洗脳
今回は洗脳に付いて話す。
自分子供にこんな事を言ってみよう。
ぐず、何でこんな事も出来ないの、馬鹿、○○君がうちの子だったら良かったわ。
一年間毎日、十回をめどに行おう。
必ずオドオドした自身の無い子供が出来上がる。
これは一つの手法だ、『暴言を吐き続ける』だけで、次第に洗脳が出来る。
そしてこれを一歩進めよう。
子供を殴りつけて、謝らせて『屑でごめんなさい』とか、『馬鹿でごめんなさい』とか言わせてみよう。
より効率的に酷い状況を生めるだろう。
これは二つ目の手法、『言葉に出させる』だ。
さて、言葉に出させると言う洗脳方法がある事を知ったところで見てみよう。
『天にましますわれらの父よ、
願わくは、御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え。アーメン。 』
一年三百六十五日、食事の前に口に出させたらどうなるだろうか?
当然洗脳されます、自ら洗脳されてる姿はとても哀れです。
だが、本題はここではありません。
毎年三月に事件が有ります。
『仰げば尊し、わが師の恩♪』
卒業式の為の練習だと言い子供に何度もこの歌を歌わせるのは洗脳でしょう。
キリスト教の聖歌に洗脳の手法を学んでいませんか?
余りにも酷くて見ていられません。