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咲いて鳴いて、轟の華

作者: キョウカ

♪ Musicians

~作曲~ わたお(https://twitter.com/wataoP)

~作詞~ 牛肉(https://twitter.com/gyuniku32)

~MIX/Mast~ 毛布(https://twitter.com/maop_mohu)


♪ Illustration

~人物~ ゆづあ(https://twitter.com/CocoRabbt)

~扉絵~もりちか(https://twitter.com/marutar)

~華火~ シンスケ(https://twitter.com/sinsyou_sketch)


♪ Logo

葉桜ちこり(https://twitter.com/hazakurachikori)


♪ Movie

骨付きくぁるび(https://twitter.com/SAN_Q_SAN)


♪ Story/Direction【キョウカ】


♪ Music Video

https://youtu.be/iWfgON3Urn8

https://www.bilibili.com/video/BV1La4y1E7Sm?p=1

挿絵(By みてみん)


「やぁ」


 しばらくの沈黙を経て、

 君は暗闇で辛うじて見えているであろう僕に挨拶をした。君の事を僕は知っている――クラスメートの柊千世ひいらぎ ちせだ。大人びた見た目をしているのに表情はいつも子供っぽい。いつも多くの友人に囲まれて明るい笑顔を振りまく子、そんな記憶くらいしか僕は持ち合わせていなかった。


 僕は両手に持ったこのキキョウの花束を見て、どう挨拶を返すべきなのか一瞬迷う。

 夏休み、学校の外でクラスメートと会うのが変な気分だとかそういう訳ではない。

 ただ、僕は君の姿を何度も見直した後に少し震えた声で聞いた。


「なに、してるの……?」


 夏の終わりが近づき、今日は地域で花火大会が催されていた。

 遠い向こう側から感じる微かな熱気。ここはまるでそれのコントラストのようだ。

 人っ子一人見当たらないこの歩道橋で、柊千世は橋の手すりを乗り越えて立っている。


 きっとこの橋は呪われているんだ。僕はキキョウの花束を少しだけきつく抱き寄せる。

 でも僕だけがこの状況に戸惑っているわけはないようだ。ちょっぴり驚いたような表情をしていた君は悲しそうに笑顔を見せる。それを見て、全身の毛がそっと反り返るのを感じた――好きじゃない。

 遠くの空に打ち上がる数え切れないほどの花火が、色とりどりに僕たちを照らし出す。


 柊千世は首を小さく傾げると、満面の笑みで言うのだった。


「私ね、もう死ぬんだって」


 小さい人は、大きく見せようと背を伸ばす。

 金のない人は、意地を張ろうと着飾る。

 愛されない人は、格好つけてそんなのはいらないと言う。

 そして、辛くて耐えられない人はきっと下手くそに笑うんだ。


挿絵(By みてみん)


