第三十話 領主館の中で
ソヒョン姉に腕を引っ張られたまま実家の門をくぐる。
仮にも勇者の住む家にここまで無遠慮に入っていけるのはこのソヒョン姉ぐらいだろう。
この感じは懐かしくもあるが、この年になってしまうと恥ずかしい気持ちもある。
「おばさま、どちらにいますか、アルを連れて来ました」
「どうしたの、ソヒョ……」
俺の母であるクリスタは二階から降りて来ながらこの状況に絶句している。それもそのはずだ。
久し振りに見た息子は下着一枚で片手に剣を持っているだけの状態で、人妻であるソヒョン姉と腕を組んでいる様に見えるのだからその反応は当然のように思える。
「どうなさいまし……」
奥の部屋から現れた執事のゴンザも似たような反応を示すが、流石に此処に長年勤めている執事長だけあって、ゴンザの後ろに付いてくる他の執事の目に俺が写らないように素早く後ろ手で扉を閉めた。
「どういった関係になったの貴方達は」
ソヒョン姉は何を考えているのか、わざとらしく頬を赤く染めもじもじし始めた。
どうやらこの状況を楽しみ始めたようだ。
「誤解しないで下さい。ここに来るまでにかなり汚れてしまったので、近くで水浴びをしていたら、ソヒョン姉に無理やり引っ張られたんですよ、ソヒョン姉もいい加減にしてくれないかな」
「あーあ、もう少しこの状況を楽しんでも良いじゃない。あんた、つまらない男になったね」
すると執務室の扉が開き、女性と見間違えるような美形の男が呆れかえった表情を浮かべながら出て来た。
俺の微かな記憶が正しければ、この男がソヒョン姉の旦那だと思う。
「あのなぁ、いくら何でもここで騒がないでくれよ、此処を何処だと思っているんだ」
「ラン爺ちゃんの家でしょ、昔から来ているんだから知っているに…………」
ソヒョン姉の旦那であるクレイグは慌てた様子でソヒョン姉の口を手で塞ぎ、口を閉ざしたまま器用に話した。
「その言い方は止めてくれよ、この国では君だけだよ。ランベルト様にそんな言い方を出来るのは」
「五月蠅いぞ」
祖父が執務室からゆっくりと出てくる。
騒がしいのが余程気に障ったのか、かなり険しい表情になっていた。
「おじい様、ただいま戻ってきました」
俺の顔を見た途端に、俺の手を取り俺を何処かに連れ出そうとする。
この感じは今日でもう二回目だ。
「ランベルト様お待ちください。どちらに行かれるというのですか、今日中にやらなければいけない仕事がまだ残っていますので、お孫さんと遊んでいる暇はありませんが」
クレイグが慌てて止めようとするが、祖父の動きは止まらない。
「やる気を無くさせたお前らが悪い。残りはお前がやるか、それが嫌なら誰かを呼んでやらせればよいだろう」
「それは無いですよ、秘書のハーラルトさんから、今日はしっかりと仕事をさせるように今朝言われたばかりなんですよ、そんな事言える訳ないじゃないですか」
クレイグが嘆くが祖父は無視して歩いて行く。
祖父とクレイグのやり取りが珍しい事ではないのか、母は二階に戻り、執事のゴンザも姿を消した。
そうなるとせめてソヒョン姉は自分の旦那の側に居た方がいいと思うのだが、何故か俺達に付いて来る。
「ソヒョン姉、いいのか旦那さんが項垂れているぞ」
「いいのよ、仕事の事に妻が口を出したら嫌なもんでしょ」
その言葉に祖父は笑顔になりながら振り向いた。
「ソヒョンは思った以上にいい妻になったな、もし離縁したくなったら何時でも言ってくるがいいぞ、直ぐにでもアルの正妻として迎えようじゃないか」
「残念ですけど、アルは男として見れませんので遠慮します」
二人はそんな馬鹿みたいな話で笑いあっているが、クレイグや俺の立場は何なのだろうか、それにしてもこの二人は何処か似ている様な気がする。
前々から思っていたが隠し子なのではと疑ってしまう。まぁそんな事は無いはずだが。
「おじい様、そんな事より領主の仕事を押し付けて大丈夫なのですか、確か領主に専念したいから総司令官を辞めたのではないですか」
「その代わりに宰相にされたではないか、領主の仕事が忙しいから嫌だと言ったら、国王が内政官を用意したんだ。だったらあいつらがやればいい」
それだと内政官が領主のようになってしまうと思うが、国王様の目が光っているから変な真似はしないかも知れない。
「そう言えば侯爵になられるんですよね、おめでとうございます……でいいのですか」
「国王は爵位と地位が上がれば儂が喜ぶと思っているんだ。そこは何度言っても理解してくれない、困った国王だよ」
「前から思っていたけど、何で国王様はラン爺ちゃんにそんなに甘いのかな」
俺がずっと聞けずにいた事をさりげなく聞いてくれた。
ようやくその事が分かると思い、期待しながら祖父の言葉を待っている。
「どうでもいいだろ、そうじゃそんなに聞きたかったら、アルに頼みなさい。アルももうすぐ国王に会えるのだからその時に聞いて貰ったらいいじゃないか」
国王様に聞くどころか近づく事がこの俺に出来る訳が無いだろうと言いたかったが、ぐっと言葉を飲み込む。
そんな俺の思いとは裏腹にソヒョン姉は期待した目を向けてくるが、首を横に振るしかなかった。
「ランベルト様、少しお待ちください」
ゴンザが領主館から走ってきて、その手の中には服が入っている。ゴンザは俺の姿を見て服を持ってきてくれたようだ。
下着一枚の俺を気にしてくれた唯一の人物だ。
「早く着替えたら見せて貰うぞ、貴様がスキルを何処まで引き出せるようになったか知りたいからな」
すると祖父はいつの間に用意したのか分からないが、魔石を大岩に近づける。
魔石は吸い込まれるように岩の中に入って行き、その姿を武骨なストーンゴーレムへと変化した。