第24話 爆弾の日、親子ラーメンバトル開戦
十一時。
ラーメン屋カブキモノの暖簾が、ばさりと表に出た。
その瞬間やった。
店の前にできていた行列が、静かに、でも確実に前へ詰まる。
朝九時から並んでた客らの目が、一気に戦闘モードになる。
「いらっしゃいませー!」
最初の声を出したのは、さくら。
続いてうめ。
そのあとを追うように、たけ子のよく通る声が店に広がる。
「はい、今日は爆弾の日やでー。慌てんと順番に入ってなー!」
「“慌てんと”言うてる顔が、全然慌ててへん人の顔ちゃう」 まつが小声で言うと、たけ子がにこっと笑った。
「そらそうや。今日は勝負やし」 「言うたな」 「言うたで」
今日のルールは、朝のうちに決まっていた。
まつの日替わりは二十五食。
泡系豚骨ラーメン、餃子、ニンニク炒飯のセット。
対するたけ子は、年十二回だけの“爆弾”。
豚骨味噌ラーメンと、〆の小さなコーヒー竹子スペシャルブレンドのセット。
そして勝敗条件。
まつの二十五食が売り切る前に、竹子スペシャルをその二倍出したら、たけ子の勝ち。
「母ちゃん、それルール微妙に母ちゃん有利ちゃう?」 まつが言う。
「商売は、先に流れ作ったもん勝ちや」 たけ子は平然としてる。
「性格出てる」 「遺伝や」 「いや、うちはもうちょい真面目や」
その横で、慶三は黙って最初のラーメンを仕上げていた。
父ちゃんは父ちゃんで、今日は“いつものラーメン”担当や。
普通のラーメン、チャーシュー麺、ネギ増し、黒炒飯。
カブキモノのいつもの柱。
「親子バトル言うても、父ちゃんのラーメン頼む客も多いで」 さくらが伝票を見ながら言う。 「せやな」 まつもうなずく。 「結局、店の土台は父ちゃんや」
慶三は、それを聞いても無反応やった。
ただ寸胴の前で、ほんの少しだけ口元が緩んだ気がした。
開店直後から、店内はほぼ満席や。
「まつの日替わり一つ!」
「竹子スペシャルお願い!」
「普通のラーメンと黒炒飯!」
「チャーシュー麺大!」
注文の声が飛び交う。
観光客っぽい若いカップルがメニューを見て悩み、
地元のおっちゃんは最初から迷いなくスペシャルを頼み、
常連の中には、平気でこう言う人もおる。
「慶三さんのラーメンと、竹子スペシャル両方」 「食べすぎやろ!」 まつが思わずツッコむ。
「爆弾の日はな、胃袋も祭りなんや」 常連のおっちゃんがドヤ顔で返す。 「祭りの使い方、雑!」
カウンターの端。
いつもの席には、もちろん――
ラーメン仙人、吉岡爺さん。
もう座ってる。
しかも、開幕はいつも通り。
「瓶ビール。餃子」
そこからやった。
「仙人、朝一からラーメンちゃうんですね」 観光客が不思議そうに言うと、吉岡爺さんはゆっくり顔を上げた。
「焦るな。
ラーメンは、空腹だけで食うたらあかん。
流れで食うんや」
「何の流れや」 まつが即ツッコミ。
その隣では、自称ラーメンフリークの京大生が、眼鏡を光らせながら真剣な顔で座っていた。
「竹子スペシャルお願いします」
やたら気合い入ってる。
「君、今日はまつの日替わりちゃうん?」 まつが聞くと、京大生は真顔で答えた。
「今日はまず、歴史的価値のある方から」 「歴史的価値て」 「年十二回限定。これは文化財級です」 「言い方がいちいち大げさやな」
それでも、その言葉に周りの観光客がざわついた。
「え、そんなにレアなの?」
「月一限定?」
「コーヒーつくの?」
たけ子が、嬉しそうににやっとした。
「せやで。ラーメン食べたあとに、小さいコーヒー一杯。
それで口ん中を“終わらせる”んや」 「終わらせる?」 観光客の女の子が首をかしげる。
「豚骨味噌の余韻、そこで一回きれいに締める。
