第38話
空の国語の授業であるというのに、いつの間にか福永さんの授業になった。
空に質問をしているのに福永さんが返したり、わざわざ黒板前に立ってチョークで教えていたり。
さすがに皆も呆気にとられ、そしてなんなのこの女という視線に変わった。
空も教えるには教えるが、何故か福永さんは席に戻ることなく空と二人で黒板の前に立っている。
空の教え方は丁寧で、要点もまとめてゆっくり言葉にしていた。しかし福永さんは達筆な字を黒板に書き、それを皆に板書しろと言うのだ。空もたまに黒板に書いているが、難しい漢字や大切なとこだけ等短い字を書くだけだ。
そして極め付きは指名制。「これ、分かりますか」とその辺に座っている生徒を指名する。教師のような振る舞いに皆苛立っているのが分かる。空が教えるときは分からないところを口にしたり、分かったら「あぁ!」と納得した声を上げる。だが福永さんが教えるときになると皆俯き口を閉ざす。空も察しているようで苦笑いしかできないようだ。
最早この女をどうすることもできない。そう思っていると後ろら辺に座っていた空のお友達が聞こえるか聞こえないくらいの大きさで喋っているのに気付いた。彼等は学年でもチャラい部類に入る人で空がいなければ校内男子ランキングで上位に入っただろう。そんな彼等は空とも仲が良く、空に近づく害虫の愚痴を廊下などで話しているのをよく聞く。
福永さんが教えている静かな教室では彼等の声がよく聞こえる。
「つか何様だよ」
「デブが調子乗ってんじゃねえよ」
「早くどっか行けよ」
「空の話を聞きに来たんだっつの」
そんな話がよく聞こえるので周囲の人たちもクスクスと悪い笑みを見せている。
福永さんには届かなかったようで、皆の笑いにつられて笑っている。それを見た皆は一層笑みを深くした。
空は彼等とよく一緒にいるため彼等の性格なども熟知している。今何故皆笑っているのかも大体見当は付いているだろう。
「あ、もうこんな時間。ごめん、俺そろそろ帰らないと」
空が時計を見てそう言うと、残念そうな顔で溢れかえった。
それもそうだ。空に勉強を教えてもらおうと来たのに何故か見知らぬ女が横から偉そうに教えだしたのだから不満しかない。
「空くん、明日もやってくれる?」
「もちろん、俺でよかったら」
爽やかに笑う空に、その不満も薄まったのか明日やることを聞き始める。
「空くん教え方上手いもんねー、わたしも見習わないと」
誰に言うわけでもなく、ただ教室にいる人たちに聞こえるよう言った福永さんだが、個人的には他に見習うとこがあるだろうと思う。
私が推測するに、福永さんは空主催の勉強会に毎日足を運ぶことになる。
今日この時間で、福永さんのことを知らなかった人たちは敵意を持ったことだろう。そして彼女がまた明日も来るのではないかと危惧している。もし福永さんの中で明日も行くという選択肢がなかった場合、私たちが「明日も来るの?」と一言聞けば「来てほしいのか」という解釈をし、行くという選択肢しかなくなる。こういう女だということを去年知った。
「そこの、空くんの横の人、明日も来るの?」
福永さんがどういう女か詳しく知らない子が聞いた。
「あー、そうしようか。じゃあわたし明日も来るね」
こういう女だ。福永さんに尋ねた子はショックが隠せない様子でしょぼくれていた。
数多くいる空のファンであるその子は、空が教えるし勉強できるしで万々歳だったのに。福永のせいで空を堪能できなくなったようだ。
「空くん、明日は数学なんだよね。わたしも教えようか?」
あろうことか明日も教えだすと本人の口から出た。自分は理系だし空くん一人じゃ大変でしょう、と後付けしていたがその顔はとても楽しそうだ。
皆の嫌そうな顔が見えていないのか。あまりにも目が小さい上に肉に押しつぶされているからといって、前に立っているんだから皆の表情くらい伺ったらどうだ。
「大丈夫だよ」
「でも数学って理系と文系に分かれてるから範囲も違うでしょ?二人でやった方が効率良いと思うんだよね」
「ふうん...じゃあ俺は文系の数学やるから福永さんは理系の方をやってくれるかな。文系の数学は理系にとっても基礎かもしれないし、文系の人と理系の数学が苦手な人は来なよ」
「了解ー、じゃあ空くんはこの教室でわたしはわたしの教室でやるね」
理系がどういう数学をしているのか知らないが、明日の数学は空の方に人が行くだろう。いくら文系の数学をやるからといっても問題を各々で解く時間がある。その小さく空いた時間で理系の子が質問しに行くだろう。福永さんは文系より上の数学である理系の方を教えて、と空に頼まれたのが余程嬉しかったのか、ルンルン気分で帰る支度をしている。
外を見ると雨脚が激しくなっており、折りたたみ傘しか持っていない私は鞄から取り出した。
「優ちゃん、大きい傘持ってきてなかったの?」
「うん」
「えっ、朝の天気予報で雨っていってたのに?天気予報くらい見なよ」
天気予報を見るのは人として当然だとでも言いたいのか、大袈裟に驚いてみせる福永さんは人を苛つかせる天才だ。
「じゃあねー!」
室内にいる生徒たちは皆友達だと思っているのか、大きな声で言うが誰も反応はしなかった。
福永さんが教室から出て行った後、あちこちで失笑の嵐だった。
「何、あのデブス」
「イタイんですけど」
「はーい、明日あのデブのとこ行く人挙手」
「いませーん」
「空の話を聞きに来たのに誰あいつ」
「福永雅でしょ、あいつ友達いねえよ」
「デブでブスでウザいって無理」
空は悪口なんて聞こえないフリをして福永さんが書いた黒板のチョークを消している。
「あいつ空くんに消させてるよ、ブスのクセにイケメンの手を煩わせるなよ」
そりゃそうだ。
「藤田さんあの人と友達なの?」
帰り際に嫌そうな顔して数名の女子が寄ってきた。
「去年クラス一緒だった」
「あー、なるほど」
友達と言わない私に満足したのか、教室を出て行く。
そう、友達になった覚えはない。なのに馴れ馴れしいあの人は自分のことをフレンドリーだと思っている節がある。馴れ馴れしいをオブラートに包んで誰かが言ったのだろう、その言葉を本気で受け取っている。物は言いようだ。
他の子たちの位置からでは見えない空の顔を盗み見ると、無表情だった。