第一話、旅の始まり
「むかーしむかし。ファンネルという怪物がいましたとさ。彼らは突然現れては人を喰らい、度々世界を揺るがす存在だったそうな」
「かいぶつがひとをたべちゃうの? こわーい!」
「でもね。その怪物は、“フレイム”という勇者の手によって倒されたのよ。ばったばったと怪物をなぎ倒し、彼はこの世界を救ったの」
「す、すごーい! そのゆうしゃはいまどこにいるの!?」
「私には分からないわ。でも、どこかに居るかもね」
「へぇええ~。あってみたいなぁ……ゆうしゃ」
「さっ。そろそろ夜も遅いし、寝ましょう。また明日、読んであげるから」
「は~い」
二百年前に存在していた勇者フレイムの伝説は、こうして今尚語り継がれている。ファンネルとの大戦争を勝利に導き、この世界を救った彼は、英雄として扱われている。
しかし、フレイムの顔を知る者はこの世界には存在しない。銅像や絵画が描かれる前に、彼は忽然と姿を消したのだ。まさに伝説といえよう。
ただ、彼を追う者は後を絶たなかった。ありとあらゆる人物が捜索隊を結成し、広大なこの世界から百年も掛けて探しだそうとしたのだ。
しかし、遂に見つかりはしなかった。百年という膨大な時間を掛け、ほとんどの場所を探し尽くしたが、彼の手がかり一つ見つからなかった。
結局、さらに百年経った今でも、彼は伝説となっている。本当は存在していなかったのではないかと言われる程だ。
だが、彼は間違いなく存在していた。……いや、今も尚存在している。この世界の果てにある、誰も寄り付かない《ウォートス大洞窟》に。
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ウォートス大洞窟の中央に位置する、閉ざされた氷の空洞。そこには多くの氷柱が連なっており、外界とは比べものにならない程に気温が低い。生物が生きていけない程だ。
しかし、あり得ないことにそこには人が横たわっている。燃えるような赤髪と赤目を持ち、腰には一振りの長剣を佩いた剣士風の男だ。不思議なことに、このマイナスを下回る気温の中で彼は凍っていない。付近の“死体”は完全に凍結しているというのに。
彼は二百年もの間捜索されていた伝説の勇者、フレイムである。ファンネルとの大戦争に勝利し、世界を救った大英雄だ。
だが、彼は大戦争で四人の仲間を失い、生きている事に絶望してまった。その為、誰も寄り付かないこの場所で永遠の眠りについているのだ。夢の中でなら仲間との楽しい一時を過ごせるから、と。
「…………っ」
しかしながら、楽しい夢であるのにも関わらず、彼は苦しそうだ。度々うめき声を出しては、寝返りを繰り返している。何か、悪夢でも見ているのだろうか。
「みん、な……行かないで……くれ……頼む、よ……」
苦痛に表情を歪ませる中、彼は一筋の涙を流した。それはすぐに凍ってしまったが、幾度も幾度も彼は涙を流し続ける。顔中氷だらけになるが、何故かすぐに溶けてしまう。そして再び涙が凍り、また溶ける。その繰り返しだ。
長い間涙を流し続け、ようやくそれは収まった。彼の夢の中で、何かが起こったのだろうか。未だに表情は苦痛に歪んでいるが……。
「い……か……な……いでくれぇええええええええええええ!!!」
事態は急変した。二百年もの間、封印が施されていた彼は自由を取り戻し、覚醒した。洞窟に響き渡る叫び声を上げながら。
「はぁ……はぁ……っ。ここは、どこ……だ……? 俺は……眠っていた……のか?」
二百年間も深い眠りに付いていた彼は、自分が何故ここに居るのか分からないでいた。まだ視界がおぼろげで、声も途切れ途切れでしか出すことが出来ない。長い間動いていない所為だろう。
彼はしばらくぼーっとした表情で前を見つめていたが、ふと周囲を見渡して驚愕する。彼の周りには、四つの凍った“死体”が横たわっていたからだ。くっきりと顔が分かる、綺麗な死体である。
「……そうか。俺はあの大戦争で……みんなを失ったのか」
今まで忘れていた事を思い出し、彼はまた涙を流しそうになった。しかし、ぐっと堪える。どんなに泣いたとしても、絶対に仲間は戻ってこないのだ。ならば、泣く意味は無い。惨めになるだけだ。
「…………」
泣き晴れたまぶたを閉じ、彼は色々と考え始める。何故封印が解けたのか、外の世界はどうなっているのか、これからどうするのか。考える事がありすぎて、頭がくらくらとしてくる。まだ上手く頭が働かない所為もあるだろう。
「……そういや、みんなが言ってたな。ファンネルが居ない世界を旅して回りたいって」
生前、フレイムと仲間達はファンネルを倒す旅をしてきた。それは成人した十二歳から始まり、十八歳まで六年間も続いた。その中で、仲間がぽつりと夢をこぼしたのだ。いつかこの旅が終わったら、今度は普通の旅をしよう、と。
もはやその夢は叶わないが、彼はまだ諦めていなかった。
「もう……ファンネルはいない。俺が倒した。だから、安心して旅ができるぞ。普通の旅をしたかったよな、みんな。だったら、これから俺と一緒に行こうぜ」
仲間の夢を叶える為、彼は四つの死体からそれぞれアクセサリー――指輪、ブレスレット、ネックレス、ピアス――を手に取り、自らに身につけた。元々身につけていた黒のグローブも合わせ、これで全員の想いが募った様な気がした。
「よし……これで俺達は一心同体だ。これから、楽しい旅をしようぜ!」
まだ彼は仲間の死を乗り越えられていない。しかし、こうして仲間の形見を持つことで、側に居るような感じがする。それだけで、悲しみがだいぶ和らいだ。これから旅をすることで、その悲しみは全て消えることだろう。そして、幸せな状態で生を全うするのだ。それが彼の願いであり、仲間の願いでもある。
勇者の寿命は約三百年。何か病気を患わない限り、あと百年程は生きることになるだろう。長い長い旅になるだろうが、どうか彼には楽しんで欲しいものだ。
世界を救った元勇者フレイムの放浪記は、ここから始まる。