22-1 Spell ― 半 ― ①
九月も終わりを迎えるころ、仲西のガジェットが懐かしい名前を表示した。
真野勇人、仲西のチームメンバーである。五月の終わりぐらいからいくら連絡してもつながらず、七月には、お客様のご都合により通話ができなくなっております、の状態になっていた。
「はい」仲西は急いで出た。
「もしもし。俺だよ俺」
「なんだそれ。どんだけ古い振り込め詐欺だよ」仲西は笑った。
「いやー。昨日ようやく家に戻ってきたわ」
「あー、やっぱあれか。中にいたのか」
「ちょっと今回はいろいろ重なってさ。今までで最高にやりあったから、警察も出てきちゃってさ。まあ正当防衛的なところもあったから傷害ってゆうより、児相預かりになったんだけど。どうせすぐ出れると思ったら、母親がもうギブで。離婚の手続き進めたら、あいつがごねていろいろ揉めたみたいでさ。おかげで俺の夏が終わったわ」真野はあっけらかんと、重い内容を楽しそうに話した。
「まあお前が無事で良かったよ。今度飯でも食いに行こうぜ」
「中じゃ健康的な食事しかしてなかったから、焼き肉の食い放題にでも行きたいな」
「まあ何でもいいよ。つーかお前、家は大丈夫なのか」
「大丈夫、大丈夫。母親もうまい具合に慰謝料ふんだくれそうだから、当分生活には困らなそうだし」
「いや、そういう意味じゃないんだけど」仲西は苦笑いした。
「え、何が?」
「まあいいや。お前が元気なら。那珂島と渡には連絡したのか」
「これからする。それよりランバトどうなってる?」
「うん、まあ今度話すわ」
「そっか。じゃあ近いうちにな」
二人は近いうちの予定を確認し通話を終えた。
仲西と真野の出会いは、同じ中学に入ってからだ。
それは中学一年の四月、空手部の仮入部期間であった。真野と同じように何人かの生徒が仮入部をしたが、ひたすらランニングと筋トレしかしない内容に嫌気をさして、すぐにいなくなった。真野はその中で残った少ない生徒の一人であった。仮入部期間が終わっても、ひたすら地味できついトレーニングが続いたが、真野はひーひー言いながらも頑張っていた。
ある日部活の帰り道、仲西は真野に、なんで空手部に入ったのかを何気なく聞いた。その質問に特に意図は無い。感覚としては、好きなアニメは何?のような、他愛も無い質問をしたつもりである。当然仲西は、真野からありきたりの答えが返ってくると思っていたが、その答えは違っていた。
「父親をぶったおしたいんだよね」
真野の家は、決して金銭に困っている家庭ではなかった。むしろ、裕福な部類に入ると言ってもいいだろう。家族は四人。父親、母親、真野本人、弟がいる。母嫌は専業主婦であるが、父親は大手の証券関係の会社に勤務しているらしく、年収は一千万以上。業績によっては歩合のボーナスだけでも、プラスで一般的なサラリーマンの平均年収ぐらい貰えることもあるらしい。
亭主関白を絵にかいたような父親らしく一人だけいつもご飯のおかずの種類が多いという化石のような伝統を守っていた。真野がまだ小学生になったばかりの頃、それを父親に指摘したら思い切りグーパンされたそうだ。
父親の暴力は真野が生まれる前からあったようなのだ。
金銭的に依存していた母親は何も声を上げることができず、気持ちを押し殺して生活するしかなかったのだ。当然のようにその暴力は、母親だけでなく真野にも向けられるようになった。
そんな生活の中、弟が生まれた。真野が小学生三年の時であった。
弟の世話で母親がそちらにつきっきりになると、父親の真野への暴力がエスカレートしていった。そして小学校四年の時、真野は些細な事で父親からひどい暴行を受け、母親が警察に通報し、そこから学校に連絡がいき児童相談所に初めて預けられた。
その後、施設や学校、真野の親の間で様々な話し合いが行われ、数か月後に真野は家に戻り生活する運びとなった。
その頃から、多少は真野への暴力は収まってきたが、父親の矛先が母に向けられることが多くなった。見過ごせなかった真野は、それをかばい、以前に増して父親から暴力を受ける回数が多くなった。
警察に連絡しても、なにぶん真野の家から通報の頻度が高く、そう何度も家まで来て間に入ってくれることはなくなった。父親は父親で、警察や第三者の前では実にまともな人間になった。父親の場面に応じてころころ変わるカメレオンのような姿はその辺の安いドラマの俳優以上の芝居に見えて、ある意味真野を感心させた。