 君は目尻に溜まった涙が溢れると、笑顔のままだというのに頬にしずくが伝った。

 様子がおかしい事くらい誰だって分かる。

 僕は息の仕方を忘れそうになりながらも、勝手に前へ泳いでいこうとする右手を抑える。

 目がぐるぐるしそうで、今だってここから逃げ出したい気分だった。

 しかし柊千世は空を仰ぐと、涙が溢れないようにと目を大きく開く。


「死ぬんだって……絶対に絶対にもう死ぬんだって……」


 夏の重たい、あまり気持ちよくない夜風がハラワタに沁みる。

 君の涙はそれに乗せられ、光を乱反射させながら散っていった。

 柊千世はハッとまるで何かに追い詰められたような表情をして、おぼつかない視線をしきりに動かし始めた。

 だけど君の視線の先には何もなく、僕は次第にそのおかしなテンポに気持ち悪さを感じ始めていた。


 それでも、混乱する思考の中でただ一つ分かっていた事があった。

 それは、柊千世という人間がこのままだと本当に死ぬという事。


『ごめんね、ダメなお母さんでごめんね』


 なんとも言えない恐怖で後ずさろうとした僕の身体を、あの人の声が引き止める。

 風なんて吹いていないのに、手元のキキョウの花はまるで泣いてるかのように揺れ動く。

 またここから僕は逃げようとしているのか。耳鳴りがして、脂汗が額ににじむ。


「ごめんね」


 息が荒くなって、妙に喉が乾く。

 両足はバカみたいに重くて、僕は次第に視線を地面に落とし始めていた。

 そんな沈黙を破ったのは、僕でも花火でもなく君だった。


「巻き込んじゃってさ」


 次に僕が見た君の顔に、あの下手な作り笑いはなかった。

 本当にただ、なんの感情も持たない人形のような仮面のような顔だ。

 思わず、目が見開いて息が止まる。

 その顔を僕は知っている。申し訳無さなんて微塵も感じていないくせに。


 僕は一歩だけ、右足を大きく前に振り下ろした。

 鼓動が早くなって格好つかない姿になっているのも気づかないで、僕は大きな声で聞いた。


「なんで!」


 まるで言葉足らずだ。

 しかしそれは柊千世の注目を浴びるのには十分だった。

 君は眉を少しだけ動かして、僕の手にした花束をじっと見る。

 その表情は君から見たことのない、まるで別人のような鋭い模様。

 僕の後ろを柊千世は、ゆっくりと指差して言い放つ。


「もしも、私が死神に取り憑かれてるって言ったら……信じる?」


 後ろを振り返る。

 そこには何もなくて、ただの暗闇が広がっているのみ。

 なんて返せば良いのか分からない。汗が滲み出ているのを感じながら、僕は柊千世が既にまともではない事を察していた。


 僕は手にしていたキキョウの花束を持ち上げて、君によく見えるようにする。

 そして僕はその死神とやらの話をする代わりに、別の話をした。


「……僕の母親は、そこで死んだ」


 真意を読み取ったか、柊千世はそれを聞いてわずかに口を開く。

 君は僕が花束を歩道橋の端に添えるのを目で追った後、僕とは目が合う前に視線を逸らした。

 柊千世は呟くように言う。


「私を君の母親と重ねないで」


 僕は君のすぐ近くに立っている。

 二人を隔てるのは鉄の手すりだけだというのに、そこはまさに生と死の境目。

 僕たちは遠くに咲いては、鈍い鳴き声を上げる花火をぼんやりと見つめる。


 僕は君を怒らせてしまったのだろうか。

 無言で、僕は柊千世の横顔を観察する。

 まるで花火に掻き消されてしまった星々の輝きのように儚く、君はなんだか思いつめた表情をしていた。


「……それでも君のお母さんは、君の事を愛していたんだよね」


 柊千世の口から、ぽっと出たような言葉。

 僕は君の方をまた一度見ると、ゆっくりと視線を遠くの空に戻す。

 今までの、あの人との思い出や最期を思い返した。

 そして口から自然と溢れたのは――


「さぁ……遺書は僕の父親の事ばかり。まるで息子の名前なんか忘れたみたいだったよ」


 あの人が大好きだった花、キキョウ。

 その花言葉は従順と永遠の愛。死ぬまで恋人を待ち続けた娘がいたのだという。待ち続けていたって、その相手が振り返るわけでもないのに。


 母にはぴったりな花だった。


 花火の打ち上げられる音だけが鼓膜を震わせる。

 僕たちの顔は色とりどりと照らさてて、その度にこの状況に麻痺していく。

 学校ではほとんど話したことない子に僕は、誰にも打ち明けたことのない母親への想いを綴った。きっともしかしたら、死を目前にしている人になら分かってもらえると思ったのかもしれない。


