そのいち メロンソーダ
わたしの最近の趣味はサイクリングである。とはいっても、自転車は普通の内装三段ギア。むろん材料も各部機材もごく普通で、あのタイツみたいなのを履くような必要性のない、ママチャリよりちょっとマシレベルの奴である。
そんな私が真夏に片道一時間のサイクリングをしたのだ。ただ模型店とショッピングモールに行こうと思って、である。しかも、模型店は同じ系列の店がもうちょっと近いところにあるうえに、ショッピングモールも同じ系列が近くにある。阿保である。究極的に言えば、マジもんの阿保だ。
そんな私であるが、母からせめて熱中症対策は万全に、とペットボトルの茶を渡された。しかし、ショッピングモールに到着するころには空になっていた。カルディのコーヒー(ショッピングモールによく行く人ならわかるであろう。試飲のコーヒーだ)で渇きを癒し、一通り見て回り、あとは気力でどうにかなろうと思い家に帰ろうとしたのだが、結構早々に喉が渇いてしまった。汗がダラダラ、500ミリリットルでは行きの分すら十分に補給できていなかったという事実にぶち当たったのだ。
そんな中自販機が目についた。ペプシがある、ということはサントリー系。そんな私はふと、見慣れないペットボトルを見かけた。なんとも言えない独特ながらどこか没個性的な成型。透明な容器に橄欖石やエメラルドを思わせる鮮やかな緑色の液。
飲もう。決定だ。今現在有り金がそうあるわけではないのに、貴重なお金を入れて、ボタンを押した。
ゴトゴトゴトっという音で転げ落ちたそれを手に取ってふたを開ける。コカ・コーラを少しエッヂを利かせメリハリをつけたような古き良きくびれたボトルデザインは古い戦闘機の胴体を思い起こさせる。あれは流体力学の必要性からできたというが、このくびれのデザインは純然たるデザインの必要性以外にも原始的な人間工学の結果であろう。握りやすいボトルデザインは今でも研究が続いている。2リットルのペットボトルでも鳩尾のようなところが特にへこんだペットボトルはかなりの普及を見せている。ファンタのボトルはエルゴノミクスデザインの極致にあるような特異なデザインである。500ミリリットルはだんご三兄弟といってもいいし、1.5リットルは上から1/3のあたりでくびれていてしかもいぼがある。どちらもパッと見扱いづらそうに見えるが、実際に使用すると印象は大きく変わる。銃の世界でもP90やグロックのような例がある。パッと見はゲテモノ、使ってみるとあら不思議といった具合である。
さて、ふたを開けてみる。子気味いいパチパチという音とともにはずれ、独特の香料らしい香りがする。
まずは一口。強烈な甘み、炭酸、そして、わざとらしいメロンの香り。
ドリンクバーなどで飲むたび毎度思うが、これは本当にメロン味なんだろうか。実際のメロンの味はもっと独特だった。もう少し、強く儚い甘さで、あっさりとして、独特な清涼感がある。
飲みつつ、とある結論に至った。これは「メロンソーダ味」なのだ。メロン味ではなく、メロンソーダ味。
人間は味のかなりの部分を嗅覚に依存するという。香料がすべてを支配する。あとは視覚情報。メロンというすり込みと、それらしい香りが人間にメロン味のソーダを演出する。それがメロンソーダ味。
過去にファンタの幻の味論争というものがあった。ゴールデンアップルという謎の味が存在したという。しかし、実際に存在したのはゴールデングレープ。舌への色移り問題からグレープ味に着色料を使用しなかった時代だったため味の似たアップル味と混同してしまったのだろうという。清涼飲料水のど派手な色の意義がよくわかる。あれ自体が味を演出する舞台装置なのだ。
飲み干して奇妙な安心感がある。古き良き味。わざとらしい味がいい。
自転車をこぎ始める。甘い飲み物を飲むと逆に口が渇く。家に帰ってから水を飲んだ。