第15話 一乗寺、昼一時――“◎”が点いた瞬間、行列が生き物になる
開店から二時間。
ラーメン屋カブキモノは、すでに一回戦を終えてるはずやった。
――普通の店なら。
ところが一乗寺は、そうはいかん。
時計が13:00を回っても、店の外の行列は途切れへん。
昼ピークが終わるどころか、むしろ増えてる。
「……なんで増えるん」
まつが暖簾の内側から覗いて、思わず口に出した。
「一乗寺やし」
さくら(伏見中1)が即答。
最近この子、答えが雑になってきた。京都力が上がってる証拠や。
「その返し、便利すぎひん?」
「便利やで。だいたい正解やし」
うめ(附属小6)が水を運びながら、ドヤ顔する。
「うめも分かるで。人間はな、並ぶのが好きなんや」
「人間観が早熟すぎる」
「姉ちゃん、うめ天才やから」
「盛るな」
ホールでは、たけ子が伝票を回し、さくらがオーダーを取り、うめが水と箸を配る。
厨房では慶三が寸胴と会話せずに会話してる。
まつは、その間を縫って回転を整える。
今日のまつ限定日替わり25杯は、もう終わった。
札も下げた。
せやのに、店には海外観光客も入ってくる。
「Hello! Ramen!」
外国の人が笑うと、さくらも笑う。
「いらっしゃいませ!オッケーです!」
「英語、雑」
「気持ちやろ!」
京都は気持ちで通じる。
ほんまに通じるのが怖い。
そして――カブキモノの“お冷や”は、水だけやない。
プアール茶。
透明な香り、脂を切る後味。
慶三が福岡で修行してた頃に覚えた“おもてなし”や。
「Water…?」
観光客が首を傾げると、うめが間髪入れずに言う。
「お茶やで!脂、流れるで!すごいで!」
「小学生の説明が強い」
まつがツッコむ。
慶三は厨房からぼそっと。
「……プアール茶は、胃が楽になる」
「父ちゃん、急に喋った!」
うめが驚く。
「喋る時はだいたい正しい」
まつが言うと、さくらが笑った。
店の端、瓶ビールを前にした常連のおっちゃんが、しょんぼりしている。
餃子はある。ビールもある。
でも――欲しかったのは、さっき終わった限定。
「……まつちゃんの限定、もう終わったんか」
「終わった」
まつ、容赦ない。
京都は早い者勝ちや。
おっちゃんは餃子をかじりながら、たけ子に顔を寄せる。
「なあ、たけ子さん」
「なにー」
「今月の爆弾、いつや?」
その瞬間、常連たちの耳がピクッと動いた。
一般客は「爆弾?」って顔。
海外観光客は「Bomb…?」って不安そう。
「爆弾て、やばいやつですか?」
観光客が恐る恐る聞くと、おっちゃんがニヤリ。
「やばい。胃袋が泣くやつ」
「泣く!?」
「泣くけど、幸せや」
意味分からん会話が成立してる。
これが一乗寺の怖さ。
たけ子は、平然とレジ横のカレンダーを指差した。
「来週土曜日や。ほら、ここに◎あるやろ」
「◎?」
常連が身を乗り出す。
「あれな」
たけ子が笑って、さらっと言う。
「私の毎月の誕生日や」
「毎月誕生日って何!!」
まつが厨房から飛んでくる勢いでツッコんだ。
「気分や気分。月一の“お祭り”」
「お祭り言うて済ませるな!」
常連のおっちゃんが瓶ビールを掲げる。
「ほな爆弾確定やな!」
「爆弾言うな!」
「ええやん爆弾!最高やん!」
店内がざわつく。
一般客も「え、なにそれ」って顔しながら、妙に楽しそう。
海外観光客は「Event!?」と言いながらスマホを構え始める。
撮るな、まだ何も始まってへん。
慶三は厨房で、ラーメンを作りながら笑ってる。
笑ってる慶三はレアや。
つまり――面倒なことが起きる前兆。
(あかん)
まつの背筋に、いやな予感が走った。
案の定。
たけ子が、まつにだけ聞こえる声で言う。
「まつ」
「……なに」
「来週土曜な」
「うん」
「おかあちゃんの特製50杯と、娘の限定25杯――勝負の日や」
「……は?」
まつの声が裏返る。
「勝負って、何と何の勝負」
「盛り上がり」
「売り切り速度」
「客の胃袋の落ち方」
「やめて、単語が全部怖い!」
そこへ常連のおっちゃんが割り込む。
「ほな決まりや!朝から並ぶわ!」
「並ぶな!」
「並ぶ!!」
「意志が固いな!」
「一乗寺やぞ!!」
さくらが横で呟く。
「……来週、うち、オーダー速度上げなあかんやつや」
「上げんでええ。落ち着いてや」
「無理や。◎が点いたら皆、目が変わる」
うめは目をキラキラさせている。
「姉ちゃん、勝負ってことは、うめも勝つ?」
「勝つのは店や。うめは水運べ」
「任せて!」
店内の空気が、じわっと熱くなる。
爆弾、という単語が人を釣る。
京都人の“意味深”は、胃袋を動かす。
「なあ、まつちゃん」
常連のおっちゃんがニヤニヤ。
「来週の25杯、何出すん?」
「まだ決めてへん」
「それが一番そそるわぁ」
「そそるな!」
まつは頭を抱えそうになりながら、エプロンの紐を結び直した。
(あかん。来週、地獄)
でも――
それと同時に、胸の奥が少しだけ熱い。
家族で回す店。
常連が支える空気。
観光客が混ざる今の一乗寺。
戦争みたいで、生活で、
笑えて、怖くて、
それでも前へ進む。
慶三が、厨房からぽつりと言う。
「……まつ。負けるなよ」
「負けへんけど、勝ち方が分からんわ!」
たけ子が笑う。
「勝ち方?簡単や。
出したもんが、うまかったら勝ち」
「それが一番重いねん!」
店の外。
行列はまだ伸びている。
一乗寺ラーメン戦争、今日も通常運転。
せやけど――
カレンダーの◎が点いた瞬間から、
次の戦争は、もう始まっていた。




