表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一乗寺ラーメン戦線異常あり! 前田家と前田家のラーメン戦争! まつと利家の、恋と麺  作者: イサクララツカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/25

第18話 夜十時、梟の灯り――“呼び戻し”は、店が眠ってから始まる

 20:00。閉店。

 暖簾を下ろしても、胸の奥がまだ熱い。

 今週も一乗寺ラーメン戦争、通常運転。

 ――“通常”が一番しんどいって、ここで働き出してから分かった。

「ふぅ……」

 まつが息を吐くと、たけ子が笑う。

「ほら、ため息吐いたら脂落ちるで」

「脂は落ちへん。魂が落ちる」

「落とすな。拾え」

 妹二人は、先に風呂へ行った。

「さくら、うめ、ちゃんと髪乾かしや!」

「はーい!」

「うめ、頭から湯気出して戻ってくんなよ!」

「出さへんし!」

 元気な声が裏口から遠ざかっていく。

 店内は片づけの時間。

 たけ子とまつが、食器を洗い、床を拭き、調味料を整える。

「今日も海外の人多かったなぁ」

 たけ子が伝票を揃えながら言う。

「プアール茶、めっちゃ受けてた」

「父ちゃんの福岡仕込みの“おもてなし”な」

「そうそう。油の後味が軽くなるんやて」

「科学的に言うと、発酵茶は――」

「理論、今はいらん!」

 たけ子が即ツッコミ。

「片づけの手止まる!」

「うちの理論は手ぇ動かしながら出るタイプや!」

 その頃、慶三は表で最後の仕事をしていた。

 暖簾を畳み、名残惜しそうな客に、ひとりずつ頭を下げる。

「ありがとうございました」

「また来ます」

「おおきに」

 声は大きくない。

 でも、背中がちゃんと“店”を背負ってる。

(父ちゃんのこういうとこ、ずるいわ)

 まつが少しだけ見とれていると、たけ子が肩をぽん。

「見とれてる場合ちゃうで。次は換気扇」

「現実に戻すな!」

 22:00。

 店の外。

 慶三が、玄関横に小さなふくろうの置物を置いた。

 ライトを当てる。

 梟の影が、壁に落ちる。

「……出た、梟」

 まつがぽつり。

「合図や」

 たけ子が当たり前みたいに言う。

「この灯りがついたら、“ほんまの常連”の時間」

「こわ」

「京都はそういうとこある」

 数分もしないうちに、

静かな足音が近づいてきた。

 最初に入ってきたのは――

「よっ」

 吉岡爺さん。

 昼間と同じ顔。

 違うのは、今の店が“表の顔”を終えているってことだけ。

 その後ろに、ぞろぞろと――

近所のラーメン屋の大将、女将さん。

一乗寺の“戦友”たちが、夜の顔で入ってくる。

「お疲れさん」

「いやぁ今日も回ってたな」

「梟見えたから来たわ」

 たけ子が笑って迎える。

「いらっしゃい。今日は“裏”やで」

「裏のほうが本番やろ」

「言うな言うな」

 注文は決まってるみたいに揃ってる。

「瓶ビール」

「久留米羽根餃子」

「あと、呼び戻し。二十までやろ?」

 慶三が、短く返す。

「二十杯までや」

 その一言で、空気が締まる。

 今夜の主役は――

久留米呼び戻し、ド豚骨ラーメン。

 まつは、思わず息を飲んだ。

 昼の鶏白湯の“柔らかい湯気”とは違う。

 呼び戻しの湯気は、重い。

 骨の記憶が立ち上る匂い。

「……父ちゃん、これほんまに出すんやな」

「出す言うたやろ」

「言うたけど、現実になると怖いわ」

 たけ子が小声で笑う。

「怖いって言いながら目キラキラしてるで」

「してへん」

「してる」

 慶三は黙って寸胴の蓋を開け、

スープをすくう。

一杯、一杯、丁寧に。

 近所の大将が、腕を組んで言う。

「京都で呼び戻し出す店、ほぼ無いで」

「そら、扱い難しいからな」

「せやけど……ロマンあるわ」

 吉岡爺さんが、瓶ビールを置いたまま言う。

「ロマンちゃう。原点や」

 短い。

 でも重い。

 まつの背中が、ちょっとだけ伸びる。

「羽根餃子、焼けたでー」

 たけ子が出す。

 パリッとした音が、静かな店に心地いい。

 女将さんが目を細める。

「この羽根、福岡の匂いする」

「修行時代の借りや」

 慶三がぼそっと言う。

 ラーメンが出た。

 丼から立つ湯気。

 白濁。

 脂。

 骨。

 火。

 すすっ――

 店内が静かになる。

 ラーメン屋の人間が黙る時は、だいたい本気でうまい。

「……やっぱり、呼び戻しは裏で食うもんやな」

 近所の大将が言う。

「表で出したら、戦争が変わる」

 女将さんが頷く。

 慶三は、笑ってない。

 でも、その背中が少しだけ楽そうに見えた。

(父ちゃん、ここが居場所なんや)

 まつがそう思った、その時――

 外で、うろうろする影があった。

 ガラス越しに見える。

 暖簾は出てない。

 でも、店の前から離れへん。

「……おるな」

 まつが言う。

 たけ子が覗いて、吹き出した。

「京大生のラーメンフリークや」

「まじか」

 外では、眼鏡の京大生が独り言みたいに言うてる。

「梟……梟……?

 これ、合図?

 でも暖簾ない……

 入っていいのか……?」

 まつが思わずツッコむ。

「君、理論派のくせに勇気ないな!」

 吉岡爺さんが、箸を置いた。

「放っとけ。

 “察する”のが京都や」

「いや、察するにも限度あるやろ!」

 まつが言うと、たけ子が笑った。

「せやなぁ。ほな、ひとつだけ“おもてなし”しよか」

 たけ子が裏口を少しだけ開けて、外に向かって言う。

「今日は終わりやでー。呼び戻しは、また今度なー」

 京大生が固まって、深々と頭を下げた。

「……承知しました!」

「律儀すぎる!」

 店内、笑いが起きる。

 でも笑いの奥には、ちゃんと緊張がある。

 二十杯まで。

 呼び戻しは、特別や。

 深夜のカブキモノ。

 梟の灯りの下で、

一乗寺の“表の戦争”とは別の、静かな戦が進んでいく。

 まつは、丼の湯気を見つめながら思った。

(来週の勝負の日……

 うち、ほんまに大丈夫か)

 けど答えは、もう分かってる。

 大丈夫かどうかやなくて――

 出すしかない。

 この店の娘やから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