他人を挟んで会話をするな
ちらりとヨナスを窺い見た。
このまま別行動になるのは不味いのではないのか。いや、そもそもこの性悪と一緒に行動するのは避けたい。
高校生時代の記憶は薄れ、明確には思い出せないことも多い。あれだけやり込んだゲームだけど朧気なところも多々ある。
でも、コイツが、イヴァンが救いようの無い悪党ということだけは強く記憶に残っている。
アーノルドを妬み、貴族を嫌い、庶民を見下し、ヨナスを利用した。誰の為にも動かないし、他人の不幸だけを生き甲斐にしている。
ゲームの中でイヴァンが他人に悪意を持つに至った理由は語られない。元々そういう性格の人物で、楽しいからやっているに過ぎない。そういう描写ばかりだった。
行動に理由がない分、共に行動する事すら恐ろしい。
しかし、ヨナスはこちらのSOSなど意に返さず、顎でしゃくっている。……『行け』と言いたいらしい。
他人事と思ってあの野郎。プツッと堪忍袋の緒が切れて、私は一度イヴァンを放置してヨナスの元へと詰め寄った。
イヴァンは愉快そうに静観し、逆にヨナスは彼から距離を取ったまま焦ったように視線を逸らした。
「お前っ……! こっちに来るな」
「あのね!流石に私も怒るよ! 私はあんたの召使でもなんでも無いんだから!」
確かにヨナスの姉、そして私の従姉でもあるエリオラの事は気がかりだ。病弱な彼女が回復する事は私も望んでる。だから強引に乗せられたからと言っても、望まないこのパーティへもやってきたつもりだった。
私自身はエリオラとは殆ど面識が無い。裏切った従兄に言われて、ほぼ知らない従姉を助ける協力を、ここまで小馬鹿にされて受けるのも納得がいかない。
「なんだよ。別に成功すれば礼ならいくらでもする」
「そういう問題じゃなくて、少しは誠意を見せろって言ってるの!」
「誠意ぃ……?」
ヨナスは理解できないものを見る目で渋い顔を浮かべていたが、ふと何かに気付いたのかぴくりと眉を動かした。
「ああ。そういえば協力への報酬の話はしてなかったな」
……そういえばそうだった。無条件で協力していた自分の流されやすさと愚かさに言葉が詰まる。
まさか今気づいたのか?とでも言いたげな白けた視線を感じながら、私は咳払いをして口を開いた。
「……じゃあ、ヨナスも私に協力して。私は貴方のお姉様、エリオラさんを助けるのに協力する。だから貴方は私が処刑されるのを絶対に阻止して!」
「それくらいならいいぞ」
多少ごねられる事も承知して、ふっかけたつもりの要求は予想に対して、二つ返事で承諾された。
「え、いいの? えっと、私が言ってもなんだけど、私の処刑の阻止って……」
私の処刑は、イヴァン側、アーノルド側、両方の思惑が絡んだものだ。すなわち王族だけにとどまらず、貴族、商人や教会、様々な立場にある攻略対象たちをも巻き込んだ企みになる。それは彼らを敵に回すということだ。
それを冷徹冷酷なヨナスが承知するのは全くの予想外だった。
「……フン。あと8年も猶予があるような、至極簡単な契約だ。お前にとっては一大事だろうが、俺にとっては瑣末なことだ」
ヨナスはそう言い切ったが、それが本意には思えない。だって、イヴァンの事をあれだけ警戒しているのだから。
彼らしく無い短絡さを感じる。私に協力を仰いだことにしてもそうだ。私に記憶があるからって、一度嵌めた相手に一筋縄では行かないことぐらいわかっているだろうに。
焦っている?
どうして? 巻き戻った時間の分だけ、私同様に彼には余裕があるんじゃないのか?
