第8話 日曜日の一乗寺、塩は正直や
日曜日、午前十一時。
一乗寺の空は、昨日よりちょっとだけ柔らかい。
せやのに、ラーメン屋カブキモノの前は、もう行列や。
「……開店前からやで?」
まつが暖簾の内側から外を覗く。
並び方が落ち着いてる。
日曜特有の、家族連れと地元民の混成隊や。
「日曜はな、観光と生活が混ざるんや」
たけ子が伝票を揃えながら言う。
「どっちにも“優しい味”が要る」
「せやな」
まつは頷く。
寸胴の前では、慶三がもう戦闘態勢。
黙っているが、背中が忙しい。
妹らはエプロンを締め直す。
「さくら、オーダー」
「了解!」
「うめ、水と箸」
「任せて!」
11時、開店。
「いらっしゃいませー!」
暖簾が揺れた瞬間、空気が一段変わる。
一乗寺ラーメン戦争、日曜ラウンド開始。
カウンターが埋まり、テーブルが埋まり、
店内が“回り始めた”その時――
「……今日は、まつちゃんおるんや!」
常連中の常連の声が、合図みたいに響いた。
「ほな、日替わりで」
その一言で、店内がざわつく。
「日替わり?」
「え、昨日もあったん?」
「裏メニューの上?」
一般客の視線が、一斉に厨房奥へ向く。
常連中の常連は、肘をついて――
ドヤ顔。
「そらそうや。日曜やし。まつちゃんおるし」
「いや、ドヤるな」
まつ、即ツッコミ。
「指定ちゃう人は、普通に頼み。日替わりは“気配読める人向け”や」
一般客、納得半分、戸惑い半分。
たけ子が、にこっと補足する。
「毎日あるわけちゃいます。今日は“まつの日”なんです」
「また祝日増えてる……」
うめが小声で言う。
「祝日ちゃう、文化や」
さくらが即訂正。
慶三が、ちらっとまつを見る。
まつ、頷く。
「よし、出すで。二十食」
本日のまつの日替わり(限定20)
塩ラーメン
まつの手打ち・刀削麺
単品(替え不可)
「塩……?」
「一番、嘘つかへんやつや」
まつが言い切る。
「塩はな、素材と火加減が全部出る。誤魔化し効かへん。せやから日曜に出す」
厨房で、まつが生地を削る。
シャッ、シャッと、刃が走る音。
刀削麺は、同じ太さにならへん。
それがええ。
「太さ違うけど……」
「噛みごたえも、戻りも違う。今日の客層に合う」
澄んだスープに、削りたての麺。
香りが、ふわっと立つ。
「……静かにうまそう」
誰かが呟いた。
常連中の常連が、ひと口すすって――黙る。
黙る時は、京都の最大賛辞や。
「……これ、昼寝できる味や」
「褒めてるんか、それ」
まつがツッコむ。
一般客も、様子を見て理解する。
「裏やなくて……タイミングなんやな」
「せや。今日の空気に合う味」
その時。
「こんにちはー」
鈴みたいな声が、入口から転がり込んだ。
寧々や。
にこにこ。
東山訛り全開。
「並んだらあかんって言われたから、裏口から来たえ」
「誰に言われたん」
「たけ子さん」
たけ子が笑って手を振る。
「今日は混むしな」
「……日替わり、あるって聞いて」
寧々の目が、きらきらしてる。
「ある。けど、最後の一食やで」
「やったぁ」
寧々、丼を受け取って、ひと口。
「……やさし」
「日曜やしな」
「これ、心落ち着くわぁ」
「塩は、副交感神経に効く」
「また難しいこと言う」
「簡単に言うと、昼から眠なる」
「それあかんやん!」
店内が、くすっと笑う。
慶三は寸胴の前で、静かに頷いた。
たけ子は回し、さくらとうめは走る。
外の行列は、まだ続く。
でも、店内の空気は不思議と穏やかや。
一乗寺ラーメン戦争。
今日も通常運転。
せやけど――
日曜日は、塩で整える日。
まつは、丼を運びながら、ふと思った。
(勝つ日も要る。守る日も要る。整える日も要る)
刀削麺の端切れが、湯気の中で揺れる。
日曜の一乗寺は、今日も腹と心を満たしていた。




