4 Aloofness ― 孤 ―
こうして高校生活は始まったのだが、自分の本意では無いにしても、学校に通うことになってしまったからには、蓮自身やるべきことはしっかりとやろう、という変にまじめな考えが蓮にはあった。
あわただしく学校のオリエンテーションや各教科のカリキュラムの日程が終わると、ようやく通常の流れ作業のような時間割となり、気づけば四月も半ばになっていた。
蓮は始業式以降誰ともかかわろうとせず、完全に孤立していた。
それは自分が意図的にそう振舞った結果であり、周りの生徒にも彼女がそういった部類の人間であることを周知させることに成功していた。
蓮はとにかく一人で過ごしたいのだ。周囲でクラスの仲のいいグループが笑いながら会話していても気にも留めなければ、うらやましいとも思わない。
最初の数日、何人かは気を使って蓮に話しかけてきたが、彼女が会話のキャッチボールをまともにしようとしないことを察すると、誰も話しかけてこなくなった。
ただ蓮は授業やクラスの活動などのグループワークなどには必要最低限の参加はしていた。極力何も言わず、かといって何もしないというわけではなく、彼女は彼女なりに波風を立てないようにそれなりに気を使っていたのだ。
そんな蓮にくだらないちょっかいを出してきたのは、岡田香織という女子であった。
岡田はどちらかというと派手な性格をしているそれなりの外見をした生徒だ。蓮の見た目もかなり良い部類に入るのであるがそれは素材そのものの良さである。
岡田は素材としては蓮の足元にも及ばないが、メイクと服装と女を前面に出した動きで、女子力を八割増しにすることに成功していた。スカートは始業式から折りこんで短くし、どことなくあか抜けた印象を周囲に与えている。蓮と違って、クラスの話し合いなどでも自分から進んで発言するタイプで、典型的に教員受けがいい生徒であった。
岡田が蓮に目を付けたきっかけはクラスの学級委員決めが原因であった。
その岡田はクラスの学級委員になろうと立候補したものの一票差で別の生徒にその座を奪われてしまっていた。
学級委員の選出は立候補制。女子の立候補は、岡田ともう一名、メガネをかけたおかっぱのいかにも真面目そうな女子であった。複数の立候補がいる場合の決め方は、各候補者が教室の前に出て自己紹介と学級委員の抱負を言い、それを聞いた他の生徒が全員顔を机に伏せて、手を挙げ、投票数で決めるオーソドックスなやり方をしていた。
最初に岡田がスピーチをし続けてもう一人の女子が話をする。二人が話し終えると、担任から席に戻るよう指示が出され、これから投票を始めるので、自分の支持するほうに手を上げるようにと説明をした。岡田は隣の席の今泉という女子に、よろしくねという意味を込めて、目くばせをした。
今泉は岡田の隣の席にいるクラスで最初に仲良くなった生徒だ。ふと岡田の視界に今泉の後ろの席が写る。その生徒はまだ担任の顔を伏せるようにという合図もないのに机に突っ伏している。
寝ているのだろうか、と岡田が思っていると、担任がみんなに机に顔を伏せるように指示を出した。全員机に顔は伏せているので、一応は誰が誰に手を挙げたかわからないようになっている。しかし岡田は顔を伏せると薄目を開け今泉の後ろの席の様子を観察した。
学級委員候補としてまず、岡田の名前が呼ばれる。自分に投票していいので岡田は手を挙げながら、後ろの様子を探った。その生徒は手を挙げていない。担任が上げられた手の数を確認し、降ろすように指示を出すと、次に別の生徒の名前が言われた。岡田が後ろの席の様子を探ると、その生徒はまたもや手を挙げていなかった。
担任のカウントが終わり、学級委員に選ばれた生徒を告げる。
岡田ではなかった。普通であれは、どちらに何票入ったかは言われないはずだが、あまりにも気落ちする岡田を見て担任が、「一票差で惜しかったな」と余計なことを言ってくる。
担任としては慰めるつもりなのかもしれないが、逆に岡田の気持ちが落ち込んだ。悔しさと同時に怒りが湧いてきた。
〈自分がいろいろがんばってやろうとしているのに〉
岡田の学級委員になれなかった怒りの矛先は、居眠りをしてどちらの候補者にも投票しなかった今泉の後ろの生徒に向けられた。
その女子の名前は、イブキレン、学級活動ではほとんど発言もせず、授業中はぼんやりしているようで何のやる気も感じられない生徒だ。
誰かが話しかけてもろくに受け答えしないし、なんだか行動がのろのろしている印象しかなく、使えない生徒の代表的なヤツだと、岡田は思っていた。
〈こいつがちゃんとしてれば、私が学級委員になれたのに〉そう思うことで悔しさを紛らわす。
〈こうゆうゴミみたいのは、早めにいろいろわからせてやらないとね〉岡田に芽生えた歪んだ感情が、急速に膨れ上がった。
この時すでに、岡田は複数の意味において客観的で正しい判断ができていない。
