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RR ー Double R ー  作者: 文月理世
RR ー Double R ー EN
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14 Shooting Star ― 閃 ―


 次の週、いよいよ期末考査が始まった。

 初日、二日目と何とか乗り越え、いよいよ水曜日の定期考査三日目。蓮にとって最大の山である数学のテストは二時間目であった。

 一時間目が終わり、蓮はいつになく緊張していた。後ろの席に座っている凜とも、ほとんど会話をしていない。とは言っても、二人は普段つるんでいる時でもあまり会話はしてはいなかった。


 二時間目の予鈴が鳴り、生徒がわらわらと自席に戻る。

 すぐに試験監督の教員がやってくると、挨拶を済ませ問題用紙が配られた。普段の授業では複数の教員が各教室で数学を教えているが、テスト範囲は基本一緒である。

 前の席の生徒から問題が回ってくきた。試験監督は年配の女性教諭で、問題用紙を配り終わるなり教卓の席ったまま偉そうに表紙の注意書きをしっかり読むように言った。


 チャイムが鳴り試験が始まる。

 すぐに誰かが問題用紙に解答用紙がはさまっていないことを監督の教員に告げていた。

 テストの問題用紙と解答用紙の配り方は教科によって違い、それぞれ別々の教科もあれば、解答用紙が問題用紙の間にはさまれている場合もある。数学は、問題に解答用紙がはさまれているタイプであった。


 蓮の問題用紙にはちゃんと入っていたので、まずは名前を書き、早速問題に取り掛かる。いきなり見たことがあるようなないような数式が目に入った。記号問題や選択問題を先にこなそうとするが、答えを導き出すのに時間がかかり、頭を悩ませながらいたずらに時間は過ぎていった。


 あっという間に時間は過ぎ、何問かは解けないまま試験終了となる。

 蓮は終了の合図と同時にペンを置いた。試験監督の教員が一番後ろの生徒に解答用紙を回収するように指示を出す。後ろから凜が、蓮の肩を叩いてきた。


 蓮は下を向いたまま解答用紙を後ろからくる凜に渡した。蓮の解答用紙をちらっと見たのであろうか、凜の動きが少し止まった気がした。

 それはそうだろう、あれだけ懸命に教えてくれたのに全然できていないのだ。蓮は頭を切り替え次の試験に集中した。




 次の日から、すぐにテスト返却が始まった。

 蓮に返された答案は決して良い点数とは言えないが、ぎりぎり赤点にはならずに済んだものもそれなりにあった。凜にそのことを伝えると、がんばったね、と褒めてくれた。


 金曜日、いよいよ数学の結果である。

 授業が始まり答案が返される中、例の田中田から名前が呼ばれた。田中田は蓮のほうを見ようともせず、プルプルと手を震わせながら、蓮に答案を突き出した。

 得点欄には〈36〉という数字が書かれていた。赤点の場合、再試験のスタンプが押されているはずであるがそこには数字だけしか書かれていない。

 蓮は追試を免れていた。


 その日の帰り二人は中華街で食事をした。

 蓮は凜にお礼も合わせてご飯を奢りたかったのだ。角煮丼がおいしいと有名なお店で、蓮はいつか行きたいと思っていたが、ずっと先延ばしにしていた場所であった。

 その後、蓮の部屋に行きささやかな祝宴を開きながら、今回の定期考査の結果を見せ合った。


 凜はえへへ、と笑いながら、返却された答案を見せてくれた。英語と数学はほぼ満点であったが、他の教科は点数にばらつきが見える。場合によっては蓮と同じような点数の教科もあった。

