第117話
佐伯と悟と別れた後、優を家まで送って行った。家の扉を開け、しっかり閉まるまで見届けた後来た道を辿る。
佐伯と二人で会おうという旨のメールを送ったところ、OKの返信があった。
解散後、三丁目の喫茶店で待ち合わせたが佐伯はもうとっくに到着しているだろう。待たせているという罪悪感は特になく、こっちが遅れることは分かりきっているのだから走ることもなく焦ることもなく、ただ足を目的地まで動かした。
喫茶店の扉を開けると小さな鈴の音が鳴り、男性の店員がチラリとこっちへ視線を寄越したが店内を見渡している客に声をかける気は無かったようだ。
店内は静かでクラシックのBGMが小さく聞こえる。
そして一人、優雅にティーカップを口につけている女を見つけ、目の前に座った。
「ふふ、走ってきた形跡なしね」
テーブルにカップを置き、口角だけ上げて笑う女に同じ顔を作って返す。
「酷いな、これでも急いだんだけど」
もう一度「ふふ」という笑い声を出した後、メニュー表を差し出してきた。
店に入ったからには何か頼もうと思い、一番に目についたアメリカンコーヒーをその辺にいた店員に注文した。
数分後、コーヒーがテーブルに置かれ、佐伯は口を開いた。
「どうして呼んだの?」
「心当たりはない?」
「さあ、さっぱりだわ」
未だに口角を上げたままの女はとても気味が悪い。
「んー、別に駆け引きしたいわけじゃないんだよなぁ」
「あら、意外。蒼井くんはそういうの好きだと思ってた」
「嫌いじゃないけどね、でも人間言わないと分からないだろ?」
「貴方がそれを言うの?中学の頃含みのある目で見てた貴方が?」
「だからこうして今日話す場を設けたんだろ」
「そうなの。なんの話か楽しみね。それで?」
互いに飲み物を手にし、一旦喉を潤した。
「単刀直入に言うけど、優のこと好きでしょ」
この言葉に驚くことなく、表情も変えない。
「好きなの?じゃなくて、好きでしょ、って。断言なのね」
「違うの?」
「どうしてそれを蒼井くんに言う必要があるの?」
俺には劣る綺麗な顔を少し傾ける。
「佐伯がどう言おうが、断言できるよ」
「なら、もしわたしが仮に好きだとして、どうするの?」
「諦めてもらうしかないよね」
「そんなの蒼井くんには関係ないよね?」
優等生の皮はまだ被っている。それを剥いでやろうという魂胆はないが、口角だけ上げている顔っていうのも気味が悪い。
「それに俺、後輩思いだから」
にっこり笑ってやると、漸く口が真一文字になった。
「後輩をあんな邪険に扱われて、あまり良い気がしないんだよね。あぁ、怒ってるわけじゃないよ」
「……西島くんには悪いと思ってる」
もう躱すことはやめたらしい。
どうやら本当に悪いと思っているようだった。
やっとまともに会話ができそう。
「そんなに嫌なら強く言えばいいのに」
「何度も断ってるけど、駄目ね、しつこく寄ってくる。蒼井くんからしたら、自分の可愛い後輩を無下に扱われて嫌な気分になるのは仕方ないと思う」
本音を言うと、悟のことはどうでもいい。
佐伯にとっては気に病む案件なのだろう。根が良い人間だから、そこまで悩むのだ。俺だったら微塵も悪いと思わない。優等生同士、似たところはあるが根本的に俺たちは違う。
「優が好きだから無理って、ハッキリ言えば?」
「……はぁ、それはもう決定なのね」
「だって違わないだろ?」
じっと見つめてやると観念したかのようにか細い声で「そうね」と呟いた。
優等生ぶるが、中身はただの繊細な女だ。
他人を邪険に扱うということに良心が痛むようだ。