第53話
西島くんに話を聞いてみようかと思ったが、一年の教室へ行くのは抵抗がある。かと言って西島くんの連絡先は登録していないので直接話す以外選択肢はない。
仕方なく一年生の教室へ向かうが、彼は何組だっただろう。話しかけに行く以前の問題だ。足を止めて西島くんのクラスを記憶の中から取り出そうと頑張るが、そもそもそんな話をしていないような気がする。
どこのクラスか分からなければ接触はできない。空に聞いてまた明日出直すしかない。一年生の教室に行くと注目されそうで嫌だったので、ほっとしながら踵を返した。
職員室の前を通り教室へ戻ろうとしたら、階段の裏から人の男女の話し声がした。あんなところで何をしているんだろうか。階段の裏で男女がするナニとは、まあ、ひとつしかないだろう。恋人との一時を満喫しているのかと思いきや、「最低!」と相手を罵る声が聞こえたので足を止めた。
どうやら満喫しているのではないようだ。その逆、修羅場らしい。野次馬根性がないと言えば嘘になるが、見ず知らずの男女の恋などさほど興味はないのでそのまま立ち去ろうとした。
「えぇっと、そう言われましても...」
この声は、空だ。毎日隣で聞いている声を間違えることはない。
空の声に反応してピタリと足を止めた。
先程の「最低」という声は女の高い声だったので、今罵られているのは空の方だ。
珍しい、空が女に罵倒されているなんて。いや、珍しいというより初めてかな。
男の方が空だと分かるとその話を聞くため立ち止まったまま、耳を澄ます。
丁度周りには誰もいない。
私は遠慮なく耳を大きくして盗み聞きをする。
「本当にありえない、覚えてないなんて何様なの!?」
耳がキーンとなる高い声で叫ぶ女子生徒。もしかして、瀬戸先輩だろうか。
さっき空は敬語を使っていたようだし、空に向かってそんなことを言うのは今のところ瀬戸先輩しか思い浮かばない。なんとタイミングの良いことか。西島くんに聞きに行くより早いではないか。
「瀬戸先輩と俺、何か関わりありました?」
「はぁ!?ないわよ!あるわけないでしょ!」
「.....えっと」
「本当に覚えてないわけ!?昨日のあたしたち見ても何も思い出せないっての!?」
顔は見えないけれど多分空は困惑しているはずだ。私も空も、瀬戸先輩が何の話をしているのか見当もつかない。覚えているとか覚えてないとか、どうやら過去の話をしているようだ。
自分ではない誰か、もしくは何かを思い出せと訴える瀬戸先輩。
空と先輩に直接的な関係はないが間接的な関係はあるみたいだが、空は思い出そうとしていないだろう。考えても分からないものはどれだけ考えたって分からない。少し記憶を探ってみて思い当たることがなかったらそこで終了だ。今、空は目の前の女から逃げる術を探しているとこだろう。
ここは私が助けに入ってあげよう。
あの中に割って入ったら瀬戸先輩に殺人犯のような目で睨まれ、嫌味のひとつやふたつ言われそうだ。
それでもなんだか空が可哀想なので止めていた足を動かして階段裏まで歩く。
静かな空間にペタペタと上履きの音が響き、二人もその音に気づいたのか会話をやめた。
誰だよ、という顔でひょこっと階段裏から先輩が顔を出した。
「あ、えっと、こんにちは」
普段と変わらない声量で声を出したがやはりここは響く。
声色で私だと分かった空も顔を出した。
「あ、優」
「そろそろお昼休み終わるから探しに来たよ」
「もうそんな時間?じゃあ先輩、この話はまた今度」
これでやっと解放された、という笑顔を見せながらその場を立ち去る。
「本当にクズ野郎ね」
ボソっと呟いた先輩に空が返事をすることはなかった。
無言で肯定を示しているのではなく、その言葉に答える義理はないという意味だ。
あれは俺に対して言ったのではなく独り言だ、きっとそう思ったはず。
まだ階段裏に先輩がいるので愚痴れない空と、聞けない私。
隣で歩く空の足音を感じながら、ふと昨夜読んだ少女漫画を思い出す。ヒロインと主人公がいて、良い雰囲気になった途端現れた謎の女。その正体は、主人公が幼い頃仲良くしていた女の子だった。久しぶりだね、私の事覚えてる?と登場した女。
そして今、空に「覚えてないの?」と言った先輩。まさかあの台詞は.....。
でもあれは先輩が自分を指して言ったのではなく他のモノに対してのことだった。昨夜読んだ少女漫画のような展開にはならない。
ううむ、頭をひねってもこれといった推測すらできない。
「帰ったら話そうか」
完全に先輩の気配がなくなってから空は言った。
私は話すことがないのだが、空は愚痴を吐き出したいのだ。
怒りを露わにして突っかかる先輩に苛ついているのは察している。
私も空と同じ立場なら「は?なにこの人」と思うだろう。
覚えてないのか覚えてないのか、と詰め寄られるとちょっと怖い。
空は何か思い出したのかな。
何の色も出していない顔からは読み取ることができなかった。
私は「分かった」とだけ言って教室に戻った。