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RR ー Double R ー  作者: 文月理世
RR ー Double R ー EN
2/278

1 Letter ― first half ―


 拝啓 伊吹蓮様


突然のお便り失礼いたします。

私は現在東京のある場所で教員をしております高柳と申します。

 先日、以前の職場でかかわりのあった仲西君と那珂島君という二名の生徒が、私の元を訪ねてきました。

 伊吹さんもご存じかと思いますが、彼らはランクバトル、通称ランバトに参加しています。そして、彼らにそれを紹介したのは私であります。


 本来であれば彼らが中学を卒業する頃を見計らってランバトに参戦させようと考えていました。しかしながら、彼らが中学三年になる前に私の職場が異動となってしまい、急遽前倒しで彼らはランバトに参加することになったのです。


 予想通りと言っては彼らに申し訳ないのですが、成績は思うようには伸びなかったようで、一番下位のアンダーリーグで現状維持するのが精いっぱいだったようです。もしもの話は好きではないのですが、彼らがもう一年しっかりと稽古し、ランバトに参加していれば、今頃は上のリーグに上がれていたのでは、と私は思っています。


 メンバーの離脱やケガもあり、おそらく今シーズンで彼らのチームも解散になるでしょう。結果は思うように出ませんでしたが、寄り道をしながらでも、彼らなりに努力してきたのではないかと思います。私はその経験こそが、彼らに必要であると思っています。


 勝手な想像で申し訳ないのですが、伊吹さんは彼らと親しい間柄なのではないでしょうか。先日、こちらで行ったスパーリングで、那珂島君がある技を使いました。

 それは、格闘技を行っている者でもごく一部の流派の人間しか知り得ないはずのものでした。彼らにそれをどこで知ったか聞いたところ、伊吹蓮さんの名前をあげ、さらに伊吹健児師範の口にしたことに驚きました。


 私は求道会館の一員です。

 だいぶ前の話ですが蓮さんのお父上である健児師範から道場で直接指導していただいたこともあります。しかし師範が仕事の拠点を海外に移し道場にいらっしゃらなくなると、私は自然と足が遠のいてしまいました。

 そして数年前。師範が事故で亡くなられたことを、仲間からの連絡で知りました。



 私と師範の出会いは実に偶然であったと思います。

 その当時、私は教員ではありませんでした。表向きは一般企業なのですが、仕事の内容は人に自慢できるものではありません。当時の私はまさに金の奴隷であったと思います。金さえ手に入れば人の気持ちを顧みることなく行動できるような人間でした。


 そんなろくでもない生活の中、私は師範と出会いました。

 きっかけは、ある債権、ようは借金の取り立てのトラブルでした。私はお金を貸した会社側の立場として、師範はお金を借りた客の味方の立場として、対立することとなったのです。細かい内容は話すようなものではないので、その結果のみをお伝えします。


 私は師範と戦った結果完敗し、その取り立ての案件から手を引きました。

 そしてその責任を取る形で、所属していた組織を辞めました。暴力しか能のない私は、仕事を探すものの行く宛がありません。そんな私に師範は声をかけてくださり、間もなく師範の元で稽古を始める次第となったのです。


 最初は師範の強さに憧れ、通い始めた道場でしたが、すぐにその深い人柄に強く惹かれるようになりました。しかし、師範が素晴らしいからと言っても、私自身の性格がそう簡単に変わるわけもありません。表面上、私は心を入れ替えたかのような装いをしていましたが、腐った根性はまだまだ残していました。


 ある時、私は以前所属していた組織とトラブルを起こし、命を狙われるようになりました。原因は自分自身にあります。

 以前のようなまとまった金額の収入がなくなった私は、金欲しさに昔の仲間と一緒に、その組織の取引先と内密に仕事をして、利益を横取りしていたのです。それなりの額の取引を行っていたため、取引先の収益が減ったことにその組織の人間が気づき、あっさりと私たちの内職がばれてしまったのです。


 相手の追い込みは執拗でした。

 私は自分の家には戻れず日々ホテルやネットカフェを転々とする日が続きました。どこにいても尾行されているような気配を感じ、当然道場にも行けなくなります。

 海外へ高跳びすることも考えましたが、資金的に厳しく、その会社組織の人間を何人か道連れにして、人生を終わらせようと考えていました。


あの日の夜、健児師範から連絡が無ければ今私はこの世にいないと思います。

何が起こったのかは、つまらない内容なので省きますが、結果として健児師範に組織と私との間に入ってもらい、場を収めてもらいました。私と一緒に内職をしていた仲間は、その後音信不通になりました。


おそらく和解金もかかったはずです。しかし健児師範はそのことは絶対に教えてくれませんでした。ありきたりな言葉ですが、私がこの恩は必ずお返ししますと言うと、健児師範は、俺には何も返さなくていい、それより次の世代に何かしてやってくれ、と笑ってくれました。


 私はその後仕事をしながら通信制の大学で教員免許を取得し、教員となることを決意しました。

 次の世代にも師範の想いを伝えていきたかったからです。








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