まずは手を挙げなかった生徒は、伊吹蓮だけではない可能性である。岡田が自分で確認したのは、蓮だけであり、他にも手を挙げなかった生徒がいる可能性もあるが、そのことを確認していない。
次に、蓮が手を挙げなかったからといって、それを悪として決めつけることである。一般的な選挙では、投票する権利を放棄することは、推奨はされていないが、認められている。担任がその部分を考慮していた可能性もあった点だ。
普段の岡田であれば、それらのことを正常に考えられる能力は十分にもっていた。しかしその正常な判断力を奪う大きな要因が他にあった。今回、何としてでも学級委員になりたかった理由は〈男〉であった。
女子の学級委員が決められる前、先に男子が決められていた。
学級委員になったその生徒は岡田が入学式の日から目をつけていた大里という男子であった。
背がすらっとして細身、髪型は自然な長さで少し明るめ。目鼻立ちのはっきりした顔立ちをしている。岡田にとってタイプ中のタイプの男子であった。
岡田には、中学の時にも彼氏はいたが、卒業後、自然消滅している。中三の二学期の終わりごろには、別々の高校へ行くことがわかっていたので、なんとなく卒業までつきあっただけの存在であった。
春休み中、岡田の頭の中は高校での新しい彼氏との出会いを想像しながら完全なお花畑になっていた。そのお花畑に早速お目当ての男子の登場である。岡田がピヨピヨと浮かれない理由はない。
男子の学級委員の立候補は大里だけであったため、そのまま学級委員に確定すると、岡田もここぞとばかりに学級委員に立候補してお花畑に向かって走り出したのだのだが、それがいきなり挫折してしまう。
新しく学級委員になった女子と楽しそうに話している大里を見て、岡田は自分の心がささくれ立つのを感じた。思春期としては当然の抑えがたい甘酸っぱい感情ではあるが、自分のぶつけようのない怒りのはけ口を必要としていた。
結果、彼女の黒い情念のベクトルは、おとなしそうな蓮へと向かってしまったのである。
そして岡田は、そういった行動を昔から好んでするタイプの人間であった。
〈手始めに、あれをやってみるか〉
岡田の目の奥に、どす黒い感情が渦巻き、昔からふざけ半分でやっていた様々な嫌がらせという陰湿な遊びを思い浮かべる。それは決して褒められるような遊びではない。その遊びの対象になった生徒たちは、ほぼ学校に来なくなっていた。
つい数か月前の中三の三学期にも、岡田は一人の女子を不登校にさせている。メイクの話の中で岡田がその女子から、高校生になったらケバくなりそうと言われた、というどちらかというとくだらないやり取りが原因であった。
岡田は、次の日からその女子に対して、遊び感覚で散々な嫌がらせを始める。すると一週間もたたずその女子は学校に来なくなり、そして、二度と学校に姿を見せることなく卒業していった。
一方の蓮は、そんな岡田の思惑は全く気付きもせず、ここ最近これ以上ない気楽な環境になっていた。
朝は遅刻するでもなくちゃんと学校には行き、授業も学習内容が身についているかは別としてさぼることなく受けていた。
昼休みにも楽しみができた。学食の定食、特にうどんやそばが安くて時間をつぶすのもかねて毎日通っている。学校生活は楽しくはないがそれなりに慣れ始めたそんな矢先。蓮の平穏な日常を妨害する出来事が起こった。
いつものように、蓮が朝ぎりぎりの時間に教室に入ると、クスクスと耳障りな嗤い声が聞こえてきた。
直感的に自分のことだと理解すると、少し動きを緩め、視線を配りながら自席につく。すると机の真ん中に線香のようなものが立っていた。あめやガムの袋や、何かのお菓子のゴミなども、その周りに散らかっている。どうしたものかと思ったが、ひとまず席に座り、その状況を確認してみた。
机の真ん中に立っているのは、やはり線香である。その立ち方をよく見ると、小さいゼリーの容器なようなものにごみを詰め、それを土台にして倒れないようにしてあった。二本さされており、火をつけてないのは、においやけむりがでるとまずいからであろう。ガムか何かの包み紙には〈社会不適合者〉と書かれていた。
不意にチャイムが鳴る。
その時点から朝学活前の読書タイムなるものが十分あるのだが、蓮はじっとその線香を見つめていた。
それから少しして蓮はガジェットでその様子を数枚写真に撮ると不意に立ち上がり、線香をぴょんとつまむと教室の前へと向かい教卓の真ん中に線香を置いた。連は席からゴミも集めて、同じよう教卓の線香の周りにちりばめると〈社会不適合者〉の紙も置いた。
蓮が席に戻るとしばらくして担任の生沼が教室に入ってきた。
出席の確認のためにタブレットをいじっていたが、教卓上の異変に気づくとタブレットを操作するその手が止まった。生沼も生徒も教卓の真ん中にある物体に視線が注がれた。
「誰だ?」抑揚のない声で生沼が言った。
誰も返事しない。
「誰がやった?」生沼はもう一度、同じトーンで聞く。