私が思っていた以上に昔から、彼は追い込まれていたのだろうか。
憮然と彼の態度は変わらない。先程と何ら変わらない尊大な口調は、何を抱え込んでいるのかを覆い隠している。
「納得したならこれ以上ピーピー騒ぐな。これはチャンスだ。アーノルドに接近して、奴がパーティから抜け出す手助けをしろ。余計なのが付いているが、奴はアーノルドにもマリアにも関心がない。邪魔はしないだろうさ」
「関心ないって……」
ヨナスの考えが分からない。彼はイヴァンという異分子に対して、警戒はしていても今回の作戦には支障がないと思っているようだった。
不安そうな私に対して、ヨナスは面倒そうに説明した。
「アレはただの愉快犯だ。共謀した俺が一番知ってる。他人が不幸になるのに手助けするのが趣味みたいなやつだ。アーノルドとマリアの事なら放っておくよ」
「なんで放っておくって分かるの? アーノルドはこれからマリアのこと好きになるんだよ? むしろアーノルドの恋の応援になるんじゃないの」
「庶民の女を好きになるなんて不幸以外の何者でも無いだろ」
ヨナスは至極当然のように断言した。私は呆れながらため息をついた。彼にとって利にならない相手との恋愛は破滅の始まりに思えるらしい。うーむ、悪役らしい腐った性根。しかし、イヴァンもヨナスと同じ、むしろそれ以上の悪役だ。思考回路は似ていると考えても大丈夫だろう。
個人的にはアーノルドとマリアの出会いは、彼らの運命を変える素敵な転換期だと思っているけれど、確かにイヴァンならヨナスと同じく転落人生への第一歩と考えるだろう。
「兎も角! さっさとイヴァンの元に戻れ。俺はこれ以上アイツには関わりたく無い」
顰めっ面に冷や汗をかきながら、ヨナスは顔を背けた。余程イヴァンと顔を合わせたく無いらしく、出来るだけ視線を逸らそうとしているらしい。イヴァンに記憶がないなら、彼らの関係はただの王族と公爵令息、遠い親戚ぐらいの関係なのだけど。
王宮で顔ぐらいは合わせることもあるだろうが、日常的に親しくしているわけでもあるまい。アーノルドに嫌われているところを見るに、王族の前でも傲岸不遜な態度が滲み出ているのだろう。
「分かったよ。言っとくけど、本当なら私だってアーノルド達には関わりたくなんか無いんだからね。ちゃんと約束守ってよ!」
「お前こそ。ちゃんと俺をマリアに引き合わせろよ」
憎まれ口を叩きながらも、私はイヴァンの元へと小走りで戻った。意外にも私とヨナスの会話に挟まることもなく、ヨナスの取った距離を保っていたイヴァンは、私が帰ってきたことにニコニコとしていた。
「お話は済んだみたいだね。意外だなぁ、君と彼の仲が良いとは」
「な、仲が良い……?」
ゾッとする言葉に硬直すると、イヴァンは愉快そうに吹き出した。
「ああ。羨ましいよ。ああやって対等に言い合える関係は」
「そ、そう」
強張ったまま曖昧に返事をする。割と険悪な様子だったと思うのに、イヴァンからはそう見えたらしい。
イヴァンの境遇を考えると、言い合える相手もいないのかもしれない。彼の考えはヨナス以上に読めないけれど、不幸な生い立ちはゲームをプレイする中で把握している。
この国では、国祖である初代王の容姿にあやかって、金髪と青い目が尊ばれる。逆に、赤は忌避色とされる。
貴族にはブロンド髪のものが多く、それこそ上流階級のシンボルのようにもなっているので、平民であってもブロンド髪であれば豪商に気に入られて養子になんて話も珍しく無い。
特に、現王の後家に入った王后はその思想が強く、イヴァンのことを毛嫌いしている。実の息子であるはずなのにだ。
そして王后は義理の息子であるはずのアーノルドを溺愛し、その立場をより盤石なものにしようとしている。イヴァンからしてみれば、強い憎しみを抱いてもおかしくない状況だ。
……でも、ゲーム本編ではそこの深掘りはなかったんだよね。私は既に十数年前になってしまった記憶を掘り返す。
不思議なことに、イヴァンはアーノルドへ嫉妬のような感情は見せるが、母親や王族たち、その他の周囲の人々が自分を蔑ろにすることに対して不満を抱いている描写は皆無だった。それが彼の内面が窺えず不気味さを引き立てていた。
ずっと、イヴァンは笑顔を浮かべている。
ヨナスも人を小馬鹿にする時ぐらいしか笑顔を浮かばないけれど、その彼よりもよっぽど表情が変わらない。
私は誤魔化し笑いを浮かべたまま、再びイヴァンの顔を見てみた。目尻は下がり、口角は上がっている。けれどその瞳の奥には、楽しさや嬉しさというものは感じ取れない気がする。
不気味な顔はこちらをじっと見つめていた。そして、ぽつりと呟いたのだった。
「……僕、君のこと気に入ったかも。アーノルドよりも僕を選ぶなんてどうかな」
「は、はあ!?」
王家への敬意とかそんな物は頭から抜け出て、素っ頓狂な声が出てしまった。慌てて口を塞ぐ私をイヴァンは変わらず、愉快そうにして笑い声を上げた。
「ははは、冗談だよ。さ、こっちへ」
エスコートの為に差し出された手へと、右手を重ねる。背中には脂汗が流れていた。
ヨナス、この借りは高くつくからね。心の中で従兄を恨みながら、私はアーノルドが待つであろうフロアへと導かれていった。