 答案用紙の束をめくっていく中に、採点されていない解答用紙がでてきた。

 数学の解答用紙だ。名前を書く欄は消してはある。しかし、解答用紙に書かれている数字や文字は蓮の字であった。蓮はわけがわからなくなった。


「こんなのあったけど」と凜に聞く。

「あーしょれね」凜はベッドに寝そべりながら、話し始めた。だいぶろれつが回らなくなってきていた。あまり強くないらしい。

「れんができてなきゃったら、そっちにきゃえよおきゃなって」

「え?どうやってー」


 蓮は試験当日を思い返す。

 そういえばテストが始まって解答用紙が入ってません、と手を挙げた生徒の一人は凜だった気がした。

 テスト開始直後でそのときは自分のことで頭がいっぱいだったためあまり気が回っていなかった。

 あの時凜は二枚の解答用紙を手に入れていたのだ。もし蓮の解答がボロボロだったら、差し替えるつもりでいたのだろう。

「れんにょれすとたいっきゃきゃいきゃいあっちゃらえるんめてゃ」

 凜は、ベッドでうつぶせになってもごもご言った。

 何を言っているのか理解できない。

 蓮は再度、解答用紙をよく見てみた。確かに似てはいるが自分で書いたものではない。なんで、ともう一度理由を聞こうとしたが、すでに凜は、すやすやとかわいい寝息をたてていた。



 次の日、朝起きると凜のリクエストでサンドイッチを作り、公園で食べることにした。

 爽やかな海風が吹く中、公園でベンチに座りもぐもぐと二人で食べた。ふと蓮は改めて解答用紙のことを凜に聞いてみた。

「なんで、そこまでしてくれるの?」

「え?なにが」

「数学のテスト」

「えーノリよノリ」凜はキュウリとハムのサンドイッチをポリポリ食べながら笑った。

「まあ、あれもうまくいくかわからない賭けみたいなもんだったし」

「賭けって?」蓮は聞く。

「あの時、試験監督が菅原のおばちゃんじゃなかったら厳しかったと思う。あのおばちゃん、試験始まってから教卓から全然動かなかったじゃん」

「じゃ、その場で思いついたってこと」

「うーん。やってみようかなって思ったのは、その時かな」


 凜はえへへと笑い、サンドイッチの一切れをほおばった。蓮の先入観で、凜は世間を知らないお嬢さんというイメージで見ていたため、ちょっとびっくりした。

「私は蓮のこと甘く見てたのかもね」凜がつぶやく。


「私が追試にならなかったのは凜のおかげだよ。私、勉強頑張るってこと初めてしたかも。そうゆうの頑張るのって、なんかかっこ悪い気がしてて」と蓮が言うと凜は照れくさそうに笑った。

「勉強しても結果が出なかったらかっこ悪いから、自分に言い訳できるようにそこから逃げちゃう人って結構いるよね」と凜は言う。


「それって、自分がそうかも」蓮は苦笑いした。

「私もそう思うこといっぱいあるよ。でも、自分がどうでもいいって思うものは頑張らなくてもいいけど、これだけは譲れないっていう何かがあったら、人から何を言われても、頑張らないといけないんじゃないかな。一生懸命がんばって駄目だったとしても、自分ができるだけのことをしたっていう経験が大切で、そうすることが本来の目的なんだと思う」


「でも、頑張ること自体を馬鹿にする奴っているよね」蓮が言う。

「確かに。バカにしてディスる人いるよね。でもそうゆう嫌なこと言う奴ってどこにでもいると思う。だから自分が頑張ってることを馬鹿にするような奴は相手にする価値がないから、こっちに害がない限りほっとけばいいと思う。逆にそのレベルの低い人間性を笑って憐れんでやればいいのよ」凜が答える。

「周りを気にして自分を失うなってことね」

「それもあるね。ただ、バカにされて実害があったらそれにきちんとやり返すことも大切だと思うよ。そうじゃないと相手が調子に乗ってどんどんエスカレートして、歯止めが利かなくなるから」