ラーメンだけやと“強いなー”で終わるけど、コーヒーつけたら“今日ええ日やったな”になるねん」 「……母ちゃん、それ、ちょっとずるい」 まつが言う。
「料理はな、最後の一手まで含めて勝負や」 「出た、強い母」
そんな中、入口の扉がまた開いた。
「こんにちはー!」
元気な声。
振り向かんでも分かる。
寧々や。
その後ろに、ちょっと困った顔の秀吉。
「お、来た」 まつが言う。
寧々は、もうニコニコやった。
今日の寧々は、だいぶご機嫌や。
そらそうや。京都植物園に秀吉と行くらしい。しかも腹ごなししてから、や。
「まつー! 応援来たで!」 「応援が植物園前なん、だいぶ京都女子高生やな」 「ええやろ。文化系デートの前に、ラーメンで腹ごしらえや」 「腹ごしらえって量ちゃう気するけど」 秀吉が小声で言う。
「だって、まつの日やで?」 寧々は当然みたいに言うた。 「そら日替わり頼むやろ」
「頼むんか」 「頼むんや」
秀吉も苦笑いしながら頷く。
「じゃあ……俺も、まつの日替わりで」 「よし」 まつがちょっと嬉しそうに言う。
「寧々、胃もたれすんなよ」 「植物園歩くし大丈夫や!」 「その理論、毎回雑やな」 「京都女子は勢いで生きてるんや」
寧々はそう言いながら、秀吉の横にぴたりと座った。
その距離が近い。
でも自然や。
あれは、最近ちょっと進んだ女の顔や。
「秀吉くん、植物園ではバラ見る?」 「え、うん」 「うち、温室も行きたい」 「え、うん」 「何その全部“うん”」 まつがツッコむ。
「秀吉、今ちょっと受け身強めやし」 寧々が笑う。 「でも今日はそれでええねん」
店の中はますます賑やかになる。
まつの日替わりも、ええ勢いで出ていく。
泡系豚骨は見た目が華やかやし、ニンニク炒飯の香りも強い。
若い客や観光客には、かなり刺さる。
でも。
それ以上に、竹子スペシャルの勢いがすごかった。
最初、杯数制限をつけるつもりやった。
せやけど、たけ子は途中でやめた。
「今日は制限なしや」 「えっ」 まつが振り返る。
「流れ来てる時に止めたらあかん」 「でも母ちゃん、それ、ほんまに出し続ける気?」 「出せるだけ出す」
豚骨味噌の香りが、店全体を引っ張ってる。
そこに“月一限定”という情報が乗る。
さらに“〆のコーヒー付き”の物語性まである。
強い。
普通に、強い。
京大生が一口すすって、目を見開いた。
「……これは……」 「どうや」 たけ子が聞く。
「味噌が豚骨に勝ってない。
でも埋もれてもない。
しかも最後にコーヒーで全部整理される……。
これ、ラーメン一杯というより、コース料理の発想です」 「急に論文みたいな褒め方するやん」 まつが言う。
吉岡爺さんは、ビールを置いてからスペシャルに移っていた。
ゆっくり食べて、最後にコーヒーを飲んで、ひとこと。
「……ああ、これや」
短い。
でも、そのひとことで常連の目つきが変わる。
「仙人が言うた」 「今日、竹子スペシャル当たりや」 「てか、毎月当たりやろ」
まつは炒飯鍋を振りながら、ちらっとたけ子を見る。
母ちゃんは、楽しそうやった。
忙しいのに、笑ってる。
戦ってる時の顔や。
「……母ちゃん、やるなあ」 まつがぼそっと言うと、慶三が寸胴の前で小さく返した。
「昔からや」
その一言に、ちょっとだけ悔しくなって、ちょっとだけ笑えた。
ラーメン屋カブキモノ。
今週も一乗寺ラーメン戦争、通常運転。
でも今日は、その通常運転の中に、
親子の勝負と、常連の熱と、観光客のざわめきと、
植物園前のラブコメまで全部乗ってる。
まつは、次の泡系豚骨を仕上げながら思った。
(まだ終わってへん)
二十五食は、まだ残ってる。
竹子スペシャルは、どんどん出てる。
勝負は、まだこれからや。
暖簾の向こうでは、また新しい客が列を詰めていた。