誰も答えないまま数十秒経過したとき、生沼が横蹴りを教卓にいれた。ドゴンという音とともに、ものすごい勢いで教卓が窓際まで滑っていく。机上の線香やごみが一泊遅れて地面に落ちた。テーブルクロス引きをこの担任にやらせたらうまいだろうな、と蓮は場違いなことを考えた。
「ふざけんな!」生沼が大声を張り上げると同時に蓮が立ち上がった。
「そこに置いたのは私だけど、さっき来た時に同じように私の机の上に置かれていました」と生沼とは対象的に冷静に伝える。その妙に冷めた口調が悪かったのかどうかは不明であるが、頭に血が上った生沼の怒りの矛先は完全に蓮に向いた。
「自分がされたからって人にやるんじゃねぇ!」
生沼はイノシシのように蓮に突進すると、その胸倉を掴もうと勢いよく右手を伸ばしてきた。
蓮はその手を素早くかわすと、生沼はバランスを崩したたらを踏んだ。周りから失笑が起こる。
生沼はさらに怒りの形相になり再度蓮を掴もうとする。
その手が連の肩口に触れようとした瞬間、生沼は一回転しながら後ろの壁に吹っ飛び、ものすごい音を立てて床に転がり、その衝撃で教室の床全体が震えた。
生沼は自分に何が起きたか理解できないまま上半身をなんとか起こし周囲を見渡す。
脳震盪を起こしているのだろうか視点が定まっていない。フラフラと立ち上がろうとするが、足がもつれて座っている生徒の机を巻き込みながらまた大きな音を立てて転がった。
教室が一瞬にして騒然となる。別のクラスから血相を変えて他の教員がかけこんできた。
蓮はその場から一歩も動かず事の成り行きを見守った。
この後別室へ行った聞き取りがあることはわかっている。視線をそれとなく教室に泳がせた。何人かの顔から血の気が引いているのを蓮は見逃さなかった。
最も焦りを感じたのは岡田であった。
今回のいたずらは朝学活で蓮が何かしら騒いだら、自分から名乗り出るつもりであった。その目的は蓮の生活態度の悪さが原因でそういったことを招いたのである、とクラスのみんなに認識させ、自分の味方につけることであった。
みんなを味方につけた後、また別のことを仕掛ける予定であったのだが完全に大失敗である。
蓮の行動も誤算であった。
加えて生沼の暴走だ。生沼が誰がやったか聞いたとき岡田は名乗るべきか一瞬迷ったのだが、その次の瞬間生沼は蹴りを出し机が吹っ飛んだのである。
もしそこで名乗り出たら、自分の言い訳も聞かれないまま殴られるかもしれないと思い、名乗り出るのを躊躇したその時、蓮が声を上げたのだ。
そして生沼は蓮に掴みかかろうとして派手に転がった。
結果、クラスだけの騒ぎで収まらず他のクラスからも教員が駆けつけるオーゴトになってしまったのだ。まさに岡田にとっては大誤算以外の何物でもなかった。
その後の学校の対応として、蓮は別室で聞き取りを受けることになった。自分には何ら後ろめたいこともないため事実を淡々と述べた。線香にしても生沼が転んだ件にしても自分からは何もしていないのだ。証拠の写真もある。
その後、教員による周囲の聞き取りの整合性に合わせた結果、蓮に責任は無いと判断された。
状況だけを見れば蓮は完全な被害者である。教卓の上に線香を置いたのは仮に他の思惑があったとしても、教員に証拠を見せるためである、という微妙な言い訳も認められた。
担任の生沼が派手に転んだのは、何かにつまずいて自分で転んだのであろうと結論付けられ、蓮は学校からはたいしてお咎めも受けなかった。
そして蓮の机に線香を置いた犯人である。
周囲の生徒の証言もあり、二人の女子生徒の名前が挙げられた。蓮はその名前を教えられても、クラスメートの名前を全く覚えていないのであまりピンとこなかった。名前は知らなくても顔は見たことはあるので、なんとなくあの連中だろうなというのは想像がついた。
二人の女子とは、岡田と今泉という女子であった。
彼女たちは〈ちょっとしいたずら〉のつもりだったらしいが、そのいたずらが担任のあの暴走を引き起こしたのだ。教員の面子もあり、いたずらで済ませられなくなってしまっていた。
入学してわずかの期間にこういった問題が起こった状況にさすがに学校も危機感をもったらしい。
次の週には緊急学年集会で注意喚起を促す事態となり、岡田と今泉は生徒個人のみの注意で終わらず、その後保護者を呼び出され厳重注意を受けることとなった。
それから数日もすると教室はまた繰り返しの日常に戻っていく。
しかしながら全てがそれまで通りに戻ったかといえばそうでもない。蓮自身が仕掛けたわけではないにしても、これだけ騒ぎを大きくしてしまったのはその行動も大きな要因であった。
教室では蓮に話しかける人間が全くいなくなっていた。
だがそんな状況も蓮にとっては好都合でしかなかった。
孤立はしていても孤独ではない。
蓮にとってどちらかというと完全に孤立することで、快適な学校生活を送ることができるようになっていたのであった。