合もあるのも事実だと思う。私たちって、何気なく生活している中で、知らないうちにいろんなことを選んでるよね。今注文したスパゲティもそうだし、その前はどのレストランに行こうかっていうのもそうだし。
その中でも一番大切だと私が思うのは、人とのつきあいだと思うな。
出会い自体はガチャかもしれないけど、その後の関係は選べることもあるじゃない。自分に一緒にいて楽しいと思えたり、いい影響を与えてくれる人とつきあえば、自分の人生は、良い方向へ向きやすくなると思うし、逆に、自分に悪い影響を与えるような人と無理につきあえば、人生はよくない方向になると思う。
出会いっていうガチャの結果の中で、自分が惹かれる人だけ残して、嫌なヤツは切り離していけば、気持ち的にはだいぶ楽になると思うよ。
ただ、仕事とかだと嫌なヤツらともつきあっていかなきゃならないこともあるみたいだから、そこをうまく折り合いをつけないとダメなんだけど。
それに、人とのつきあいでもやっぱり避けられないパターンがあるよね。
親もそうだけど、身近なところで言うと、クラスメートとか、学校の担任とか、部活の顧問とか。何かのシステムの枠組みに入ろうとすると、自分の意志ではどうにもならない部分があるのはどうしても避けられないと思う。
ただ、その人たちと関係を選べるのであれば、自分が苦にならない道を選んでいいと思う。
担任やクラスメートが本当に嫌だったら学校なんて行かなくていいと思うし、顧問が嫌だったら部活なんてやめればいいだけの話でしょ。
なんにしても、自分で選んだ人とのつきあいの選択肢の結果が、自分だけじゃなくて、お互いに影響を与えながら、〈今〉って瞬間を積み重ねて時間が過ぎていくんだろうね。
生活してると、いつも何か決めなきゃならないことだらけだし、まるでそうしないと人生って先に進まないようになっているみたい。
そいで、嫌なことがあったり、自分が間違った選択をしちゃっても、私たちはお互いに選択した時間を共有しながら時間が過ぎてるから、いくらそれを戻そうとしても絶対に戻ることができなくなってるの。
要は人だけじゃなくて、この宇宙を一つとした、不可逆的なブロックチェーンシステムみたいなものなのかな。知らんけど。
私が思うのは、ガチャでも運命でもなんでもいいから、自分の出会えた好きな人との時間を一番大切にしていけたら幸せだと思う。くだらないことを話したり、どうでもいいことで喧嘩したり、仲直りしたり。
ちょっと前まで私の周りには、全然そうゆう人いなかったから、その時はもう死んじゃいたいって、ある人に話したの、そしたらそいつ、
〈今っていう時間は、自分がもらって当然なんて思ってたら駄目だ。俺たちはいろんな人のおかげで生かされてるんだよ。今は与えられてるんだ。だから英語じゃ、プレゼントって言葉には、贈り物って意味以外に、今この現在って意味があるんだ〉だって偉そうに言うわけよ。
だから、私にもっと周りの人の気持ちを考えられるようにならないといけないって、自分のことを大切にしてくれる人に感謝しないといけないって。でも、私にはそんな人いないし、生きてても嫌なことだらけなんだけど、どうすんのよって聞いたら、
〈今はいなくても、もしかしたらこの先出会うかもしれないだろ。生きるのが嫌なら死ねばいいと思うのは、自分は何か間違ってる気がする。
理由はいろいろあるけど、生きてるっていうのは、もらったチャンスだと思う。誰がくれたか知らないけど。せっかくのチャンスなら、もらっといたほうがいい。それに、俺は嫌なことがあっても絶対忘れない。忘れてたまるかって思う。悔しい思いを忘れなければ、そんなヤツらに負けてたまるかって、嫌な思いさせたヤツらを見返してやろうって頑張れるからさ。
そんな風に意地を張って生きてたら、たまたま俺のことを本当にわかってくれる人に出会えて、すごく救われたことがあって。俺はアホだけど生きててよかったって初めて思えたんだよ。そんな人今まで数人しかいなかったけどさ〉って言われたの。
だから私が、一生懸命嫌なこと忘れないようにしてると、そいつ酷いんだよ。すごいねー、ってへらへら笑って、
〈自分で言っといてなんだけど、そうゆう考えもどうなんだろうね。嫌いなヤツらのことなんかとっと忘れて、根暗なこと考える暇があったら、昔の思い出でもいいから楽しいこと考えたりしてるほうが、精神衛生上はまともなんじゃないの〉とか言うわけ。しまいには、〈俺、忘れないようにしても、なんかすぐ忘れちゃうんだよな〉だって。
ムカついたから、嫌なこと忘れられないように思いっきり腕に噛みつきまくってやったの。そしたら、〈嫌な過去は変えられないけど、逃げないで頑張れば未来は変えられる〉って歯形のついた腕さすりながら言ってた」
凜は美月に話すというよりどこか遠くに思いを馳せているようであった。
懐かしそうな目をしながら話す凜のその美しい横顔が美月には何故か寂し気に見えたちょうどその時、おいしそうなイカ墨パスタとボロネーゼがテーブルに運ばれてくる。
凜の表情がぱっと変わり、わあ、おいしそう、と今話していたことなどすっかり忘れたように、ニコニコしながらスパゲティを取り皿に分け始めた。
美月は思う。
人生は、出会いで決まる。
それを考えたときに、凜や蓮との出会いは自分の力だけで与えられたものではないような気がした。
全ては、美月に与えられた時間と、周りの人間の運命の糸が複雑に絡み合い、現在にもたらされたものだ。自分は生きていると同時に、生かされていると思う。
自殺を考えた時期は間違いなくあった。
その傷は一生忘れられないだろう。美月をいじめた加害者の生徒は、自分たちの行為に対して反省しているようなそぶりは微塵もみせず、むしろ必死にその行いを正当化しようとばかりしていた。
教員は誰一人として美月をかばうことなく、学校の対応は全て正しかったと主張した。
教育委員会は一方的に美月を悪者にし、美月や家族の訴えを聞き入れようともしなかった。それまで散々訴えてきた被害の内容は、当時学校側からの細かい報告は無く、自分たちは何も知らされていなかったで済まそうとした。
学校側は最後まで、自分たちの対応は正しく、美月たちはそれに納得していたと平気で嘘を貫き通した。あげくの果てには、加害者にも未来があるのだから、今後はその立場を守るべきであると、理解しがたい意味不明な主張をする始末であった。
あの一連の出来事で、美月たちがどれほど苦しめられ、その後もその辛い記憶と共に生きていかなければならないことなど全く気にも留めず、責任逃れと自分たちの正当性だけしか主張しない奴らなんて、この世から全部消えてしまえばいいと思っていたし、今でも強く思っている。
しかしその辛い時間を乗りこえたからこそ、こうやって蓮や凜に巡り会うこともできたのだ。
美月は、運命とか巡りあわせとかは、正直よくわからない。
ただ間違いないのは、蓮や凜がいると、何故かそれだけで自分は勇気づけられるということである。
そして今、生きていて良かった、と心から思えているのだ。




