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悪役たるもの!

「……なるほど」


事情を説明すると、ヨナスはすぐに状況を理解したようだった。顎に手を当て、思案を始める。


「アーノルドとイヴァンには、前の記憶はありそうだったか?」

「アーノルドは確実にないと思う。イヴァンは……どうだろう?どっちとも取れる感じで、判断がつかなかった」

「覚えていてもそうそう尻尾は出さないだろうな」


眉間に皺を寄せ、ヨナスは再び口を閉じた。


状況は芳しくない。本来の乙女ゲームのシナリオでは、私がアーノルドの気分を害して、彼はパーティを抜け出した。それなのに今回は寧ろ好感を抱かれたまま、彼は会場に居座っている。


抜け出る理由自体が無くなってしまっているのに対して、今日アーノルドがマリアに会わなければ、私たちは彼女の手がかりが掴めない。


長い沈黙を終えて、ヨナスが顔を上げた。動揺している様子は無く、落ち着いている。静かな口調で彼は話し始めた。


「分かった。作戦を変える。お前自身がアーノルドを外へ連れ出せ」

「え?」

「俺があいつを叩き出す。誘導して街に連れて行け」

「う、うん。でも、どうやって……?」


困惑しながら頷いたが、不安になり問いかけるとヨナスは少し呆れた声音になった。


「……前から思っていたが、お前は案外悪知恵が働かないな」

「そんなの働かなくていいでしょ……!」


どこに呆れているのか。私は悪役になりたくてなっているわけでは無いのだけど。些細な抵抗に、ヨナスは小さく鼻を鳴らし、足をアーノルドたちのいるホールへと向けた。歩き出した彼の後ろを追いかける。


まるでこちらを気遣わない早足へ、ドレスの裾に足を取られながらも付いていこうとすると、彼はこちらを一瞥して面倒臭そうな顔をしてペースを落とした。


驚いて彼の顔を見ると、少し心外そうに眉を顰めた。私の表情をどう受け取ったのか、ヨナスは少し拗ねた口調で口を開いた。


「心配せずとも俺はお前より上手くやれる。黙ってアーノルドに付いていけ。……そして、必ず、俺をマリアに会わせろ」


強く念押しして、再び彼は前を向いて歩き出した。

規則正しい足音に、毅然とした態度はしみじみ味方になると頼もしいと感じた。よほど自信があるらしい。最も自信無さげなヨナスなど見たことがないけれど。


しかし、一体どうするつもりなのだろう。


暗いバルコニーから、シャンデリアが煌びやかに照らす会場に戻る。ドレスに縫い付けられた宝石やスパーコールの反射、すれ違う令嬢たちから香る微かな香水の匂い、楽しげな笑い声の中に戻ると自分の中に緊張がみなぎった。


先に歩くヨナスの顔を見て、周りの人々が道を開ける。アーノルドが歩けば人々は集まっていくのに対して、彼は真逆で人々は避けて通る。


貴族たちは正直で、聡明だ。

王子の関心を買いたい一方で、有力貴族の反感は買いたくない。アーノルドは誰にでも気安く、単純で、貴族の上下関係にもそこにあるべきマナーに関しても寛容…いや、疎かにしているが、ヨナスは誰よりも厳格だ。触れればタダでは済まないと理解しているから、自信が無ければ避けるしかない。


今度は声をかけるまでもなく、アーノルドの周りから人が引いた。令嬢たちにひっきりなしに話しかけられて疲れた顔をしていたアーノルドが不思議そうに、そそくさと去っていく彼女たちを見て、その原因であるこちらへと視線を動かした。


「……っ、ヨナス! ひ、久しぶり」


表情を固まらせたのも一瞬。引き攣ってはいたがアーノルドはすぐに人のいい笑みを浮かべた。アーノルドがヨナスを避けているのは本当らしい。この様子だと、大分苦手意識がありそうだ。


アーノルドはヨナスに声をかけながら、後ろにいる私へ視線をよこした。ヨナスを連れてきた私に対して、意図を掴みかねて問いかけているようだ。答える事もできずに口籠っていると、アーノルドの視線を遮るようにヨナスが移動した。