「私も……お母さんにはいらない子なんだ」


 しばらくの沈黙がして、君はまるで底なし沼のように光のない瞳を僕に向けた。

 その真っ黒な闇に吸い込まれるように、僕は一歩また一歩とまた君に近づく。

 君との距離はもうわずか。身動き一つしないで立つ柊千世に僕は君が死んでしまうのを止める事も忘れて聞く。


「ねぇ、なんで死のうと思ったの」


 それを耳にすると君は何がおかしいのか、くすくすと笑い声を漏らした後に返す。


「だから、私を君の母親と重ねないでよ」


 僕がバツの悪そうな顔で眉をひそめていると、柊千世は少しため息をついてから言う。


「……みんな、いつか死神が来るの。私はそれが見えちゃっただけ」


 死神、か。

 僕は顔を背ける。微塵も死神の話を信じていないことが、君にバレちゃうんじゃないかと思ったからだ。

 でもそれも無駄だった。君はくすくすと少しだけ笑い声を漏らすと、ため息をつく。

 まるでからかわれているような気分にすらなる。


 夏の重い、あまり気持ちよくない夜風がハラワタに沁みる。


「――やりたい事、まだあったけどなぁ」


 その言葉に、あっと僕は声を上げた。

 気がつけば僕は君に向かって両手を目一杯に伸ばす。柊千世が飛び降りたからだ。

 腕が肩から外れそうになりながらも、僕は遠ざかる細い腕を掴む。

 身を乗り出す僕を振りほどこうとする君に、喉が枯れるくらいの大声で言った。


「嫌だ……!」


 自分だって驚いている。

 僕は込み上げてくる何かに耐えきれず、視界を揺らした。

 誰にだって、自分の人生の終わり方を決める権利があるのかもしれない。

 頭の中では分かっている。でも、それでも僕はこの胸が締め付けられるような感覚に「嫌だ……絶対に嫌だ……」と何度も口にする。


 君がどう納得しようがどうでもいい。

 ただ嫌だった。そんな酷い顔をして死んでいくのを黙って見送るなんて、もう嫌になったんだ。

 全身を揺らす柊千世に僕はさらに張り裂けそうな声で叫んだ。


「どうせみんな死ぬんだ、やりたい事全部やってから死になよ!」


「なんで……」


 僕の腕に君の爪が食い込んで血が滲む。

 それでも手は放さない。君の流す涙に、いつの間にかに僕の涙も混ざっていた。

 これはわがままな涙。自分やあの人を君に重ねた、自分勝手なお願い。

 視界が涙で溢れてよく見えない、でもこの吐きそうな程に湧き上がる一切合切の気持ちを僕は口にした。


「僕が全部叶えるから!!!」


 夏の終わり、千の華の打ち上がる夜。

 僕の涙と腕から滴る血が君の見上げた顔の頬に当たる。

 でも、たしかにこの時、僕の声は遠くの花火の鳴き声だって掻き消した気がしたんだ。

 柊千世は口を半開きにしたまま、驚いた様子で僕の両目をしっかりと見つめる。

 そして瞼をゆっくりと閉じると、諦めたように息を吸ってから返した。


「うん」



※※※



 たまに思うんだ。夏というやつは遠慮を知らないんだって。

 空から注がれる月明かりは淡いのに、空気は呼吸するだけで肺がやけどをしそうだ。

 僕はビルとビルの狭い隙間にひっそりと置かれた自動販売機の前に立つとコインを入れた。

 物音を立てて出て来るペットボトルを手に取ると、冷たく水滴の浮かぶそれを額にくっつける。


 二人分の飲み物を買うことはもうないんだろうな。

 そう考えながら僕は壊れた室外機に腰を下ろして、味気のないお茶を飲む。


『ところで君って誰なの?』


 柊千世が死ぬのをやめた晩。

 君はここで飲み物を買う僕を見つめながら、そう聞いたよね。

 クラスメートだっていうのに、ずっと片思いしていたっていうのに、まさか名前すら覚えてもらえなかったなんて。反応に困ったというより、自分の影の薄さに呆れていた。


『ねぇ、千世って呼んで。恋人ごっこ、しようよ』


 自分の苗字が嫌いだという君は、最初の願いをここで僕に伝えた。

 さっきまで死のうとしていたくせに。まるで遊ばれているようで嫌な気分になったのを覚えている。でも笑う君の瞳がまるで空っぽのように見えたから、僕は黙って君の手を握った。小さくて白いけど、たしかに生きてるって脈打つ君の手を。


 恋人ごっこがしたいんだって言ってたね。

 あの時、手を繋ぐくらいしか思いつかなかったけど。きっと驚いた表情を浮かべていた君には耳まで赤くした僕が見えていたに違いない。もうどっちがどっちに繋がれているのか分からなくなる。


