23-2 Silent Birthday ― 託 ― ②
蓮が詳しく聞いてみると、どうやら今井の父親の知り合い経由で同じ整備関係のような仕事をしている人間から連絡があったらしい。
蓮はおそるおそる金額を聞いた。
今井は金額を教えてもらえなかったらしく、まずは蓮ちゃんに現車確認をしてもらいたいと、そのバイクの持ち主が言っているようなのだ。そのことを今井が伝えると、
「わかりました。いつぐらいに見に行けますか」と蓮が聞く。
「急な話だけど、明日って大丈夫?時間はいつでもいいって、むこうの人は言ってくれてるけど」
蓮は明日のバイトのシフトを確認した。
明日は土曜日で、時間は午前十一時から夕方の五時までだ。これであれば、あまり遅くならずになんとか行けそうだ。今井にバイトが五時に終わるのでその後でも大丈夫か確認すると、相手はいつでもいいって言ってたから問題ないだろうとのことであった。
週末のランチタイムから夕方にかけて、蓮のバイト先は、かなりの数のお客さんが来る。
場所が観光スポットのような土地柄のため、平日とは比べようがないぐらい忙しい。その日も息つく暇なく動き回り、ちょっと客足が落ち着いてきたと思い時計を確認すると、もうバイトが終わる時間であった。
連はシフトの終わりの時間が来たことを、他のホールスタッフに伝え、フロアからバックヤードに戻りすぐに着替えた。
普段であれば一息ついてから帰るのであるが、その日はすぐに帰り支度をした。バックヤードを出ていくとカウンターの横に立っていた店長の頓野宮が、
「おっ、これからデートでいろんなことをお愉しみか?」と、例の如くセクハラ発言を蓮にしてくる。いつもであれば、
「店長、セクハラです」と蓮が注意し、頓野宮が、そんなこと言われると困るんよー、と言って茶番のやりとりする流れがお決まりであった。
しかしその日の蓮はそのやり取りの時間がもったいなかったので、
「デートっす、おつかれさまです」と言ってそそくさと店を出ていった。頓野宮がぽかんとした顔をしたまま固まる。その様子を見ていた他のスタッフが爆笑していた。
蓮は速足で駅に向かい、みなとみらい線が直通運転している東横線で渋谷駅に向かった。ごった返す渋谷駅構内の人ごみをスイスイとかき分け、京王井の頭線のホームへ移動する。渋谷は常に混んでいるが休日の夕方の時間帯はいつも以上であった。
井の頭線を使って明大前駅へ行くと京王線のホームへ向かった。しばらく待っているとちょうど急行が来たのでそれに乗り込み、いくつかの停車駅を経てようやく調布駅にたどり着いた。
明大前から電車に乗るときに今井にメッセージを送ったら、だいたい蓮が到着する時間に駅前の交番の近くの広場で待っていてくれるとのことであった。
地下深くにある駅のホームからエスカレーターを使い地上に出ると、見慣れた風景が広がっていた。
蓮のうっすらとした記憶に、昔は駅を出た近くにタコの遊具があり、タコ公園と呼んでいたはずであったが、はっきりと思い出せない。
ガジェットを取り出し、今井に電話をしていると、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると今井が、よっ、と手を挙げて近づいてきた。蓮は電話を切り、お久しぶりですと返す。
「なんか大人っぽくなったなー」と今井がしみじみ言った。
「なんですかそれ。おっさんて年じゃないですよね」と蓮が笑った。今井が、一瞬驚いたような表情になり、
「何か、蓮ちゃん変わったね」と真顔になり、おしじゃあ行こう、と北に向かって歩き出した。その足取りは何だか嬉しそうであった。
北口に広がる商店街の細い道を抜け、突き当りの二車線の道路を右に曲がると道沿いにしばらく歩く。その後いくつかの信号を過ぎ、細めの路地を左に曲がって少し歩くと、左側に整備工場のような建物が見えた。