「確かに。黙ってたらそうゆうヤツって調子に乗るからねー」蓮は同意する。


「うん。あとこれは受け売りだけど、大切なのは、早いうちに精一杯がんばるって経験がないと、人生で本当に頑張らなきゃならないときにそれができないんだってさ」

「本当に頑張らなきゃならないときかー」蓮は物思いにふける。先日の定期考査は、本当に自分が頑張らなければならないといけないことの一つのような気がした。

「今回は、凜のおかげで頑張れたと思う」蓮は改めてお礼を言った。

「それはよかった」凜は続ける、「でも、なんでもかんでも一生懸命やればいいってもんじゃないらしいよ」凜がつけ加える。

「なんで?」

「何でも全力でやってたら、普通身がもたないって。普段は逆に適当にさぼるぐらいで十分だから、人ができることは他人に全部任せて、自分は楽しとけばいいんだってさ」凜は誰かを思い出しているような遠い目をしながら言った。


「なんか言ってることが矛盾してるような」

「でしょ、だから私言ってやったのよ。そうやってダラダラしてるから周りから馬鹿にされるんでしょって」

「えぐるねー」と蓮は苦笑いする。

「そしたら、自分は馬鹿にされることに一生懸命だからいいんだよ、だって」

「なにそれ。誰がそんなこと言ってたの」蓮はなんとなく聞いた。


 凜は少し考えて、「家族みたいな人」と言う。

「なに、みたいって」と蓮は答え、二人で笑った。

 おそらく、家族の誰かなのであろうが、みたいという言葉を使うところに、凜の家庭の複雑さを蓮は感じる。試験前に、凜が家に泊まりに来てくれたときに、彼女の複雑な家庭事情について話してくれていた。


 凜が父親の仕事の都合で、小さいころから海外で生活しなければならなかったこと、いろんな国を転々としなければならなかったこと、そんな中両親が離婚し、凜は父親の元に残り、母親が日本に帰ってしまったこと。そして今は、保護者としては父親の名前を残したまま、日本では母親を頼らざるを得ないこと。母親と同居するのも嫌なので、無理を言って一人暮らしをさせてもらっていること。


 蓮は〈みたい〉という言葉の中に、普段の凜の中に巧妙に隠された闇を感じていた。

 クラスの誰もそれに気づくことができる人間はいないだろう。凜の普段の態度には、闇の一欠片すら感じられない。もし蓮の感覚が正しければ普段の凜の態度は擬態であり、それはすでに芸術の領域に達しているレベルであった。

 蓮はその話を別にすることで区切りをつけた。

 そうしながら凜の底が読めない内面の深さに、強く惹かれている自分がいることにふと気づく。


 地元に帰れば、蓮には会ったり話したりできる仲間はそれなりにはいる。

 今住んでいるところと距離が離れてしまったからといって、以前ランバトで一緒に過ごしたチームメイトとの繋がりがなくなったわけではない。

 蓮が何かしらの連絡をすれば間違いなく応答はしてくれるはずであった。しかし、蓮はどちらかというと自分から人に連絡するタイプの人間ではない。そして相手から連絡が来ることもまれだ。理由は、おそらく蓮の生まれ持っての立場であった。


 以前所属していたチームの古参である今井は、蓮がチームに加入する際、蓮の今までの道場での経歴を他のメンバーに伝えていた。自分と蓮の関係に妙な勘ぐりをされることなくチームに迎え入れたいという思いがあったからだ。

 今井自身もチームの中でもトップレベルの実力者だ。その今井が鍛えられた道場の師範の娘という肩書だけで蓮には十分な後光がある。

 それに加えてその格闘の実力はとんでもないレベルなのだ。チームのメンバー全員が何かあれば彼女のために動きたいという半ば崇拝のような感情をもつのに時間はかからなかった。


 以前のチームメンバーは友達というよりも何か別の関係のような気がしていた。

 メンバーの蓮を見る目や態度に、彼らの大切な存在に対する一種の忠誠心のようなものを感じていたからだ。それはとても有難いことではあったが、一緒にくだらない話をして笑ったりなんとなくバカなことをして遊びに行ったりする間柄では決してなかった。

 そんな蓮にとって凜は、流れ星のように突如として現れた初めての本当の友達なのかもしれなかった。








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