 夜の道をしばらく一人歩く。

 立ち止まる。

 そっか、そして僕は君をここに、自分の家まで連れてきた。

 きっと夏の暑さで頭がおかしくなってたんだね。君の手を引いて玄関の中に入れたっけ。


 廊下を先に渡る僕は、なかなか靴を脱がない君に振り返り言ったかな。


「誰もいないから。大丈夫だよ」


 今は誰もいない玄関口を見る。

 そしたら薄暗い廊下で笑いが込み上げてきた。まったく僕って馬鹿なんだろうな。

 誰もいないから危ないっていうのに。


 でも君はなにを納得したのか『うん』と言って僕のあとをついてきてたね。

 決して広くないけど、誰もいない散らかった家だ。

 キョロキョロと見回す君に僕は口を開く。


「親はいないよ」


『死んだの?』


 おかしな子だと思った。

 でも今思えば僕達はきっと死に麻痺してたんだろう。

 僕は頷きながら返した。


「母さんは自殺した。父さんはきっと外で女でも作ってるんだろうね」


 破られた家族写真を無表情で見つめる君は月光に照らされていて綺麗だった。

 僕に同情しているのだろうか。それとも君自身と重ねていたのだろうか。

 君はその写真に触れると、なんだか悲しそうに僕を見つめていたね。


『やっぱり嫌いなんだ、家族』


 その時、僕は何も答えなかった。

 今だって何も答えず、僕はただ黙って君の夜色の瞳に視線を注いでいた。

 しばらくすると、君は写真から離れてソファーの上にそっと座る。

 暗闇を背景に目を細める君を見て、やっぱり君には星空が似合うと思った。


 頭の良くない僕はその時にやっと、ごっことは言え恋人役の女の子を自宅まで連れてきた意味を考え始める。すると急に君を直視できなくなったんだ。


「もう寝るね……」


 君を掴んだ腕がまだ痛んでいた。

 今だってその傷跡は残っている。でもあの時はそれよりもどっと疲れがやってきていて、寝室へと向かう事しか考えられなくなっていたっけな。


 不甲斐ないなぁ。

 女の子を一人残すなんて。ベッドに横たわって僕はそう思ってた。

 うとうとと、意識が揺らぎ始めて自分の鼓動が遠くなっていく。

 隣でマットレスのきしむ音が聞こえた気がする。


『おやすみ』



※※※



 朝は君のすすり泣く声で目が覚めた。

 今は誰もいない空っぽの隣を見つめる。

 僕の横で両耳を塞ぎながら丸くなった君を見て、あの時の僕はどうしたことかと思っていた気がする。

 君の匂いが染み込んだシーツに触れた。



『死にたくない……』


「願い事を全部叶えるまで死なせないよ」


 そっと言うと君は泣き止んで、静かに寝息をたてる。

 少し遅れて鳴り響く目覚まし時計を切って、僕は電子レンジにコンビニで買ったお弁当を入れて温めた…………でも黙ってレンジを止めた。

 コンビニ弁当は不健康だって言ってたね。自殺志願者のくせに。


『料理の勉強が好きなの。大人になったら自分のレストランとか開いてさ』


 夢を語りながら卵をとく君の姿を思い浮かべながら真似する。

 そして片手間でフライパンの油を弱火で熱してから、牛乳を冷蔵庫から取り出した。


「ただのスクランブルエッグなのに……」


『簡単じゃないよ? 牛乳で甘くした卵を余熱で調理するのがコツなの』


「難しいね」


 パサパサになったスクランブルエッグが出来上がった。

 それを食べながら「また失敗したよ」と向かいの席に言う。

 テレビから流れる同じようなニュースを聞き流しながら、僕は今日も朝食を終えた。

 いつものように、テーブルに千円札を置いてから立ち上がる。


「ほら、これでレストランだね」


 冗談のつもりで置いたお代なのに君があまりにも嬉しそうにそれを受け取るのだから、困ったものだった。ここが日本じゃなかったら、チップも必要だったのかもしれない。


 それから僕達は何日も家から出ずに篭っていたね。

 君が枕投げ大会を突然開催したかと思えば、下手っぴな絵を真剣に何時間も描いてたりしてさ。一瞬でも目を離すと次には何をしているのかまるで分からない。学校にいる時とは違って、君は案外落ち着きがない。