シャッターの上の看板に会社名がアルファベットで表記され、その横に鬼のようなキャラクターが描かれていた。整備工場と言ってもそれほど大きくないが、外から見えるガレージの中は整頓されており、中には何台か修理中のバイクが置かれていた。
「大熊さん。失礼します」と言って、今井はガレージの中に入っていく。
名前はオークマというらしい。看板の絵は、鬼ではなく熊のようだ。
大熊と名乗るその男は、二人が到着するのを待っていたかのように、薄暗いガレージの奥に座ったまま、すでにこちらを見ていた。今井は、お疲れ様です、と挨拶し、蓮にも一緒に来るように促す。蓮は、失礼しますと言って、今井と一緒にその人の前に出た。
大熊は立ち上がり、薄暗いガレージの明かりの下でじっと蓮を見つめた。
年は六十前後ぐらいか。身長は今井と同じぐらいで百八十センチはある。少しおなかが出てしまっているが、妙にがっしりした体格をしていた。頭は半分白髪で鬼の様に逆立っている。薄暗い中でもその表情は何か怒っているような感じがするのがわかった。
「はじめまして、伊吹蓮です」と蓮が挨拶すると、大熊は目を逸らし返事もせずに、ついてくるようにガレージの奥へ歩いて行った。今井はそれを気にする風でもなくその後ろに続いた。
ガレージの奥にある扉を出ると、そこは結構広めの中庭になっており左右と奥の三面はそれほど高くない塀に囲まれていた。右手にコンテナのような小屋がいくつか並んでいた。
男は手招きをし、蓮たちをその中の一つに案内する。
男が中に入り電気をつけると、それに今井と蓮が続いた。蓮が中を見渡すと、壁の棚や地面に所狭しとバイクのカスタムに使うマフラーやカウルなどが置かれていた。
その部屋の奥に、シートに覆われた二台のバイクがあった。
大熊は再度、蓮を手招きする。蓮が近づくと一台のバイクにかけてあるシートを外すよう言われる。蓮は慎重にシートを外した。
そこには蓮が欲しかったバイクがあった。
XJR400R、通称ペケジェー。
生産終了になってもう何年も経つのに、そのバイクは新品の様にピカピカだった。蓮は思わず大熊を見る。表情は相変わらず怒っていた。
「このバイクは、伊吹師範から預かっていたものだ」大熊が不意につぶやく。
蓮は、イブキシハン、というあまりにも意外な言葉に理解が追い付かない。
そんな蓮の様子を見て、大熊は、このバイクは蓮の父親である空手道場の師範である伊吹健児から預かったものであると説明した。
どうやら蓮の父が海外に拠点を移すときに、いろいろなものの処分をする中で、この二台のバイクを工場の主人である大熊に預けたそうだ。
蓮は、動揺に心が震え、食い入るようにそのバイクに魅入った。
昔の記憶が、鮮明に浮かんでくる。
小さく幼い蓮を、バイクの後ろに乗せて走る父親。きゃっきゃっと言いながら、父親の背中にしがみつく自分。その腰には、蓮が決して振り落とされないよう、丈夫でやわらかなベルトが二人をしっかりとつないでいた。
その父親は、もうこの世にいない。
二人をつないでいたベルトは、目的を無くし消えてしまった。蓮の頬を涙が伝う。
「師範は、娘が大きくなったら、これで一緒に走りに行くんだって言ってー」大熊のその後の言葉が続かなかった。その顔は怒っているのではなかった。泣くのを必死に我慢していたのだ。
懐かしく、静かな時間が過ぎていった。
外から一陣の秋風が遠慮がちに舞い込み、やさしく三人を包み込んだ。
蓮は、幸運にもほしかったバイクを手に入れることができた。
大熊は、これは親父さんから預かったものだから代金は払わなくていい、と言って譲ってくれた。少しでもお金を払いたいという蓮の意向を大熊は全く受け入れなかった。
そしてこの話には続きがある。




