第96話
心が晴れないまま翌日を迎えた。
最近の私はおかしい。こんな人間だっただろうか。
嫉妬なんてしたことがなかったはずだ。空に彼女ができたときだって、裏切られたと思うだけで嫉妬なんてなかった。それがどうだ。彼女でもない空のクラスメイトに嫉妬している。私の方が空に近いのに、私の方が空を理解しているのに。表の空しか知らない女に私は嫉妬した。
持っているシャーペンに力が入り、芯が折れた。
どうせ空のクラスは今日も文化祭の準備で忙しいから、数学の課題を終わらせるべく教室に籠っている。
きゃっきゃと楽しそうな笑い声が他クラスから聞こえてくる。
数学のプリントは問一で止まったまま。
気を紛らわそうと問一の問題文を読み課題を終わらせようとするが、どうしても内容が頭に入って来ない。問題文を読むのは何度目だろう。文字を追うだけの行為に意味はない。
「はぁ…」
自分が情けないのか、それとも疲れているのか。
よく分からないため息が自然とこぼれる。
シャーペンを置き、両手で顔を覆う。
なんなんだ私は。一体何があったんだ。
何で嫉妬なんてしたんだ。何で。
あの女が善い人だからか。空が褒めていたからか。分からない。けれどあの女の全部が嫌だ。嫌いだ。客観的に見て好ましいタイプの人間であることは分かっている。分かっているが、しかし、私には無理だ。
嫌いだ。あの女が嫌いだ。
何でお前が空に褒められるんだ、嫌いじゃないなんて言わせるんだ。
空にべったりしているのも気にいらない。
空に嫌われないように線を上手く引いているのも気にいらない。
空と釣り合いがとれているのも気にいらない。
しかも私に好きだと告白した所が大嫌い。気にいらない。全部全部気にいらない。
顔を覆っていたはずの両手の指は関節を曲げ、爪が皮膚にめり込む。
徐々に目の前が真っ暗になっていく。
私、こんな人間だっけ。
その疑問は解消されることなく心の底に沈んでいく。
顔が少し痛い。自分の爪が顔を刺激している。
上手く吐き出すこともできずただ指に力を入れることしかできない。
「失礼しまーす」
私しかいない教室の扉を開け、誰かが入ってきた。
今まで心理の勉強なんて一切したことがないが、今まさに嫌いだと思っていた人間が現れたことによって、私の頭はすっきりとした。冷静になった。
顔にくい込んだ爪をひっこめ、ぐちゃぐちゃした感情はどこかへ行ってしまった。
嫌いという事実は消えないが割と冷静になった。人間とは上手にできているもんだ。
「あっ、藤田さん!最近よく会う気がするね!」
「そうだね。滝さんはどうしてここに?」
何でもない風を装って尋ねる。
もちろん滝さんは私のこの感情を微塵も感じ取っていない。
「職員室に用があって行ったら、みっちーが、ボールペンとってきてくれって」
みっちーとはうちのクラスの副担任のあだ名だ。フレンドリーなあだ名から分かるように生徒から大変親しまれている人気者教師である。普段滅多にクラスへは顔を出さない。
「あ、入ってもいいかな?」
「どうぞ」
途中で止まっていた足を動かして教卓の方でゴソゴソ目当ての物を探す。
「なんか、プリントが多いね」
すぐに見つかると思っていたそれは、意外と見つからないようで。うちの担任は何でもかんでも教卓の中に突っ込むタイプの人間だから仕方ない。
「でも、何でボールペン?」
ゴソゴソ漁る滝さんとそれを見つめる私。教室に二人きりというのも気まずいし、なんとなく話題をつくった。
「みっちーがいつも持ってる三色ボールペンが使いやすいんだってさ。嫌だよねぇ、パシリだよ。あ、あったあった」
三色ボールペンを掴み、プリントだらけの中から腕を出した。
「また職員室に行かないといけないなぁ」
「大変だね」
「本当だよー。でも、文化祭の準備も今日頑張れば終わりそうなんだよね」
誰も文化祭の話なんて聞いてないんだけど。
気を遣って空に関する情報を提供しようとしたのか。
余計なお世話だ。
学校が終われば私と空の時間なんだし、第三者から聞かなくても近況報告くらいはしてもらっている。
「帰りはいつもより早く帰れると思うよ」
にっこり笑いながらそんなことを言う。
その笑顔とその台詞はなんだか挑発されているように思ってしまう。
本人にそのつもりはないのだろうが。
いちいち癪に障る。
あなたよりわたしの方が、空くんを知ってるのよ。そう言われているようで。
私にもやもやした黒い感情があるせいで、そう受け取ってしまう。
擦れば擦る程出てくる消しカスみたい。滝さんと接触すればするほど、ごちゃごちゃした感情が出てくる。
「あ、そうだ。今日クラスの男子が誤って空くんの服に絵の具を付けちゃって、すぐ洗ったから大丈夫だと思うんだけど、一応ハンガーにかけて乾かしてるから。空くんにも言ったけど、忘れないように藤田さんにも言っておこうと思って」
「………」
「本当、ごめんね」
申し訳なさそうにするその顔が嫌だ。
自然と口の形が歪む。
「…ねぇ、滝さんって」
自分で自分をチキンな奴だと何度も思ったことがある。けれど、意外と自分は言う人間なのかもしれない。
「ムカつくね」