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ヨナスとエリオラ

――半日前。

王家主催のパーティが開かれる数時間前の王都ガートネット公爵邸。


王国の北方にある領地とは別に、ガートネット公爵家は屋敷を構えている。暮らしているのは、当代当主の弟一家だ。


宰相であり、内政に重きを置いて領地に留まる公爵に対して、公爵の弟であるトーマスは国の外交の要として国内外を飛び回っている。屋敷にいることは少なく、必然的に慎ましい規模に収まっている。


そうは言っても、公爵家の所有資産。みすぼらしさは一つもなく、精錬された機能美が備わった瀟洒な内装を持つ。


しかし、この家はいつもどこか重苦しい空気が流れている。


ヨナスは自宅の廊下で一人で立っていた。長い廊下は均等に灯された灯りが暗闇の欠片一つ作ることなく照らしている。王家主催のパーティも今夜に迫り、あと数時間後には従妹のアリサが到着し、共に出席する手はずになっている。


一つの部屋の前に立ち止まる。記憶の中では数年ぶりの場所も、時間が戻った今となっては数週間ぶりでしかない。


ノックをして返事を待つ。咳交じりの声がしたかと思うと、すぐに扉が開いた。

横幅の広い紳士が神妙な顔で立っている。中に入るのを促すように横に避けた彼の傍を通ろうとすると、彼は小さく耳打ちをした。


「あまり長くは話されませんように。姉御様はいつ容体が悪化してもおかしくないのです」

「……何度も言わなくても分かっている」

「左様ですか」


部屋の中には、普通よりも一回り大きいベッドが置いてある。意匠を凝らした装飾は、そこから立ち上がることも少ない彼女のために、両親がわざわざ職人を呼びつけて作らせたものだった。


その上に、ヨナスとよく似た容姿の少女が身を起こして座っていた。年は五つほど上で、写し鏡のように同じ色の白銀の髪に蒼い瞳を持っていた。ただ、肌は死人のように白く、体はやせ細っている。目をつぶれば死体が横たわっているように見えるだろう。


彼女は傍にいるメイドへ、にこやかに話しかけていた。


「――無理はなさらないよう。辛くなったら」

「もー、分かってるって。心配性なんだから」


メイドはまるで家族に向けるようなまなざしを彼女に向けていた。心の底から、相手を案じている様だ。

ベッドの傍へと立つと、メイドは気が乗らない様子で場所を譲る。その視線は明らかに敵意を含んでおり、歓迎されていない事を感じさせる。


記憶と寸分たがわない光景にうんざりとしながら、ヨナスは口を開いた。

「……相変わらず不健康そうだ」

「ふふっ。これでも前会った時より体調はいいのよ?」

「不調時の体調なんて比べても意味がない」

「まぁ! ふふふ」


花が咲いたような笑顔を浮かべる姉に対して、メイドと医者は渋い顔を浮かべる。医者は言葉を飲み込んだ様子だったが、メイドは我慢しきれなかったのか、咎める口調で口を挟む。


「ヨナス様。どうしてあなたはそんな事しか言えないのですか? ご両親はいつもエリオラ様の身を案じた言葉を掛けられます。少しは優しい言葉を心がけてはいかがですか。お姉様のことが心配にはならないのですか?」

「やだ、ローザ。怒らないで頂戴」


険しい顔を浮かべるメイドのローザへ、エリオラが仲裁に入る。主人に諫められて、メイドは渋々と引き下がった。


「……こんな差し出がましいメイドはクビにした方が良い」

「こら」


苛立ち交じりに口にした忠告を、姉は小さく叱る。クビという単語を耳にしたメイドは青い顔を浮かべていた。小さく鼻を鳴らしてメイドから視線を外すと、安堵したようなため息が聞こえた。