「ああ。随分と顔を見なかった気がする。よっぽど俺と顔を合わせるのが嫌らしい」


嫌味たらしい口調に、アーノルドが眉を下げる。


「わ、悪かった」

「悪い?何が? 俺はあるがままの事を言っただけのつもりだが」

「う……」


アーノルドがヨナスを避けているのも原因の一つではあるだろうが、おそらくヨナスがイヴァンを避けるために王家へ顔を見せていなかったのが主な原因だろう。どの口が言うのか。間に受けている彼が少々気の毒に感じた。


しょぼくれた様子のアーノルドに、ヨナスはあからさまに顔を顰めた。この威圧的な態度に苦手意識を持つなと言う方が無理がある気がする。アーノルドに同情しながらも、私は2人の様子を静観する。


「別に身構える必要はない。俺はお前に挨拶に来ただけだ。従妹も世話になったみたいだしな」

「ああ、うん。アリサとは話があって……」

「へぇ。それは結構」


自分の名前が出てきて驚いたが、ヨナスはバッサリと話途中で話題を打ち切った。アーノルドが気まずそうに顔を逸らし、沈黙が降りた為私は耐えきれずに小声でヨナスに話しかけた。


「よ、ヨナス! これからどうするつもりなの?」

「急かすな。ちゃんと策はある」

「そうは言っても、王族相手にどうするつもり……」

「約束は守る。……イヴァンが話しかけて来るまでは黙ってみてろ」


イヴァン?

思いがけない名前が出てきて、当人の様子を伺った。アーノルドの横に立ってはいるが、ヨナスが話しかけてきても反応を返していない。寧ろ静かに様子見をしている。変わらず柔和な笑みを浮かべていて、狙いは見えない。


2人で話していると、アーノルドは怪訝そうな顔をした。


「何をコソコソ話して……」

「失礼」


小声での会話を咎められて、ヨナスがアーノルドへと向き直る。あっさりと会話をやめたのが意外だったのか、再びヨナスに向き合うことになったからか、アーノルドはバツが悪そうに視線を泳がせた。


そして、なかなか話を切り出さないヨナスに痺れを切らして、別の話題を口にした。


「えと、エリオラさんは元気か?」


姉の名前に、ぴくりとヨナスが眉を動かした。不自然に開いた間の後、普段通りの様子でヨナスは答えた。


「……元気な時など見たことないな。いつも通り、いつ死んでもおかしくない状況だが、ま、いつものことだ。お前からすれば、元気なのかもな」

「あっ……すまない! 無神経な事を……」


失言に気づいて、アーノルドが顔を青くしてすぐに謝る。謝罪に対して、ヨナスは表面上は表情を崩すことも無く、慣れた様子で受け流した。肩をすくめて、何かを思い出したようで苦笑気味だが珍しく柔らかな表情を浮かべた。


「別に。今日のパーティの話をしていたよ。言付けを預かっている。『お誕生日おめでとうございます。アーノルド殿下にとって幸多き一年になりますように願っております』だと。他人の幸せが願える程度には元気だよ」

「そうか。良かった」


ヨナスが気を悪くしなかったことに、アーノルドは胸を撫で下ろしていた。けれど、彼に見えない角度でヨナスが拳を握るのが見えた。パーティの雑踏の中では、よほど注意していなければ聞き取れないような小さな震え声を偶々私は拾ってしまった。


「……何が良いんだ」


心配になり、再びヨナスに声をかけようとしたが、イヴァンが微かに口角を上げたのを見つけて咄嗟に思いとどまる。


彼が話しかけるまでって、イヴァンが会話に加わったからって、何が変わるの? 不安は拭えないままだが、不用意に動いてヨナスの計画を壊すわけにはいかない。ぐっと堪えて状況を見守る。


ふとアーノルドがぱっと顔を輝かせた。何かいいことを思いついたとでも言いたげな様子だ。


「あ! そうだ。エリオラ嬢には土産を用意しよう。祝ってくれた礼だと伝えてくれ!」


毒気の抜ける提案に、ヨナスも不意を突かれたのか面食らったようで、少しの間固まった。そして眉間にシワを寄せたまま苦い顔をした。


「来れもしなかったパーティの土産ねぇ。……まあ、喜ぶとは思うが。家族以外に渡す奴もいないしな」

「何か好きな物とかあるか?」

「さあ」


気のない返事だが棘のない声に、アーノルドは機嫌を良くして次々に提案を始めた。


「エリオラ嬢はお菓子なんかは好きか?」

「口に入れるものは医者が管理している」

「ぬいぐるみは?」

「埃が溜まるからダメだ」

「えっと、服とかは」

「着て行くところがない」


棘はないが、問題は大アリらしい。エリオラへの贈り物は、私たち一家もいつも頭を悩ませている。会う機会も少ないから、せめて贈り物をと事あるごとに贈らねばならないのにレパートリーも尽きてきている。


