第68話
純粋に空のことを好きなのか、美形が好きなのか、健太くんはその後も空にべったりだった。私がちょっといない間に一体何があったのだろうか。
空の膝から動こうとせず、ずっと空にくっついている。
こんな幼い子でも美形に反応するのだろうか。私よりも初対面である空の方を好きになる理由なんてそれくらいしか浮かばなかった。
空は子どもが好きじゃないものだと思っていた。クソガキだのなんだのと笑いながら言ってくるものだと思っていた。
子どもに直接言うことはしないが、笑いながらあしらったり、相槌を打って済ますくらいだと想像していたのに。
どうやらそれは杞憂だったようで、空は楽しそうに健太くんの相手をしてあげている。
子どもらしい滑舌で、何を言っているか分からなくても「そうなんだぁ」「すごいね」「どれ?」と優しい声色で会話をしている。
父性でも芽生えたのだろうか。
健太くんも、美形のお兄ちゃんが構ってくれることを喜んでいるようにも見える。
こうして眺めてみると、仲の良い兄弟にも見えるし、親子にようにも見えなくもない。
「優、お昼ご飯どうするの?」
「あー、どうしよ」
と、言いつつも空に作ってもらう気満々である。チラチラ空を見たら苦笑し、「いいよ」と頷いてくれた。
「健太くんも食べるから、うどんがいい」
「うどんか。麺ある?」
「冷蔵庫にあると思う」
なんだか夫婦の会話に聞こえる。作るのは空だけど。
「そろそろお昼だし、もう作ろうか」
「うん」
「じゃあキッチン借りるね」
健太くんを膝からおろし、台所に向かおうとすると空は動きを止めた。
見ると、健太くんが空の服を引っ張っていた。
「むー」
行くな、ということらしい。
もっと遊べ、と。
「ごめんね、お昼ご飯作ってくるから」
空がそう言って健太くんの手を自分の服から離そうとするが、いやいや、と頭を振る。
そして空にぎゅーっと抱きしめ、空はお手上げだった。
困ったな、空にお昼ご飯を作ってもらいたいのに。
その間私が健太くんの相手でもしようかと思ったが、どうやら健太くんは空を気に入ったようで、空の肩に顔を埋めている。
ここで無理矢理離したら、わんわん泣き叫ぶだろう。
この短期間でどうやったらそんなに懐かれるのか、空に詳しく聞きたい。
私の方が先に仲良くなったのに。
ちょっとした嫉妬で空を睨む。
仕方がない。
「分かった、じゃあ私が作る」
「えっ!?」
健太くんが空を気に入って離さないのなら、私が昼食を作るしかない。
空は唖然と口を開けた。
なんだ、そんなに驚いて。
「ゆ、優が作るの?」
「仕方ないでしょ」
「いや、だって、今まで料理なんてしなかったじゃん」
「やればできる」
「…できるの?」
「なんでそんなに不安そうなの。うどんくらいネットで調べれば作り方載ってるよ」
「そうだけど…火には気を付けてね。あ、優の家もIHだっけ?包丁はちゃんと持つんだよ、左手は猫の手の形にするんだからね。火傷しないようにゆっくりやるんだよ。あと...」
「もう、うるさい」
母親よりうるさい。
うどんを作るだけなのに、馬鹿にしすぎ。
麺を袋から出して鍋に入れる。料理とはいっても、することはそれくらいでしょう。
そういえば、私が料理をするなんていつぶりだろうか。
たまに手伝いをするといっても、皿を出したり箸を並べたりするくらいなので、包丁を持ったりするのは久しぶりだ。
台所に立って必要な材料や道具を引っ張り出す。
空に「手料理が食べたい」と何度か言われたことがある。空が言う手料理とは、私が手の込んだ料理を作るという意味ではなく、私が何かに触ったものを食べたいという意味だ。
例えばキュウリを切ったのでも、空の言う手料理の内に入るのだ。
それでも私は特に何かを空に作ってあげたわけじゃない。
バレンタインだって興味なかったが、空がチョコを欲しいというので市販のものを渡した。
私は空に、手料理をふるまったことはないのだ。
空自身も、私にそこまでは望んでいないらしく、キュウリ切って渡せば喜ぶ。
「俺が作るから、優は何もしなくていいよ」といつか言われた。私はそれに遠慮なく甘えたわけだが。
「うどん レシピ」と検索した結果、一番上に出てきたサイトを開く。
イラストと作り方が書いてある画面を眺め、ため息を吐く。
麺はあるから、つゆを作らなければならないらしい。
それなのに、水はカップ何杯だとか適量だとか書いてある。
何、カップって。どのカップのこと。
適量って何。どのくらいが適量なの。スプーン一杯ってことなのか。どのスプーンを使うの。
料理に慣れている人ならすぐに分かるのだろう。
適量はこのくらいだとか、勘で分かるのだろう。
私は全く分からないのでそれもまたネットで調べるのだ。
いつも空に頼りっぱなしで、何もしなかったからこういうことになる。
分かってはいた。私一人じゃ何もできないことくらい分かっていた。
だが、あまりにも私は、空がいなくては生きていけない女らしい。
遠慮なく甘えていた私の人生。
これからも甘えるつもりだが、基本くらい教わろうと誓った。