第25話
今日も迷うことなく図書室へ行く。去年まではあった漫画も、今年校長が変わってから図書室から姿を消した。新校長は文武両道を掲げていたが明らかに勉強の方へ力を注いでいる。取り合えず進学校だった南高校を国公立の大学に入れる学生を育成したいと最初の挨拶で言っていた。そのため、勉強の邪魔になる漫画は排除したと司書さんが悲しそうに呟いていたのを耳にした。種類豊富だった漫画も撤去されたことで、生徒も図書室へ足を運ぶのはやめたようだ。去年の半分の人数しかやって来ないと、これまた司書さんが嘆いていた。漫画を読みたいと思う生徒の気持ちもわかるし、どういう理由であれ図書室に来てほしいとほぼ初対面であった私に語った。難しそうな新書を寂しそうに棚に並べる司書さんは、哀愁が漂っていて少し可哀想だった。
漫画がなくなり図書室に通う生徒が減ったというのに、勉学に力を注ぐとはこれまたおかしな話だ。
難しそうな新書が新書コーナーに並べられているものの、その分厚さが高校生には寄せ付けない。
その本を手に取って、表紙や中身をざっと見るがやはり受け付けない。作者を見ると外国の人で、ネットの評価を見ると「同じ名前の人が何人もいて、誰が誰だかわからない」という感想が多かった。
私も無理だ、とその本を戻そうとしたが貸出カードに何か書かれてあるのに気が付いた。誰かが借りたのだ。こんなものを読むなんて、とその名前を読むと「笹本歩」とあり学年は一年だった。
「おや、君は確か」
「あ、先生...」
性別が分からないな、なんて思っていると司書さんが司書室から出てきた。白髪交じりの灰色はそろそろ定年であることを匂わせる。しわしわの顔で目尻を下げて笑う顔は優しいおじいちゃんという感じだ。
「まあまあ、こっちに来なさい」
そう言われ、司書室に案内された。図書室と扉一つで繋がっている司書室は、図書室より狭いが本の量は結構ある。
椅子に座りなさいと促され、遠慮なく座った。そういえばこの司書さんの名前は何だっただろう。司書さんと呼ぶのもなんだか変な感じがするし生徒も先生と呼んでいるから私も司書さんを先生と呼ぼうと思った。
「名前は何だったかな?」
「二年の藤田です」
「そう、藤田さん。ここ最近はよく来るんだね」
「はい、友達を待つのに時間がたくさんあって」
「そうかいそうかい、良い本はあったかい?」
「昨日ミステリーを読みました」
「ミステリーだったらね、この本が面白いよ」
本の話ができて嬉しいのか、それとも私という生徒と話せて嬉しいのか。両者だろうか。
「この作者はね、他にもこういう本を書いてて」
「へえ、そうなんですね。今度借りてみます」
「うん、あ、さっき新書を見てたみたいだけど気になるのはあったかい?」
「え、と....あまり」
「はは、そうかい。そうだろうねぇ」
もう少し読みやすいものであったなら私も読んだかもしれない。分厚い本が嫌いなわけではないし、面白そうだったらさっさと席について読んでいる。
「あ、でも、さっきの新書の貸し出しカードにもう名前がありましたよ」
「あぁ、笹本さんじゃないかね」
「そうです、一年生みたいでした」
「そうそう、よく図書室で見かけないかね?眼鏡をかけた女の子なんだがね」
もしかして、あの子だろうか。よく見かける、あの一年生の。
あの子が笹本歩さん?
「笹本...何て読むんですか?アユミ?アユムではないですよね、多分」
「そう、アユミさん。彼女はたくさん本を読んでいるんだよ。毎日のように決まった席で」
「へえ、仲が良いんですか?」
「うーん、そう言われると...。彼女、あまり喋らないから、大人しいというか、無口というか」
苦笑いする先生は、笹本さんと仲が良いわけではないようだ。普通、毎日通っているのなら司書の先生とも仲良くなるものだと思っていたが。先生も気さくで話しかけやすいしとてもフレンドリーだ。
クールな一匹オオカミなのか、それともただ会話をするのが苦手なのか。勝手な偏見で判断すると後者のように思われる。
以前テレビで人気の読モが言っていた。クールと地味の違いをふと思い出した。無口なイメージのある二つだが、クールとは顔の良い人に使う言葉で、地味とはそれでない人に使う言葉ではないかとドヤ顔で話していた。確かに一理あるかもしれない。笹本さんに当てはめてしまうのも申し訳ないが、率直に言うとそういうことだ。
しかし、本を読んでいるから地味だとか、会話が苦手だから地味だとか、一概には言えないがそういう偏見は存在するので勘弁してほしい。
「藤田さんは笹本さんと知り合いかね?」
「いえ、どうしてです?」
「図書室にはよく二人だけがいるし、二人ともよく校庭を見ていたからね。何かあるのかと思ったんだが、違うのかね?」
「私が待ってる友達というのが、校庭で部活をしているのでたまに見ることはありますが...笹本さんは分かりません。知り合いではないので」
「そうかいそうかい、それはごめんよ。そうじゃないならね、笹本さんと仲良くしてあげてくれないかい」
学年が上の君に頼むのも変な事だけど、と付け加えるがそうではない。
何故に私が笹本さんと仲良くしなければならないのか。
訝し気な表情を汲み取ったのか、あのね、とさらに続ける。
「朝も昼も夕方も、ずっと来ているんだよ。ずっと。何かあるんじゃないかと思ってね」
「何かって、何ですか?」
「いやぁ、その、言葉にするのもあれなんだが、その、いじめとか」
いじめ。私が中学の頃経験したもの。
いじめられているからその逃げ場として図書室を利用しているのではないかと、そう言いたいのか。
しかし、彼女がいじめられていることはないだろう。だって、笹本さんの上履きはあるし、教科書だってこの前勉強するのに出していた。別に、普通だ。いじめを連想させるようなものは何ひとつない。
「大丈夫ですよ」
「しかしだね」
「もう高校生ですよ?そんな幼稚なこと、さすがにする人はいないでしょう」
「うーむ、しかしだね。ほら、よく聞くじゃないか。君の学年にいるだろう有名な男子生徒が。彼絡みだといじめが存在すると聞いたんだが」
普段生徒と関わることのない先生まで知っている。空はすごく有名だ。
「もしその男子生徒の周りでいじめがあったとしても、そうですね、こう言ってはなんですが、笹本さんとその男子生徒が関わる機会なんてないと思います」
次元が違うだろう。
片や学校のアイドル、片や友達のいなさそうな図書室通い。接点がない。空が図書室にでも来れば接点は作れるのだろうが、生憎と空は図書室を利用するような人間ではない。
少女漫画では学校のアイドルが羽休めに図書室へ行き、そこで出会った地味な子と恋に落ちるなんていう展開がよくあるが、それもないだろう。何せ、相手はあの空だから。
「ふうむ、それもそうだね...そうだねと言ったら変かな」
「それに、毎日のようにここへ通っているからと言って、友達がいないわけでもないですよ。マイペースな子なんじゃないですか?」
「それもそうだね、うん、この話は忘れてくれないかい。悪いかったね色々語ってしまって」
「いえ」
そろそろ空の部活が終わる時間なので椅子から立ち上がり、一言と一礼を残して下駄箱に向かった。
図書室へ出たとき、笹本さんはいつもの席で校庭を眺めていた。