「えっと、えーと……」


アーノルドは悉く却下されて頭を抱え始めた。こうなるのは分かりきっていたのに、ヨナスは助言の一つも与える気がないらしい。小さく鼻を鳴らし、打ち切ろうとした。


「思いつかないなら結構だ」

「いや、待ってくれ。イヴァン! 何かいい案はないか?」


諦め悪く、アーノルドが弟へ助け舟を求めた。イヴァンの名前にどきりと身構える。彼自身は突然呼ばれて、少し落ち着かなさそうに反応した。


「……あれ、僕かい? あー、花なんていいんじゃない?」

「花かぁ! これならどうだ?」


初めて贈るのなら悪くない選択だ。自信ありげにアーノルドはヨナスへ向き直った、が、ヨナスは突然険しい表情を浮かべた。先ほどまでの彼にしては、触りのいい態度は鳴りを潜めて、静かに怒りを滲ませている。


「良いも悪いもない。俺の姉を侮辱してるのか?」

「え、待ってくれ。俺はまた何か無神経なことを言ってしまったのか。何が悪かった? すまない、教えてくれ」


急変にたじろぎながらも、アーノルドは誠意のある態度を見せた。しかしヨナスはその様子に、益々不愉快そうに顔を歪める。


「王家の役に立たない女は、薄汚い犬の提案で十分だと、そう言いたいのか?」


私は息を呑んだ。たった一言で周囲の空気が凍ったのが分かった。


犬。この国だと、その言葉はひどく侮蔑的な揶揄だった。姦淫をしたもの、それを生業にするもの、その子供。または、残飯を漁って生活するような最下層の人々を指す言葉。とてもじゃないが、王族に向けて良い言葉じゃない。


しかし、それはイヴァンに対しては、裏で散々言われている言葉でもあった。王族にあるまじき赤毛の子供。王后の不貞の噂も出回っている。


それにしても、こんな表立った場所で公言すれば、王族を貶したとして不敬罪になってもおかしくない。ヨナスの行いに、私自身が信じられず硬直していると、同じように固まっていたアーノルドがやっとの様子で言葉を絞り出していた。


