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住職探偵SS 『透明高速』

作者: 建待吉作

 実に皮肉な目覚めであった。


「夢なら覚めればいいのに……」


 という圓観の声で、笹峰は目を覚ましたのだ。

 瞼を開く。自部屋に薄暗い闇が広がっている。視界の真ん中には木目の天井。そして右端には、三角座りをしている圓観が写った。


 背中を寂しげに丸めたシルエットは、悲壮感に満ちている。

 窓から差し込む月光に照らされたその表情は、ひどく沈んでいる

 乱れた前髪の隙間から覗く瞳は、コチラにすがるようでもある。


「こんな夜中に……どうしたんですか」

 笹峰は訝りながらも、心配を交えた声で訊いた。

「ずっと信じてた。絶対それがあるって、でも夢はさっきついえたの……もう

、全て知ってしまったの。夢見る少女じゃいられないの」

 圓観は独り言を呟くように、虚空に向かってそう言った。


「……具体的に何があったんですか?」


 圓観は少しのあいだ口を一文字に固く結んで沈黙したが、やがて罪を自白するようにポツリと呟いた。


「トウメイコウソク……ハローケイホウ……ヒコウショウネン…………」


 これで圓観が何を言わんとしているか分かった自分は、長年生き別れていたとはいえ、やはり姉弟(きょうだい)なんだと笹峰は思った。


「もしかして……透明高速、ハロー警報、飛行少年…………ですか」


「そう……今まで私はそう思ってた。なんて素敵なものがこの世にはあるんだろうって……」

そもそも言葉だけでは自分の今のセリフも本来通じるはずがないのだが、やはり姉弟きょうだいとだけあって向こうにも通じたようであった。


 圓観は暗闇のなか、何かをこちらに投げて寄越して来た。

「これに、真実がしるされていたわ……」


 広辞苑であった。


 そして、極めて退廃的に告げる。

「住職さん……人はね、知恵を得たから楽園を追われたのよ……」

 それはキリスト教であって、アンタは神主ではないか。

「でもね、何よりショックだったのがね……台風一家が台風一過だったてこと。その真実に到達してしまったときは、もう……この世の終わりかと思ったの……だって、だってね、素敵じゃない……家族だなんて……あたし、家族に憧れがあったから……でも、もうそれもおわり……」


 しかし圓観がこんな勘違いを、こんな歳までしてしまうのも実は無理もないことだ。と笹峰は思う。 奥世郷には、基本的にテレビやインターネットなどの現代機器が無いのだ。例外的に寺社や教会にはあるのだが、それも皆が特別な理由で集まった時しか見ることはない。よって、郷外の情報を得る媒体はもっぱらラジオになる。(といってもラジオも寺社教会か公民館にしか無いうえ、入る電波はNHKだけ)


 圓観の奥世神社には、それこそ電源を入れれば今にも玉音放送が流れて来そうな木製の真空管ラジオがあり、圓観はそれをしょっちゅう聴いていたのだ。もちろん、一般的な教育を受けていれば、子供じみた自分の思い込みに気がつくだろうが、圓観はとある理由で義務教育さえきちんと終えてないのである。あらゆる経典を暗記しているので記憶力は良いかもしれないが、常識力は極めて乏しいのである。


 笹峰は諭すように言う。

「圓観さん。それは誰もが通る道なんですよ。透明高速もハロー警報も飛行少年も、全てよくある勘違いなんです。みんなそれに気づいて大人になって行くんですよ」


 お前には失望した。と言う眼で、圓観がコチラを見た。


「夢を失うことと、大人になることは同じじゃないわ! 夢を失わなければ大人になれないなんて考えは、諦めた者達の言い訳よ!」


 急に尾崎豊みたいなことを言い出した。


「聞き間違えくらいでそんなにムキにならなくても……それに、いくらラジオしかなくてその単語自体にどんな文字を当てはめるか分からなかったとは言え、前後の話を聞いていれば大体予測がつくでしょう? 圓観さんの思い込みが強すぎるせいでもあるのでは?」