 でも夜になると君は死神に怯えて泣いた。

 本当は死にたくないと言って僕にしがみつく。

 可哀想だと夜な夜な思っていたよ。


 ある日、君は突然荷造りを始めたっけ。

 もちろん君は自分の荷物なんか持ってきていなかったから、全部ぼくの持ち物だったけどさ。実は心の中で君が家から出て行ってしまうのかと思って少しさびしく思っていた。


 だけど君はどこまでも君らしくて、心配そうに部屋の影から覗く僕を見つけるとニッコリと笑って言う。


『出かけよう!』


 目的地も知らされず、その日、君と電車の切符を二枚買って最初の旅に出た。

 まったく君は荷物を全部僕に背負わせる意地悪なやつなんだから、電車に乗り込む頃にはクタクタだったよ。


 そう考えると、今日は身軽で随分と楽だ。

 僕は切符を握りしめながら、窓際の席に座る。

 しばらくすると駅のホームの発車アナウンスと共に、窓の景色が流れ始めた。

 それを見つめながら僕は、ゆりかごのように心地よい揺れで眠りそうになる。


『うどんを食べるの』


 そんな眠気も君の言葉が頭で響いたから吹き飛ぶ。

 隣を見るとそこには両目を天井に向ける君がいた。

 僕は苦笑いをしながら、まさかとは思いながらも返す。


「それも願い事なの?」


『うん。香川のね、金毘羅山。うどんが美味しいんだって』


 とても真面目な顔をして言うもんだから、僕は何も言えずに視線を車窓に戻したのを覚えている。ついに家から出たと思えば、僕らの目的がうどん観光だったんだ。驚きよりもまず先に、君がどういう子なのかが分かってきたのが何よりも嬉しかった。


