第81話
俺から見た一条院姫子という女は、嫌な女だった。
初めて会ったのは中学に入ってすぐのことだった。クラスが同じで、席も前後だった。当時の席は出席番号順ではなく、早い者勝ちであったため教室に入った者から好きな席に座り、それが最初の席として定着したのだった。
教室に入り、一番に話しかけてきたのは一条院だった。金持ちオーラを振り撒いて笑いかけてきたあの女を見て思った。こいつは俺と同類だろう。そんな匂いがした。
「空さん、お久しぶりですわね」
午後七時前、この女と待ち合わせた。
今日は優とも会う予定を立てたらしく、先日優に電話をかけてきたときは流石だと思った。
本当に嫌な女だ。
「先程、優さんともお茶をしましたのよ」
「知ってる」
「優さんのお時間をありがとうございました」
神経を逆撫でするようなことをスラスラと言う。
腹が立ってくるが、こいつはそういうやつだ。
「今日は何の用ですか?もしかして、住之江さんのことですか?」
「....調べたのか」
「えぇ、空さんがわたくしに用事だなんて、つまりはそういうことでしょう?」
ニヤっとお嬢様らしからぬ笑みを浮かべた。
「ふうん、じゃあ俺がお願いしたいことも分かる?」
「そうですわね、学校からの排除、ですか?」
「正解」
住之江という女は、特別何かをしたわけではない。
ただ、アレは邪魔だ。
他の女のように遠巻きから俺を眺めていればいいものを、臆さず好きだなんだと言ってきた挙句に婚約したいだのと、いつか言ってきたのを覚えている。優には伝えなかったが。
「アレの家、そこそこの家でしょ」
「あら、何を言っていますの。住之江さんのお宅は庶民と変わりませんわよ」
「その一般庶民にしては、まあまあな家でしょってこと」
「そうですか?」
規格外の金持ちは感覚が違うようだ。
恐らく庶民の基準が普通と違う。
「この前婚約の話を持ち出されて、生理的に無理なんだよね」
「ふふ、婚約ですか。身の程知らずとはこのことですね」
「俺がアレと婚約っていうのはまずないから心配はしてないんだけどさ」
住之江という女は、恐らく卒業しても追いかけて来るような奴だと思う。
婚約がしたいと言っていたが、あれは自分より権力や地位のある人間と一緒になりたいということだ。今、通っている学校の中では俺がそのポジションにいる。
顔、頭脳、家と完璧な人間である蒼井空を欲しているのだ。優が気づいているかどうかは知らないが、欲に塗れた人間というのは案外分かりやすい。今回は飛びぬけて、だ。
自分のことしか考えていない。人間皆そうなのだが、それを表に出さないのがほとんどだ。
住之江という女は、目の前に好きなケーキが置かれてあったら真っ先に取りに行くタイプの人間だ。隣にいる友達と話し合うことをせずに。
優に対して「片想いを許してくれ」と言ったのも、優から俺を横取りできないと思ったからだろう。誰がどう見ても俺たちはカップルにしか見えない。
「ただの幼馴染なら藤田先輩が協力してくれるかも」と考えての行動だっただろう。何らかの形で優と接点を持ちたかった。良い印象を与え、優に好感を持ってほしかったのだ。
残念なことに優は少女漫画のヒロインのような女はあまり好きではない。「片想いを許してくれ」と言えば「なんて正直な子、応援する」と返してくれると考えていたのだろうが。実際は「何だこの女」という不信感を優に与えることになった。
俺を必死に追いかけるあまり優の性格までは把握できなかったのか。
「このままだとずっとあいつ纏わりついてくるんだよ。嫌じゃん」
「なるほど、今回は優さんのためというよりも自分のためだということですね」
「まあ、そうなるかな」
優は阿保だから、あいつが何を目的としているかなんてこれっぽっちも分かってないだろう。そこが可愛いのだけど。
「こちらで勝手にその住之江さんを調べてみました、どうやら自己中心的な面が多いですわね」
「どうにかしてー、イチジョーイン」
「わたくしは青いタヌキではないのですが。まあ、いいでしょう」
一条院とは仲良くした記憶はない。
ただ同類ということで使える場面が多々あると踏んだから、今もこうして連絡を取っている。俺がこういう奴だと知っているのは、女の中では優とこいつくらいだ。
優とも仲良くさせようと思い、交流の場も設けたりして繋がりを持たせた。こいつは金持ちだし、なかなか良い性格をしているため、いつか優の役にも立つのではないかと思ったからだ。
「で、何をしてくれんの」
「偉そうに言いますわね。あなたがどうしたいか、言ってみてくださいな」
ファミレスに来たというのに注文もせずに話す俺たちを通りすがる店員が盗み見る。
しかし容姿が容姿なだけに、話しかけるのが躊躇われるようで何も言われない。
「そうだね、じゃあ、あの女をそっちの学校に入れてよ」
「そう言うと思いましたわ」
ケラケラ笑って、「よろしく」とお願いした。
今の学校で俺が狙われているのは、あの女より上にいるからだ。
普通の公立高校なので、庶民ばかりの学校で俺は当然目標になってしまう。俺の親が金持ちだといっても、目の前に座っているような本物の金持ちには敵わない。
しかし金持ちお嬢様ばかりいる華ノ女子に行けば目当ての人間がわんさかいるのだ。
たった一人優れた男がいる公立高校より、自分以外のすべてが優れている華ノ女子に通う方が何倍も良い。
優れた婚約者が欲しいのなら、そこのコネでいくらでも紹介してくれるだろう。
「しかし、あの方は一度華ノ女子に落ちたことがあります」
「え、そうなの」
「はい」
「でも大丈夫でしょ」
「はい、一人くらい庶民が入った所で問題ありません。一度落ちた華ノ女子から招かれるのですから、泣いて喜ぶはずですわ。ただし、入学した後はどうなるか分かりませんが」
「あはは」
「礼儀を知らない、コネも金もない小娘を誰が相手にしましょうか。せめて内面がまだ清らかであれば、希望を持つくらいは許されるでしょう。使えない小娘は、この世界でいないも同然の価値ですわ」
これを世で悪女と呼ぶ。
ゴミ虫を見るような目で吐き捨てた台詞を優に聞かせてあげたい。
「華ノ女子の学費は庶民に厳しいかもしれませんね」
「そだね」
「それでも、容赦なく貪りつくすのが金持ちというものですわ」
にこりと笑ったその瞳は濁っていてとても好ましいものだった。