「大人の言うことに、惑わされたりなんかしないわ!」


圓観は尾崎チックに激怒する。


 ――そもそもそっちの方が年上じゃないか。とも思ったが、そんなことを言うとまた話がややこしくなりそうなので、何も言わないで黙っておいた。

「うわーんッ!! どうせあたしには無いんだわ! 夢も! 常識も!」

 黙っていると今度はそう喚いて、自分勝手極まりない涙を流し始めた。


 だが、涙は涙である。笹峰は泣く女にめっぽう弱かった。


「うわーんッ!! 飛行少年も飛行少女も、台風一家も、もう何処にもいない。うわーんッ!! 」


 だから焦った。

 心底、動揺した。

 ――どうしようどうしよう。なんとかしなきゃ。


 そして、笹峰は最悪の手に出てしまう。

 それは例えるならば、いきなり襲撃をうけた者が、手当たり次第に近くにあったモノを投げるような行為に似ていた。


「えーと、えーと、台風一家や非行少女はいなくても確か、近いモノはあったような、えーと、確か、えーと――あっ思い出した! 穴兄弟! 棒姉妹! ……ハッ!」


 どえらい物を投げてしまった。


 しかし、これも仕方なかったのである。

 今でこそ山郷で住職を拝命している笹峰だが、前職は大手興信所の探偵だったのだ。

 笹峰自身はあまり下卑た言葉を使うことは無かったが、周りは違った。

 例えば、探偵事務所内ではこんなよく会話がなされていた。

 『このまえ、オレが請け負った不貞調査やばかったわ。対象の経営してるスッポン屋の女性職員、社長である対象がほとんど全員に手を出しててさ、いやホントだって、それこそアルバイトの若い子から、パートのおばちゃんまで、ほとんどが棒姉妹よ。浮気どころじゃない、とんだ絶倫だぜ、五十過ぎてるくせによ。やっぱり凄いんだなスッポンの力って、オレも飲まなきゃ』


笹峰は一人の仕事を好んだが、大手だけに社員も多く他者との接触は避けられなかった。ゆえに穴兄弟、棒姉妹と言う極めて下品な隠語スラングは、いつのまにか笹峰の脳裏にこびりついており、それが今まさに最悪のタイミングでひょっこり顔を出したのである。

 

 圓観は泣くのを止めて、俯いていた顔をゆっくりあげ、まるで神々しいモノを拝するようにコチラを仰ぎ見た。

「ほ……んとに? ほんとに、そんなファンシーな存在が実際するの?」

 その双眸はまるで、地獄の底に突如として神が舞い降りてきたのを眼前で目撃したかのような救いに満ちていた。

 

 もうあとには引けなかった。


「え、ええ。いますよ間違いありません………………たくさん見て来ました」

 言葉の尻尾が消え入るように小声になりながらも笹峰はいった。

「ほんと! すごい、たくさんいるのね! ねぇ? じゃあじゃあ! 奥世郷にもいるかな?」

 爛々と目を輝かせながら、圓観は笹峰の胸に飛び込んで来る。

 圓観の頭の中ではおそらく、頭にリボンをつけた棒っきれの姉妹だとかが、ファンシーなイメージで手を取り踊っているに違いなかった。

「い、いるかもしれませんね……、つ、掴まえたら今度みせますよ……大っきい石とかはぐったら裏にいるかも知れませんし」

「ほんと! 嬉しい! あ、でもやっぱりさがす! 早く見てみたいから自分で探すわ! あ、そうだ! あした皆に手伝ってもらって森を探検してみることにする!」

「え! ちょっと! み、みんなって誰ですかッ!?」

「郷のお爺ちゃんやお婆ちゃん達に決まってるじゃない」


 ――ヤバい! 実際にそれらがどう言うモノか分かっていない圓観は、穴兄妹と棒姉妹を探すために、郷の老人達と一緒に山狩りをするつもりだ。


「物知りな和田さんや、山のことに詳しい雑方のおじいちゃん達にも聞いてみる! さあ、こうなったら明日は朝早くに起きなきゃいけないから、もう帰るね! おやすみ!」

「ええ! ま、待って下さい! そんなことされたら! そんなことされたら、私が大変なことに!」

 笹峰の制止も空しく、圓観は颯爽と部屋を走り去ってしまった。

 すぐにドタドタと階段を駆け下りる足音が響いたかと思うと、矢継ぎ早にガラガラと玄関戸を引いて外に出て行く音もした。


 あっという間にいなくなってしまった。

 あっという間に取り残されてしまった。



 非常に不味いことになった。

 圓観は郷人から現人神や生き仏のように敬われている身であり、かつ郷中のお年寄り達から孫のように可愛がられている存在でもある。そんな彼女に、坊主の自分が、真夜中に穴兄妹棒・棒姉妹などという下劣極まりない淫語について講釈し、あまつさえ今度それらに会わせると言った、と知れたらどうなるだろう。


  変態坊主、色欲坊主と郷中から罵られるのは必死である。


  いや、それどころか先ほど圓観は「和田」に話すと言っていた。和田は誰よりも圓観を過保護にしているこの郷の分限者だ。そんな彼に、今の事がしれたら――――。


 笹峰は深い溜息をついた後、身震いしながら布団を被り直して横になった。

 そして薄暗い部屋で、独り言を呟くように虚空に向かって言った。



「夢なら覚めればいいのに……」



                                            完

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