死の喝采
自分の足を見るのが好きだ。自分の足を見てると安心する。目の前の物から逃避できる。会話が出来る。ヒトになれる。誰かと話す際、僕は足を見てないとヒトではない。まともに会話もできなければ相手が気持ちよくなるような相槌もうてない。相手は変なモノを見るような目で見てくる、接してくる。それに僕は説得されてしまっているのだ、だから僕はヒトではない。抗って生きようとは思わないし思えない。とても弱い生き物なのだと思う。僕は今日もスーパーのバイトに行くために午前12時に目を覚まし、自転車でそこへと急いだ。自転車を漕いでる時の記憶はない。いつもそうだった、学生時代の登下校の記憶や毎日入ってるお風呂での記憶も。日々同じ事を繰り返してるとこうなる。バイトに行く道は毎回同じ道、同じ角を曲がり、同じ坂を登る。全てが体に染み込んでいてあらゆる感覚を使いながらそこへと導いてくれる。僕は意識的には何もしてないのだ。そんな事が続くような日々を送る事が僕にとっては地獄だった。こんなつもりじゃなかった。予想がつくような人生にしたくなかった僕は就職をしなかった。生きるためにしたくもない仕事はしたくなかったし、それに僕は長生きすることが人生の目標だとは思っていないからだ。小さい頃からの夢があった。僕は有名になりたかったのだ、どんなことでもいいから歴史に名が残るような、現代風に言えばウィキペディアに名が残るようなそんな存在でありたかったからだ。だがどうだろう、いまフリーターで、スーパーのバイトをしていて、ボロいアパートの格安家賃に住んでる若者だ。バイトだって「フリーター」という職業を背負うためにしているようなものだ。こんな生活は嫌だ、変わろう。そんなことは数え切れないほど思ってきたし、誓ってきた。でもその数が重なるごとにきっと僕の生活は押し潰されるように固まってきているのだと思う。身動きができない、抜け出せない。僕はバイトを終え23時に家に帰った。頭がいたい、そう感じた。どうやら風邪をひいたらしい。薬もなければ飲み物もない。水道水をがぶ飲みして僕は横になった。頭がガンガンした。今悩んでいること全てが自分の身体に衝突している気がした。どんなに頭を抑えても歯を食いしばってもこの衝撃治らなかった。この衝撃は涙腺をも攻撃したのだろう、僕はなぜか涙がでてきた。溢れ出てきた。何もない涙だ、悩み事が吹き飛ぶようなスッキリする涙ではない。身体で悩み事がろ過され、水だけが体外に出された。体内にはもとあった悩み事がさらに凝縮された状態で残り続けた。それは重いもので今にも気が飛びそうなものだった。それが肺にまとわりつき、呼吸ができなくなった。僕の部屋は暗かった。このまま死にたいと思った。どうせなら変わった死に方をしようとも考えた。その方が有名になれそうだったからだ。メッセージ性のある、カリスマ性に富んだ、誰も考えたことのないクリエイティブで超越的な死に方を。来世に僕は賭けたいと思う。せめてこの死で喝采を浴びれるのなら僕は喜んでいこうと、そう決めた時には僕は意識はなかった。