「今、なんて……?」

「俺の姉を侮辱するなと言った。犬の提案でエリオラへの贈り物を決めるだなんて、侮辱するにも程がある」


再び、同じ言葉を繰り返すヨナスに私は景色が遠くなった。イヴァンが少し眉を顰め、苦笑気味にヨナスに話しかける。


「……犬って僕のことかい?」

「汚い犬が話しかけるな」

「なるほど」


目を合わせることもなく、吐き捨てるヨナスにイヴァンが肩をすくめる。アーノルドはその様子を見て、肩を振るわせた。


「……その不快な冗談、いい加減にしないと容赦しないぞ」


アーノルドが語気を強くする。普段穏やかな彼からは見ることのない、怒りを露わにした様子に私は慌ててヨナスを見たが、彼は言葉を撤回するつもりはないようだった。


「冗談? とんでもない。俺は本気だ。どうして正統な貴族である姉が、下賎な血を引く犬ごときの為に侮辱されないといけないのか。嘆かわしいよ」


「……っ君がそんな根も葉もない噂を信じるような奴だとは思わなかった! イヴァンは間違いなく俺の弟だ。義母様を侮辱するのも許さないぞ!」


「根も葉もない? こんな目に見えて分かる証左があるのに? お前の愚かさには付き合い切れない。さっさと、そこのクズをゴミ溜めへと帰すといい」


「いい加減にしろ!」


「否定するなら証拠を見せろよ。出来ないよな?」


「こ、このっ……!」


頭に血が上ってエスカレートする口論に私はなすすべもなく、戸惑っていると、ちらり、とヨナスの瞳が動いた。


「うわ、まずいねコレは」


今にも殴り合いになりそうな雰囲気に、イヴァンがどこか楽しげに私へ話しかけた。


『……イヴァンが話しかけて来るまでは黙ってみてろ』


ヨナスの言葉が反芻する。

アーノルドが拳を振り上げるのをみて、私は咄嗟に2人の間に入った。今にも殴りかかろうとしていたアーノルドが、咄嗟に固まる。


「上出来だ」


振り向きざまに小さな声でヨナスが囁いた。アーノルドを背に、私はヨナスへと向かい合う形になった。後ろから、アーノルドが激しく騒いでいる。


数步下がり、アーノルドを宥めるために隣に立つ。


「アリサ!なぜこんな奴を庇う!」

「殿下、ここでヨナスと争っても貴方の醜聞になるだけです。一旦ここを離れて頭を冷やしましょう」

「でも!」


いきり立つアーノルドに対して、ヨナスは冷静だ。宥めながらもアーノルドは憎らしそうに彼を睨みつけていた。


そんなアーノルドに対して、ヨナスは小さく小馬鹿にした笑みを見せた。


「ふっ……。庇われたのはお前の方だ」

「何を言って……」


ヨナスの言葉に噛みつこうとしたアーノルドは、ふと静かすぎるホールの様子に口を閉じた。先程までパーティで浮かれていたはずの子供たちが静かに立ち尽くしている。


言い争いを始めた公爵子息と王族に戸惑い、遠巻きに様子を見ているのだと思ったが、それにしても小声で話し声ひとつしないのはどう言うことだろう。彼らにとって、社交界の噂話は何よりの好物だろうに。


アーノルドは理由を求めてヨナスを見た。相も変わらず涼しげな顔をして、普段はぴくりともしない鉄面皮に勝ち誇った笑みを浮かべている。


「上を見てみろ」


促されるまま視線を上げる。ヨナスの背後には階段があり、そこには上の階から降りてきただろう人物が立っていた。


ここは王宮。降りてくるのは王族しかいない。真っ赤なドレスに数えるのも馬鹿らしいほどの宝石の数々。年齢は中年というには少し若い。切れ長の瞳に、白い肌が印象的な亜麻色の髪の女性。顔には少しそばかすが散っていて、それを恥ずかしがってか扇で顔の半分を隠している。


「……義母様っ!」


アーノルドの目が落ちんばかりに見開かれる。王后は動揺する義理の息子を視界に収めながらも、実の息子である子供へのあらぬ疑いに口を挟まない。王后自身への醜聞にも繋がるはずなのに、否定の言葉を口にしない。


彼女は黙ったまま、冷たい瞳でイヴァンを見下ろしていた。その目からは微塵も愛情を感じることは出来なかった。

その目に湛えるのは、蔑みだけだ。


「なんで、何で黙っているんですか! イヴァンが、あなたの息子が貶されているのですよ!」


はっと我に帰ったアーノルドが王后へ訴えかけた。彼女は視線をイヴァンからアーノルドへと移したが、彼女から発せられたのは彼の求めた答えでは無かった。


「仕方のないことです。アーノルド、騒ぐのは止めなさい。いずれ王となる身で、不必要な怒りは身を滅ぼします」

「仕方ない……? 仕方がないって……!」

「あんな髪色に生まれたのです。ある程度の噂は受け流しなさい」


パチリ、と静かに扇を閉じて、王后は手のひらに置いた。そしてヨナスを一瞥はしたが、たったの一度も咎めることなく、背を向けて階段を登り始めた。


イヴァンは静かにその背中を見上げていた。そして不意にその肩が震えた。


「……なるほど。ふ、ふふふふ。はっははははは!!」


静かなホールにイヴァンの楽しそうな笑い声だけが響く。


「い、イヴァン……。こんなの間違ってる。俺が義母様に」


突如大声で笑い出した弟に、アーノルドは慌てて声をかけた。しかし、イヴァンはなんてことない様子で笑いすぎて浮かんだ涙を拭っている。そこには怒りも悲しみも見当たらない。


