第二十九話 帰り道にて
走っていると徐々に絡みついている緑蛇は落ちて行くが、それでもまだ身体を一回り大きく見せる程にはしぶとく絡みついている。
街道ですれ違う人達は誰もが驚いた表情を浮かべるが、特に声を掛けてくる人は皆無だった。
俺が平然とした表情で走っている姿が余りにも不気味だったのだろう。
この俺の姿を見た人達の通報により、王都では噂が広まって真意を確かめる為に騎馬隊が出動する事になったらしいのだが、緑蛇の方にだけ視線が集まってくれたおかげで、俺の顔を覚えている者は誰一人おらず、俺の所に調べにくる兵士はいなかった。
このまま街道沿いを進んで行くのが本来の道のりだが、時間の短縮を図りたいので森の中を進んで行く事に決めた。
陽が落ち始め、視界が悪くなり始めた頃、いつから俺の事を見ていたのか知らないが、道を塞ぐように盗賊が待ち構えていた。
「おーい、兄ちゃん止まりなよ、この道を使いたければ俺達に通行料を払うんだ」
薄暗くて俺の姿を良く見えないと思うのだが、こんな山道を駆け抜けようとする、変な男によく話し掛けてくると、ある意味感心してしまう。
「はいはい、分かったよ、渡せばいいんだろ」
俺は身体に纏わりついている緑蛇を次々と剥がしては、盗賊達に投げていく。
「おいっお前、何を投げてるんだよ」
「ぐがっ」
緑蛇は盗賊の身体に触れる度に噛んだり、毒を吐いたりしている様だ。俺には何の障害も無かったが、盗賊達にとっては影響はあるらしく、その場にいた盗賊は口から泡を吐きながら倒れている。
それでも俺は緑蛇を投げる事は止めず、全ての子供達を盗賊の為に捧げてあげた。
「これで全部だけどいいよね、じゃ僕は先を急ぐので」
緑蛇の子供はどうやって食事をとるのか知らないが、盗賊を丸呑みする事は出来ないだろう。
ただ盗賊は目線を俺に送って来るが誰一人として答えてくれないので、そのまま放置する事に決めた。
また走り出そうとしたときに、思わず一人の盗賊が手にしていた物に目が留まる。
「これはいい物じゃ無いか、あれだけ渡したんだから代わりに貰ってもいいよね」
盗賊にしては良い魔道具のランプを持っていたので聞いてみた。
盗むのは盗賊と同じになってしまうので答えて欲しいのだが、誰も返事をしてくれないので了承したとして貰うことにする。
立ち去ろうとするとき、一人の盗賊が涙を流しながら何かを訴えている様な視線を向けてきたが、無視して走り出した。
彼らが盗賊でなかったらこんな事をする真似はしないが、これも彼等にとっては自業自得だろう。
死ぬまでにかなりの恐怖を味わう事になるかも知れないが、もし助かったら盗賊なんかは止めてまっとうに生きて欲しい。
「じゃあ、頑張って生きるんだよ」
俺は盗賊達の落とした武器を全て森の奥に投げ捨ててから走り出した。夜が終わり、朝日が登り切った頃、ようやく森から抜け出す事に成功した。
まだ走り続けると、前に祖父に腕を斬られた広場が見えてきた。
その事を思い出しただけであのオーク以上の恐怖が全身を貫いた。
たかが思い出を振り返っただけなのに、ここまでの思いをさせてくれるとは、あの時の祖父は何を考えていたのだろうか。
森を抜けたおかげで祖父の指定した時間より早く家に辿り着くにだが、その前に広場の井戸で身体を洗う事にする。
必死になって走っていた時には気が付かなかったが、俺の身体は余りにも汚すぎる。
緑蛇の絡みついていた場所は何だかネバネバしているし、強引に森を走り抜けたせいで色んなものが身体に纏わりついている。
仕方がなく裸になって着ている服を全て洗い。
ついでに身体を洗っている時に背後から声を掛けられた。
「アル様、何をなさっているのですか」
俺が振り向くとそこには幼馴染のソヒョン姉が立っていた。
彼女は年齢が俺より四つ上の初恋の人だ。
「アル様なんて言い方は初めて聞いたぞ、それより何でここに居るんだ。結婚して王都に住んでいるんじゃなかったっけ、やはり離縁されたのか」
俺はさりげなく下着を履きながら尋ねた。
俺の記憶が正しければ、三年前に祖父の紹介で伯爵家であるコレット家の次男に嫁いだはずだ。
「離縁なんてする訳ないでしょ、私はこの間から此処に住むことになったの、折角の王都暮らしだったのに私の旦那がラン爺ちゃんの護衛をする事になったから戻るはめになったのよ」
もう話し方が元に戻っている。
最初は何であんないい方をしたのか意味が分からない。
「確か国王様の近衛兵じゃなかったっけ、それが何でたかが領主の護衛に回されるんだ」
「あのねぇ、ラン爺ちゃんはこの国の宰相でもあるんだよ、名目上は今までよりも地位は上がっているんだから」
宰相なんてものは今までいなかったから知らなかったが、そんな事になっているとは、我儘を言えば地位も権力も与えてくれるとは国王様にとって祖父はどんな存在なのだろう。
勇者はやはり相当特別な存在なのかも知れない。
「ごんっ」
「何をするんだよ、普通、顔に石を投げるか」
俺が考えている時に、いきなり石を投げつけて来た。
ソヒョン姉は俺の顔を覗き込みながら石が当たった場所を確認している。
ソヒョン姉は顔だけ見れば、上品で俺が見た中で一番の美人だが行動が突拍子のない女性だ。
「へぇやはり痛く無いんだ。怪我もしていないんだね、面白いスキルじゃない」
「どうして俺のスキルを知っているんだ」
「当たり前でしょ、あんたは有名人だよ、いくらでも情報は出回っているに決まってるじゃない。勇者のスキルじゃないのは残念かも知れないけど、あんたは気にする必要は全く無いんだからね」
いきなり石を投げつけてきた人間とは思えない程、いきなり優しくなってきた。
あの行動は俺を慰める為だと信じたい。
「気にしてはいないよ、それもスキルのおかげかも知れないけどね」
「ふーん、身体の痛みだけじゃ無いんだ。まぁいいや別に家に帰りずらいから此処にいる訳じゃ無いんだね」
いきなり俺の手を引っ張って引きずるように俺を連れていく。俺は何とか剣だけは拾う事は出来たが、俺の力ではソヒョン姉の行動を止める事は出来ない。
スキルの力を発動したソヒョン姉には力ではかなわないし、俺の声が届く事はない。
目的を達成するまで従うしか俺には方法は残されていない。