 でもそれとは別に君を失う恐怖も覚えた。この願い事を全部叶えたら君は本当に死んでしまうのだろうか。それとも死なないで、この恋人ごっこを続けてくれたら……。

 そんな事を頭で巡らしていると、いつの間に眠りに落ちた君が頭を僕の肩に乗せてたっけ。まったく僕達は何をしていたんだろうな。


 君の重みを肩に感じながら僕は本州と四国を隔てる瀬戸内海と山々を見つめる。青と緑のコントラストが夏の太陽に当って眩しいくらいだ。


『カノガウダキリヌゲト』


「え?」


 辺りを見渡す。

 車室には僕以外に誰もいなかった。

 僕は頭を振りながら、またかと歯を食いしばる。

 ダメだ、ここ最近は特にひどい。



※※※



 電車旅行なんて実際のところ、ほとんどの時間を寝て過ごす。

 あの日も僕達はいつの間にかに目的の駅について、そして香川の澄んだ空気を思いっきり吸った。


『聞いて! こんぴら船々の歌!』


 ……君は相変わらずだ。

 駅のスピーカーから流れる列車接近メロディに君は興奮した声で僕の腕を強く引いた。

 こんぴら船々~と歌詞を口ずさむ君に若干僕は「この子どういうマニアなんだろう……」と引きつっていた気がする。


 君に引っ張られて買ったペアのおみやげストラップ。

 スマホからぶら下げたそれを見てから、お土産店を眺める。

 客足の多いお店だけど、値段もなかなか高かったなぁ。


『琴平駅からだと、えっと……こっちか。よし行こう!』


 うどんは山の上にある金刀比羅宮でお参りしてからのご褒美らしい。

 随分と上機嫌に手を繋いでくる君に僕は戸惑いながらも、ついていった。

 今日もあの時と同じく、他の観光客でいっぱいだよ。


『もう見えてきた、あれかな』


 表参道を越えた後。

 金毘羅山の階段を登り始めて、そしたらすぐに大きな鳥居が見えてきた。

 君が『案外楽だったね』とか言いながら一気に階段を駆け上がる。だけどさらに上に続く階段を門の向こう側に見つけて、怪訝そうな顔をして立ち止まった。


「石段785段で本宮なんだって。ここはまだ最初の鳥居だよ」


 さっき買ったガイドブックを睨みながら僕は言った。


『……遠い』


 なのに君は眉間にシワを寄せると、まるで『そんなの聞いてない』みたいな表情をしてたかな。


「こんぴら船々とかは歌えるし、おいしいうどん屋も知ってるのにこれは知らなかったんだ……」


 よく分からない子だ。

 バツが悪そうな顔をする君を見て、僕は思わず笑ってしまった。

 そしてそれを思い出して、また僕は同じ場所で、この一之坂鳥居前で笑うんだ。

 心なしか、鳥居のとなりにいた狛犬像がため息をついているように見える。


 二礼二拍手一礼。

 本宮についたのは何度かの休憩を挟んでからだった。

 息切れをしながらお祈りする麗しげな君を、罰当たりな僕は薄目で覗いた。

 瞼を閉じた君の顔を見ながら、なにを願っているのかと考えていた気がする。

 きっと神様も呆れていたに違いない。


 でも今日は違う。

 目を閉じたまま「また来ました」とだけ心の中で、神様にお伝えする。


「金刀比羅うどん、二点お持ちしました」


 うどんを下山後のご褒美にすると言っていた君の判断は正しかった。

 終わりのないように思えた石段を昇り降りして数時間、足腰は疲労して胃袋は飯を食わせろと唸り声を上げる。


 目の前に置かれた二つのうどんを前に、僕は唾を飲み込んだ。


『なにを祈ったの?』


「なにも」


 本当になにも祈らなかったんだから今回も嘘じゃない。

 頭に響く君の声に素っ気なく返すと、割り箸を手にして二つにする。

 まずはうどんの上に載った天ぷらを口に運んで、噛むとジュッと溢れ出た油に舌をとろかさせた。やっぱりおいしい。これは本当に。


 でも一つ思い出して、僕は先っちょが噛まれてしまった天ぷらをうどんに戻す。

 そしてスマホを取り出すと、ちょっと工夫してまだ食べていない状態のような写真を撮った。


 うーん、湯気で少し曇ってるかなぁ。

 もう一度、今度は角度も気をつけて撮ってみる。


『うわぁ……写真撮らなきゃ』


 顔を上げると、一つのうどんに何十枚もの写真を撮る君が浮かぶ。

 前はバカにしてたのに、今じゃ僕もプロのインスタグラマーに違いない。

 そんなことを思いながらうどんをすする。


 今日は二人分食べないといけないのだから、張り切らないと。



※※※



 疲れきった身体を癒やしてくれたのは、君が見つけた旅館だった。

 ここの温泉は有名じゃないけど、隠れ名所なんだと君は言ってたね。

 さっき入ってきたけど、やっぱり君の言うとおりだ。

 肌の艶が戻ったかと思うくらいで、身体の重さが飛んで行く。


『温泉どうだった?』


 戸を引くと君が浴衣姿で布団の上に座っているのが見えた。

 僕は一瞬立ち止まって、眉をひそめた。

 部屋の灯りが殆ど消されて、暖熱色の光だけが布団の隣に置かれた和紙貼りの照明から漏れている。それは君の顔を儚げに浮かべていた。まるであの歩道橋の上で出会った時の君のように。


