3 Air ― 無 ―
始業式の日、蓮は学校の最寄り駅を降りると同じ制服を着た生徒の流れの中を一五分程度歩いた。
蓮の入学した神宮寺高校はちょっとした高台にある。
学生が同じ目的地を目指して歩いているのは学校近辺のよく見る光景ではあると思うが、それにしても程度ってものがある。自分もその風景の一部であったが当事者からしても少し異様な光景に見えた。
入学についての手続きの際には、祖母と一緒に駅の近くからタクシーで来たためあまり気にならなかったが、高台の下の方から歩くと結構な坂を上り続けなければならない。
坂を上り続けとようやく正門にたどり着く。その先にはキャンパスが広がっており敷地に低層マンションのような四角い建物がいくつも確認できた。
一年生用の建物は正門からさらに奥に進まなければならなかった。
いくつかの建物を通り過ぎ、学校の敷地内を横切る公道の上にかかるアーチのような橋を抜け、さらに何棟か建物を通り抜けた一番奥である。
正門から五分以上歩くとようやく茶色い四階建ての一年の校舎が見えてきた。
外観は細長い建物が二棟並び、それをいくつかの渡り廊下でつないでいるタイプだ。その建物だけでこの間まで蓮が通っていた学校の校舎ほどの大きさであった。
教室の中は、微妙な空気が流れていた。
新年度の始まり、四月によくあるよそよそしい緊張感と、微妙な期待感が入り混じったようなあの感じだ。
伊吹蓮が教室に入った時にはクラスのほとんどの生徒がすでに席についていた。
話している生徒は誰もいない。
大半が何かしらのガジェットをいじったり、机の上に置かれたよくわからないプリントを見ながらひたすら時間が過ぎるのを待っている。何人かは、何もない空間をじっと見つめ神社の狛犬のようにピクリとも動かなかった。
蓮は指定された席に着くと配布されたプリントを見ながら今更ながらに生徒数の多さに驚いた。
正門付近の受付でもらったプリントに記載された一学年のクラス数は三十六学級ある。生徒数は一年生だけで千人を軽く超えていた。
普通科三学年に合わせ、進学コース、スポーツコースなどいろいろある他の科を合わせると、五千人近くの生徒がいることになる。
プリントの構内図を確認すると、二年、三年の校舎はキャンパス中央付近にあり、それぞれの学年が意識して離されているような配置になっていた。
中央の一番大きな建物やその付近には、いくつか別のコースがあるようだ。細々と進学コースやら何かよくわからないカタカナで別の学科名が書かれていた。
その時、不意にチャイムが鳴る。
廊下でひそひそと話していた数名の生徒が、せわしなく自分のクラスに戻ってきた。おそらく同じ中学出身の生徒でもいたのであろう。こういった状況では、顔だけでも知っている人間がいると心強く感じるのが人間というものだ。
しかし蓮にはそういった感情は不思議となく、もし知り合いがいたとしてもわざわざ始業式の日に近づこうとも思わない。そしておそらくこの学校に自分が知っている人間は一人もいないであろうという現実があった。
蓮の通っていた公立中学は東京の西にあり、この学校はその地域から見れば完全に通学圏外である。
わざわざ県をまたいで横浜の学校を受験して二時間かけて通学しようなんていう生徒がいるはずもなかった。
誰も知り合いがいないという点においては、ほとんどの人が多少なりとも不安を感じる傾向にあるはずだが、蓮は何も感じない少数派であった。今その頭の中にあるのは、またくだらない学校生活を送らなければならないのか、という倦怠感だけである。
しばらくすると下の階の教室からガタガタと椅子が動く音がしはじめた。連の教室は三階の奥にあり、担任が教室にくるのは時間がかかるようだ。一秒でも窮屈な学校生活をしたくない蓮にとっては、それはほんの少しだけうれしいことであった。
一時間目の学活は、例の如く担任の挨拶から始まった。
続いて生徒の自己紹介が始まっていたが、ぼーっと考え事をしていた蓮は、いつのまにか自分の番になっていた。他の生徒が何を言ったかも聞いていなかったため、とりあえず蓮は自分の名前だけ言って座った。微妙な雰囲気がさらにおかしくなる感じがした。
担任は蓮にもう少し何か自分について話すよう言ってくるが、蓮はひたすらだんまりを決め込む。そんな蓮の態度に担任は空気を読み、次の人間に自己紹介をするよう促した。
淡々と自己紹介の時間は過ぎていった。自分の趣味を話したり、高校に入ってからの意気込みを語るものいたが、蓮の心に残るものは何一つない。
ただひたすら空気のような存在になり時間が流れ過ぎるのを耐えていた。