家と施設を行ったり来たり生活の中、何にしても自分の身は自分で守らなければならないと真野は思った。最初はどこかの格闘技の道場に行こうとしたが、父親にそれを頑なに阻止された。
そこで真野は仕方なくネットの動画を見ながら我流で練習を始めた。しかし自分の動きが良いのか悪いのかわからない。仲のいい友人と殴り合って試すわけにもいかず行き詰っていたところ、中学校の部活動紹介で空手部の存在を知ったのだ。
そんな重いことを真野は他人事のようにへらへらと話した。
仲西は自分だったら笑えない生活環境に、真野が真っ向から立ち向かっている事実に尊敬の念を覚える。そして改めて自分の動機を思い出した。
格闘技を始めた要因はいろいろあたかもしれないが、簡単に言ってしまえば、
〈クズみたいな人間をぶっ倒す力がほしい〉であった。
仲西がそのことを伝えると、「俺と一緒だ」と真野は笑っていた。
蓮と凜が美月に会ってから少し後、那珂島が二人にお礼がしたいと言ってきた。
二人とも、そんな気を使わなくてもいいと遠慮したが、グリルガーデンで特製ランチをおごってくれるというので、それぐらいなら、と了承した。放課後三人は、正門で待ち合わせをしてお店に向かった。仲西にも声はかけたのだが、何かの居残り授業に出なければならないらしく後から合流するらしかった。
お店に到着すると、先に三人は特製ランチを頼んだ。
凜は半分も食べることができなかったので、蓮が代わりに完食してあげた。二人がが食後の飲み物を飲んでいると、おもむろに那珂島がカバンから封筒を二通取り出して二人の前に差し出した。
「なにこれ?」蓮が聞く。
「え、ラブレター?二人同時に出したらまずいでしょ」と凜が、えへへと笑いながら、さっそく封筒を開けている。蓮も遠慮がちに封筒をのぞいてみた。中には一万円札がそれなりの厚さで入っている。すぐに元に戻し、封筒をテーブルに置く。
「なにこれ」蓮は固い口調で那珂島に尋ねた。凜は札を取り出しペラペラと数え、
「蓮、五万円あるよ」と無邪気に笑った。蓮はそれを横目に、
「お礼のつもりかもしれないけど、私はお金のために美月ちゃんに会ったんじゃない。これは受け取れないよ」とあきれたようにため息をついた。
「いや、金の問題じゃないのはわかってる。でも今はこれぐらいしか思いつくお礼ができないんだよ」那珂島は、うつむきながら話しを始めた。
蓮と凜が会い来てくれたあの日から、美月は著しく変化した。
那珂島が二人を駅まで送り家に帰ると、美月は那珂島に、「ありがとう」と言ったらしい。
〈ありがとう〉
ありふれた言葉である。
しかし那珂島は小学校の出来事以来、美月からその言葉を一度も言われたことはなかった。
今まで美月の好きそうな物をできる範囲で買ったり用意したりしてきた。それが自分が妹を守れなかった贖罪、と言ったら大げさかもしれないが、せめてもの罪滅ぼしであった。
しかしどんなものを用意しても、どんな言葉をかけても、美月からは決して、ありがとう、と言われることはなかった。
その言葉をようやく美月から聞くことができたのだ
そして彼女の変化はそれだけではなかった。
高校に行きたいと言い始めたのだ。蓮や凜と同じ制服を着て学校に行きたいらしいのだ。
長い間止まっていた時間が一気に動き出した。
「金でどうのこうのじゃないことはわかっている、でも、今回の件が無かったら、へたするとあいつは一生殻に閉じこもっていたかもしれない。それを何とかしてくれたのは間違いなく伊吹と希峯だ。できれば受け取ってほしい」那珂島は声を絞り出した。
凜もお金を封筒に元に戻し、那珂島のほうへ戻す。
「私はいいよ。蓮がいたから、美月ちゃんも元気になったんだし」
長い間、気まずい雰囲気が流れたまま時間が過ぎた。
そこに、仲西が遅れてやってくる。
「なんだ、みんなシーンとして。失恋でもしたの」とさわやかに那珂島の隣に座ると、その言葉に凜が冷たい視線を投げた。不意に仲西と凜の視線が交錯した。
瞬間、つまんねえこと言うんじゃねぇ、という言葉のイメージが仲西の脳内に走る。
仲西はあわてて凜から視線を外すと、那珂島の前に置かれた二通の白封筒に気づいて察すると、
「これは、こいつなりの誠意ってやつなんだよ」と微妙に言い訳するように言った。
その時、「半分にする」と唐突に凜がつぶやき、おもむろに話し始めた。