「…………どうしたの」


 なんとなくだけど。

 君が腫れた目を隠すために照明を絞ったのは分かっていた。

 今にでも壊れてしまいそうな君は怯えた様子で僕を見上げる。


『死神がここにいたの』


「死神ね……」


 可哀想な君。まともじゃない君。

 死神なんていないというのに、ないものに怯えるなんて理不尽だ。

 でも君は僕の考えを見透かしたように、睨んでくる。

 その目は僕を嫌う目だ。


『信じてないのは知ってるから』


「いや信じてる」


 嘘をついた。

 きっと君は僕の嘘なんかお見通しだろうけど。

 僕は部屋に入って、戸を閉じると背を向けたまま聞く。


「ソイツ、なんて言ってた?」


『…………』


 何も答えない君。

 息が荒く、泣きそうになっている君と背中合わせに座る。

 そして震える君の手を握ると、記憶の中の君にしつこくもう一度聞いた。


「なんて?」


 すると君はふふって笑うと、身体の重みを全部僕の背中に合わせる。

 僕の右耳には君の吐息がかかる。囁くように、そして飲み込むように君は言った。


『バキニアダキリ』


 身体が崖底に落ちるかのような感覚に見舞われる。

 ハッと目を見開いて、起き上がった。

 真っ暗闇の中で一人、僕は上半身を起こして部屋を見回す。


 鈴虫の音色が窓の外から聞こえる孤独の間で、僕は夢から覚めたことに気づいた。

 全身の汗がふきだして、心臓を掴まれたような悪寒に身を震わせる。

 ダメだ……このままだと危ない。僕は本当におかしくなってしまう。

 そんな気がした、その時――


『空いっぱいの星を見たいなぁ。それでオリオン座を君と私、どっちが先に見つけるか競争するの』


 あぁ、また君の姿が見える。君の声が聞こえる。

 僕の前にちょこんと座る君をぼんやりと見つめると、僕は静かに答えた。


「そうだね、長野県まで連れて行った。結局オリオン座はどこにあるか分からなかったね」


 君は思いっきりの笑顔を浮かべる。

 でもまだ言うことがあるのか、人差し指で髪を遊ばせながら言う。


『スカイダイビングしたい!』


「君は飛び降りるのが好きだよね……あれはお金がかかったよ』


 君が僕にさらに近づく。

 君の匂いがする。


『銃を撃ちたい。ほら、こうやってパーンって』


「わざわざ韓国まで行ったね」


 君の額が僕に触れる。


『陶芸』


「やった」


『イルカと泳ぐ』


「それもやった」


『ゲームセンターで豪遊』


「僕のお金でね」


『猫カフェで猫に埋もれたい』


「猫アレルギーだったの知らなかったよ」


『森でサイクリング』


「自転車下手くそなくせに」


 だめだ。

 これ以上は……。


『――好きだよ』


 目を閉じる。

 あぁ、僕は泣いているのかな。

 うまく息ができないし、心臓が苦しい。

 頭が痛くなって、何かが口から零れそうになって――


「全部……全部叶えてやったぞ!!!! 千世!!! お前が欲しいものも! 行きたい所も! 見たいものも! 全部叶えてやったぞ!!!」


 腹が爆発するように大声で怒鳴る。

 すでに見当たらない君の姿だけど、声だけは囁かれる。


『うん』


「なのに本当に死ぬなんて……僕が君の願いを全部叶えたせいで……」


『違う』


「死神のせいだって言うのかよ! またそんな意味のわからないことで!」


 耐えられなくなって、僕は立ち上がると走って便器の前に屈む。

 今日食べたスクランブルエッグもうどんも全部、吐き出して。

 君の笑顔だって、よく分からない優しさだって、頭のおかしい妄想だって、ぐちゃぐちゃにお腹から戻して……。


 もともと君が最期くらい満たされるようにと、だから願いを叶えてあげたんだ。

 分かりきっていた事なのに。君に置いて行かれた僕の願いは誰が叶えるっていうのさ。


 浴衣から床に落ちた金刀比羅宮のお守りを睨む。

 そこに記されているのは君の下の名前「千世」だけ。

 言ってたね、君は自分の苗字が嫌いなんだって。


『私のお母さん、再婚したんだ。だから私って邪魔なの』


 背後で君の声がする。

 だから振り返って言う。


「違う!!! 千世、お前の母親は泣いていた! お前が死んでからずっと!」


『ふふっ、自分は家族写真を破っていたのに? ずるい人だね』


 そうだ。

 僕は自分の事は棚に上げて、でも君の事は放っておけなかった。

 君には家族とうまくやって欲しかった。生きていて欲しかった。

 悲しさと怒りで僕は君の影を睨みつけると、眉が小刻みに震える。


「ずるいのは千世だ……僕をその気にさせて死ぬなんて……」


