第9話 火曜日、汗とニンニクとプロの覚悟
火曜日。
桂川高校サッカー部の練習終わり。
夕方の空は、まだ明るいのに、グラウンドはもう別世界やった。
スパイクの跡、芝の匂い、息の荒さ。
「……腹減った」
前田利家、第一声それ。
声はでかい。胃袋もでかい。
「そら二時間半走ったら減るやろ」
まつは水筒を片づけながら、冷静に返す。
「今日、対人多かったやろ」
「多かった。削られた」
「削られるのはしゃあないけど、削れすぎたらあかん」
「なんの話や」
「筋肉の話や」
まつは真顔。
「今日みたいな高強度練習後はな、糖とタンパク質を即入れる。遅れたら回復落ちる」
「はい、管理栄養士」
「敬え」
二人は駅に向かう道を歩く。
汗で濡れた利家のシャツは、まだ湯気出てそうや。
「で、今日はどこ」
利家が聞くと、まつはちらっと横目で見る。
「……サンちゃん」
「おっしゃあああ!」
桂川界隈で名を馳せる二郎系、ラーメン屋サンちゃん。
盛りが常軌を逸していることで有名や。
「でもな」
まつが釘を刺す。
「調子乗ったらあかんで。今日は“回復食”。脂で溺れたら意味ない」
「二郎系でそれ言う?」
「言う」
店に入ると、もう空気が違う。
ニンニク、醤油、脂、熱気。
「いらっしゃい!」
カウンターの向こうから威勢のええ声。
利家、即。
「ラーメン大、ヤサイマシ、ニンニク少なめ!」
「少なめ!?」
まつが振り向く。
「走った後やし……」
「えらい」
まつ、珍しく素直に褒める。
「うちはラーメン少なめ、ニンニクなし」
「え、まつ食わんの?」
「食う。量をコントロールするだけや」
カウンターの端では、常連らしき兄ちゃんが山盛りをかき込んでいる。
もはやフードファイト。
「……あれ、勝てる気せえへん」
利家が小声で言う。
「勝たんでええ」
「え?」
「今日は“勝つ日”ちゃう。“積む日”や」
まつが淡々と言う。
ラーメンが出てきた。
どん。
利家の丼、山や。
まつの丼、丘。
「……山やな」
「プロ志望やろ?」
「関係ある?」
「ある。食べられる身体は、武器や」
利家は一口すすって、目を閉じる。
「……うまっ」
「そらそうや」
まつも少なめを食べる。
「二郎系はな、悪者ちゃう。
問題は“使いどころ”や」
「使いどころ?」
「高強度練習後。筋グリコーゲン枯渇。ここで糖と塩分入れるのは理にかなってる」
「なんか今日、解説多ない?」
「大事やからや」
その時。
「お、二人ともやないか」
声がした。
振り向くと、藤吉郎が立っている。
いつもの飄々とした顔。
「お前、なんでここ」
利家が聞く。
「たまたまや。腹減った」
「お前もか」
藤吉郎は笑いながら注文する。
「普通盛り。ニンニク普通」
「控えめやな」
まつが言う。
「今は様子見や」
三人、並んで食べる。
カウンターの端の常連が、山を崩している。
「……あれ、挑戦してみたくなるよな」
利家が言う。
「やめとけ」
まつ即答。
「胃袋の勝負は、未来に残らん」
「名言っぽい」
「名言や」
藤吉郎がくすっと笑う。
「でもさ、こうやって食えるんは、幸せやな」
まつは、丼の底を見て言う。
「せやな。走れて、食えて、また走る」
利家が、最後の麺をすすりきる。
「……ごちそうさま!」
丼は空。
山は消えた。
「今日はええ食べ方やった」
まつが評価する。
「監督に褒められた」
「当たり前や。プロ目指すなら、“食べ方”からや」
店を出ると、夜風が汗を冷やす。
「なあ、まつ」
「なに」
「俺、ちゃんといけるやろか」
まつは立ち止まらず、答える。
「いけるかどうかやない。
“いく身体”を作るんや」
藤吉郎が横で笑う。
「厳しいなあ」
「当たり前や。一乗寺ラーメン戦争も、サッカーも、甘ない」
利家は空を見上げた。
「……ほな、明日も走るか」
「走れ。食わせたる」
火曜日の夜。
ニンニクの匂いをまとった三人は、
それぞれの未来に向かって歩いていた。