気まずい沈黙の中で、そわそわとエリオラが話を切り出した。聞く話題は決まっていたようで、待ちわびた様子で目を輝かせていた。


「今日は王子様たちが出るパーティに行くんでしょ? 楽しそう」

「別に。面白くもなんともない」


王子二人の顔を思い浮かべてヨナスはうんざりとした気分になった。本当ならどちらとも関わり合いたくないが、マリアと会うためにはアーノルドだけが手がかりだ。自分に甘く他人にも甘い、理想論の中で話を完結させる脳内お花畑。生来の気性が合わない男だが、背に腹は代えられない。


ぶすくれた弟に対して、エリオラは愉快そうに話を続けた。


「そうなの? でも一度行ってみたいな」


エリオラの話の関心は、王国中の少女たちの憧れである王子たちではなく、どうやらパーティについてだったらしい。


パーティもお茶会も、彼女には縁遠いものだった。人の多いところも、空気の悪いところも、日差しも、長時間出歩くことも、彼女には厳しい。


何か奇蹟が起きて体調が好転しない限りあり得ない事で、周囲の人びとは彼女に話題さえ振ろうとしない。だから彼女はヨナスにその手の話をさせたがった。


ヨナスは、記憶に残る言葉を口にするか迷って、やはり同じように声に出した。


「……行きたいなら、そのうち連れて行ってやろうか?」


どんな反応が返ってくるのかは知っていた。エリオラはその言葉に微かに目を見開いた。泳いだ視線は、そのまま手元に落ち、曖昧な笑みを浮かべたまま彼女は首を横に振った。


「んー。……ふふ、やっぱり止めとく。私、踊れないもの。面白い話も出来ないし、魔法も上手く使えないし、勉強だってできないし……一緒に居てもヨナスの為に何もできないもの」


言葉を選んでいるのが分かる。無理に口角をあげた笑顔をこちらに向けるものの、視線が合うことはない。


記憶と同じ会話。同じ仕草。そのまま焼き直しの返しをする。


「……別に何もしなくていい。姉さまに求めるものなんて何もない」

「えー。一緒に踊って、ぐらい言ってよー」


憎まれ口に姉は安堵した様子で笑って返す。肩を揺すって笑う姉に反して、後ろ二人の視線が刺さる。


それから直ぐに、呆れた様子の医者たちが『お体に触りますので』と早々に部屋を出るように指示した。姉の寝る用意をするためにメイドは部屋の中に、医者は一緒に外に出た。


扉を後ろ手に閉めて、腰を落とすこともなく、医者は姿勢を伸ばしたまま、ヨナスへと言葉を零した。


「ヨナス様。医者として、年長者として進言いたします。エリオラ様にあのような態度を取るのはお止めください。あの方はいつ死んでもおかしくないんです。悪戯に傷つけるような真似は止しなさい。それが貴方の為でもあります。後悔することになりますよ」


子供の視線では見上げなければ医者の顔は見えない。それは矜持が許さない。ヨナスは視線を上げることもせず、医者の忠告を吐き捨てた。


「エリオラは死なないし、俺は後悔なんてしない。分かったらさっさと失せろ!」


強い確信めいた気迫のある様子に、医者は一瞬戸惑いを見せたがすぐ子供の戯言だと呆れ果てた。雇い主の子供へ背を向け、憤慨した様子で去って言った。


エリオラは死なない。未来を変える手段が自分の手元にはある。強く決意の中で手のひらを握りしめながら、その手にはじっとりと汗がにじみ出ていた。

ヨナスは自身の考えの矛盾に気づいていた。


後ろの固く閉ざされた扉を見る。頭の中で、過去の記憶と今の記憶が反芻して、無意識の中でも比べ合ってしまう。あんなに顔色が悪かっただろうか。あんなに痩せていただろうか。

前より、今の方が悪いんじゃないか。


エリオラの体調はいつ死んでもおかしくないと医者が言う。本来なら、あと五年は生きていた。

でも未来が変わるなら、明日死んだっておかしくない。

その時の原因は、医者でもメイドでも、両親でもない。未来が変わる原因は、過去になかった因子が原因なのだから。


(……俺の所為で、エリオラが死ぬ)


扉の向こうから、またせき込む声が聞こえる。



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