「それで意見が変わったとして、僕はどんな顔をすれば良いわけ?」

「……っ!」


弟の言葉にアーノルドは傷ついた表情を見せた。対照的にイヴァンは元凶であるヨナスに対しても笑みを崩さなかった。


「ヨナス、君の考えはよく分かった。僕はここには場違いみたいだね。まだパーティは終わってないけど、ここで失礼することにするよ」


「……お、お前が帰る必要ない!この無礼者をつまみ出せば良い!」


「ははは。無理だよ。義母様が見逃したのに、君が勝手にそんなことすれば公爵家を敵に回すことになる」


まだ笑い足りないとばかりに肩を震わすイヴァンをアーノルドが引き止めるが、掴んだ手を振り解きさっさと王后が上がって行った階段へ向かおうとして、ふと立ち止まった。


くるりとこちらへ振り向き、私へと視線を向けて、目を細める。その目はどこまでも深く暗く、真意が分からない。結局、彼のことは掴めないままだ。記憶があるのか、無いのかすら分からずじまいだ。


「またね、アリサ。ますます君に興味が出てきた。次に会うのを楽しみにしているよ」


そう言い残して、軽く手を振った後階段を登り始めた。赤い三つ編みが弾むように揺れていた。その姿が消えるまで、私は静かに見つめていた。彼の姿が消えた瞬間、どっと力が抜けるのが分かった。


イヴァンが去ったのを見届けて、放心していたアーノルドがヨナスへと振り返った。掴み掛かろうとするのを、後ろから抱きついて止めるが、無理やり振り解いて向かおうとする。


子供の姿で助かった。今はまだ同じぐらいの体格だから引き留められるが、もう少し歳をとってたらすぐに振り解かれていただろう。


「お、おかしい。こんなのはおかしい!! 間違ってる!」

「殿下、冷静に!」

「ヨナス、お前!! イヴァンと義母様を侮辱したこと絶対に許さないからな!」


暴れるアーノルドを必死に引き留めながら、涼しい顔で立っているヨナスを睨みつける。こんなに怒らせてどう収集をつけるつもりなのか!


ヨナスは殴られない程度に距離を取ったまま、彼へと近づいた。遠巻きに見つめる貴族たちからは聞き取れないだろう音量で、そのままアーノルドへ話しかける。


「へぇ。侮辱ねぇ。本当のことなんか知らない癖になぁ。まあ、仕方がないか。……義理の母親がどんな男とヤッたかなんて、知りようがないもんな」

「お前ぇ!!!」

「俺は、知ってるけどね」

「………………は?」


暴れていたアーノルドの力が緩む。


「いくら何でも根拠もなしに王族を敵に回すような発言するわけないだろ。王都の浮浪者に赤毛の男がいる。あれほど真っ赤なのは珍しい。あんな色は他に見たことないな」


わざとらしく階段の上へと視線を動かす。そこには誰もいないけど、誰を指して言っているのかは嫌と言うほど分かる。


「……嘘だ」


すでにアーノルドを引き止める必要は無くなっていた。呆然と立ち尽くしたまま彼は、ヨナスの返答を待っていた。


肯定したなら嘘をついていると糾弾する。否定したならタチの悪い冗談だったと受け流す。そんな心づもりだったのかもしれない。


「さぁ。どうだろうな」


返ってきたのはどっちつかずな言葉だった。


……思い通りにいかないのは誰にとってもストレスだ。不当に家族を貶められて、家族はそれに無頓着で、怒りの対象には相手にされず、もしかすると望まない事が事実なのかもしれない。そんな状況は、10歳の子供が逃げるには十分過ぎる。


アーノルドは私の手を振り払い、咄嗟に顔を腕で覆った。そのせいで後ろから見ていた私には、裾にシミが出来ているのが見えてしまった。


「アーノルド!」


走り出した彼に咄嗟に声をかけたが、深く傷ついただろう彼がそんなことで立ち止まるわけがない。


「上手くいったな」


無感情にそう呟いた彼に、私は詰るつもりで睨みつけた。


「ヨナス!!」

「何だよ。早く行け。あれだけけしかけたんだから王都に行くとは思うが、念のためだ。追いかけて誘導しろ」


いつもの澄まし顔でヨナスはヒラヒラと手を振っていた。心なしかスッキリした顔は勘違いなんかじゃないだろう。


そうだった。こいつはこういう奴だった。

彼は正真正銘の、根っからの悪役なんだった。


「……協力するのはこれっきりよ。最っ低」

「それで結構だ。マリアにさえ会えればお前に用なんてない」


私はヨナスに聞こえるように精一杯の舌打ちをして、彼に背を向けた。腹立たしい気持ちは治らないが、今はアーノルドが心配だった。

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