『死期なんだもの。交通事故だったんだもの。仕方ないでしょ?』


 死ぬ当日に遺書を用意してた奴がよく言う。

 そんなうまく出来た偶然の交通事故があってたまるか。

 僕は立ち上がって、部屋に戻るとテーブルに置いてあった君の遺書を鷲掴みにする。


「終わると思っていた。ここに来てまた君の願いを追っていけば……君が消えるんじゃないかって……」


 もう仕方がないんだ。

 紙いっぱいに書かれた君の気持ちを裏返して、そこに僕は筆を執る。


「会いに行く」


 窓を開くと冷たい夜風が吹いた。

 まったく君のせいで人生がめちゃくちゃだよ。


 窓枠に腰を下ろして、星一つない夜空に背を向ける。

 君の幻覚はもう見えない。

 もう見る必要もないんだろうけど。


 遠くで咲く花火を横目で眺めて、僕はこんぴら船々の歌を口ずさむ。

 それは美しく儚い轟の華。一つ咲く度に君との思い出が浮かび上がる。

 死ぬにしては勿体無いくらい気持ちの良い夜だ。


「まだやりたい事、あったかなぁ……」


 そう呟いて僕は身を投げる。



『ごめんね……』





 目を開くと、僕は見覚えのある歩道橋に立っていた。

 後ろを振り向くと、止まった夜の世界に君の千切れた死体が転がってある。

 千世と目が合う。


「死ねた……?」


 だけど君の死体がスッと消えたかと思えば、またいつものように世界が動く。

 歩道橋の下では車が行き交い、空の星空は薄く煌めく。

 橋の手すりを掴んでいた両手にゆっくりと視線を落とした。


「……なんで生きて」


 僕にはもうどこまでが夢なのか、どこまでが現実なのか分からない。

 金毘羅山には行ったのか。それともそれさえ妄想なのか。


「あぁああああ゛……」


 きっと、この歩道橋は本当に呪われているんだ。

 両目を塞いで、そして嗚咽を漏らしながら座り込む。

 まるで生きた屍のようで、なにをすればいいのか分からない。

 君が残してくれた記憶全部が僕の生きる理由を殺していくんだ。


『――バキニアダキリ』


 突然、耳元で囁かれた言葉に僕は息を止める。

 その言葉を僕は知っていた。


 詰まりそうな息で僕は恐怖に蝕まれながらも、目を開いて隣を見た。

 そこに立つのは暗闇の色をした痩せコケた背の高いモノ。

 僕を見下ろして、ニヤリと牙を見せる。


 腰が抜けて、身体がまるで赤子のように言う事を聞かない。

 両足だってガクガクと震えて、僕は情けない姿でソイツを見るしかなかった。

 それでも声にならない声で僕は聞く。


「お前は……」


『ミダヲキリニウハ?』


「ははは、そうか……」


 地べたに視線を落とすと、そこには君の遺書があった。

 僕はそれをゆっくりと手に取ると、折ってポケットに仕舞う。

 そして言葉をこぼした。


「……ごめん、君は最初からまともだったよ」


 僕は震える身体を奮い立たせて、歩道橋の向こうから上がる眩い花火に目を向ける。

 君がここから飛び降りようとした夜と同じだ。

 隣に佇むモノはうるさい獣のような呼吸をして、僕の身体をペタペタと触る。

 今なら君がここから飛び降りたくなった気持ちも分かるよ。

 不気味な姿をしたソイツを横目にそう思う。


『ウツノアヌキゲテラッキゴ』


「へぇ、それが僕の死期か」


『スネハヒサヲウ?』


「いや、別にそんなことはない」


 君と出会った日も、別れた日も、

 こんな夜だったね。


 咲いて、散っていく轟の華。

 その鳴き声に僕は背中を向けると、君と暮らした家のある方向へと歩き始めた。

 全部本当だったんだ。君の恐怖も、泣き顔も、笑顔も、死神も、それに最期の『ありがとう』も。


 おかしいな。こんな状況なのに、笑顔と一緒に涙が溢れる。


「おい、死神」


 振り返って、首を傾げるお前に僕は言い捨てた。


「最高な人生にしてから散ってやるからな」


 夏の終わり、千の華の打ち上がる夜。

 全部君のせいだ。と僕は悪態をついてみせる。

 ニンマリと、死神は嗤い声を響かせながら応えるのだった。


――うん。


 思い出が、つきまとっていた。

 君が、つきまとっていた。

 キキョウの花が僕に笑いかける。


 僕はたしかにまだ生きていたんだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 死神見えたら怖いだろうなぁ… いい話をありがとうございます^^
2020/09/11 19:57 わっはっは
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