第14話 五月、日曜、カブキモノ――まつ限定、25杯の戦争
五月の日曜日。
一乗寺の朝は、眠そうな顔してるくせに、腹だけは正直や。
ラーメン屋カブキモノの裏口を開けた瞬間、
湯気と、骨と、鶏と、今日の戦争の匂いが鼻に刺さる。
「おはよー……」
まつが入ると、もう食卓ができていた。
朝ごはんは、まつ仕様。
白ごはん、味噌汁、焼き魚、野菜、卵。
「いただきまーす!」
さくら(伏見中1)が一番に手を合わせる。
うめ(附属小6)は箸を持ったまま、すでに口が動いてる。
「姉ちゃん、今日もバランスえぐい」
「えぐい言うな。褒め言葉に使うな」
まつが即ツッコミ。
「でもさ、ほんまにうまい」
さくらが真顔で言う。
「うち、給食より好き」
「そら毎日うちが勝つわ」
うめが口いっぱいで頷く。
「姉ちゃんのごはん、食べたらテストいける気する!」
「お前、今日テストちゃうやろ」
「気持ちの問題!」
「気持ちは大事やけど、寝るのも大事やで」
たけ子が笑いながら、お茶を置いた。
「はいはい、ほな食べたら現場入るで。日曜やしな」
慶三はすでに席におらん。
厨房や。
寸胴の前で、いつも通り――いや、日曜はいつも以上に――
寸胴とにらみ合ってる。
朝ごはんを食べ終えると、まつはエプロンを締め直して厨房へ。
「父ちゃん」
慶三は、返事せえへん。
せえへんけど、柄杓が差し出される。
――味見せぇ、の合図。
まつはスープをすくって、香りを嗅いで、口に含む。
「……今日、骨の甘みええ。でも、後味ちょい立ってる」
慶三が、ほんの少し火をいじる。
無言。
会話は最短距離。
父娘のやり取りは、職人同士や。
「父ちゃん、今日の限定」
「分かっとる」
慶三は寸胴を見たまま、ぼそっと言う。
「二十五杯や。出し切る気でやれ」
「了解」
たけ子は電話口で仕入れ先と戦っている。
「はい、鶏、今日ちょい多めで……せや、胸とガラ、両方。
卵も。餃子の皮も。うん、今日限定出すしな」
言い方が軽いのに、内容がガチ。
この人、家庭と商売の切り替えがプロすぎる。
さくらとうめは店側に出て、準備を始めた。
「いらっしゃいませーって、声出し練習しよ」
「うめ、声でかすぎ。観光客びびる」
「びびらせたら勝ちやろ?」
「京都は勝ち方それちゃう」
姉妹で言い合いながらも、手は動く。
オーダー表、箸、水、テーブル拭き。
この家の子は、自然に“現場力”が育つ。
11:00 開店。
暖簾が揺れた瞬間、外の行列が一歩前に詰まる。
日曜の一乗寺、通常運転。
いや、通常運転が一番怖い。
「いらっしゃいませー!」
さくらが最初の声。
うめが水を運ぶ。
たけ子がホールを回し、慶三が厨房を支え、
まつが“限定”を握る。
今日の札が、カウンター横に貼られている。
本日のまつ限定日替わり(限定25杯)
鶏白湯ラーメン
天津黒チャーハン
まつ特製餃子
「え、鶏白湯!?」
「天津黒チャーハン!? 黒って何!?」
「餃子までついてんの!?」
一般客がざわつく。
観光っぽい兄ちゃんが、列の中でスマホを構える。
「これ、映えるやつやん!」
常連の顔が変わる。
“まつの日”と聞いただけで、目の光が違う。
「大将、今日まつちゃんおるんか」
「おる」
たけ子がにっこり。
「ほな、限定」
「うちも」
「わしも」
常連が静かに、でも速く注文していく。
このスピード感が、京都の本気や。
一般客が勇気を出して聞く。
「あの……限定って誰でも頼めます?」
たけ子が優しく答える。
「頼めますよ。けど、二十五杯だけ。早い者勝ちです」
その瞬間、列の空気が変わった。
戦争開始。
“限定”って言葉は、胃袋を狂わせる。
厨房。
鶏白湯は、湯気がまろい。
豚骨と違って、香りが優しいのに、密度がある。
「鶏白湯はな」
まつが、餃子を包みながら言う。
「疲れてる日に効く。脂の質が柔らかい。回復向き」
「また理論始まった」
うめが覗き込む。
「うめ、餃子のヒダ雑」
「雑ちゃう!個性!」
「個性で客に出すな」
「うっ……」
さくらが小声で笑う。
「姉ちゃん、うめ泣くで」
「泣かへん。泣く前に成長させる」
天津黒チャーハンは、まつの“悪い顔”が出る料理や。
黒は、焦がし醤油と、黒炒飯の技術。
そこに天津のあんを乗せる。
香ばしさと、とろみの暴力。
「……これ、罪やな」
さくらがつぶやく。
「罪やけど正義や」
まつが言い切る。
ホールでは、常連のおっちゃんが隣の観光客に囁いていた。
「今日の限定はな、当たりやで」
「え、常連さんなんですか?」
「まあな。二十五杯は、すぐ消える」
観光客が焦って注文する。
「限定!限定ください!」
たけ子が笑う。
「はい、限定一丁!」
慶三が背中で頷く。
まつが丼を握る。
最初の鶏白湯が出た瞬間、店内が静かになった。
すすっ。
――箸の音だけ。
「……やば」
「うま……」
「鶏、濃いのに軽い……」
常連は黙る。
黙るのが最大賛辞。
一般客は素直に声が出る。
それもまた、賛辞。
餃子が焼ける音が、店の心拍みたいに響く。
天津黒チャーハンが運ばれるたび、
「黒っ!」
「香り強っ!」
「これ、ラーメン屋の炒飯ちゃう!」
とざわめきが起きる。
まつは、汗を拭かずに動く。
動きながら、目だけで数を数える。
(あと……八。七。六……)
「まつ、残りいくつ」
たけ子が聞く。
「あと三」
その言葉で、常連がピクッと動く。
「まだある?」
「あと三やでー!」
たけ子が言った瞬間、店内の空気が一瞬ピリつく。
うめが小声で言う。
「姉ちゃん、これ戦争やん」
「一乗寺や。今さら」
最後の一杯が出た。
「限定、終了でーす!」
たけ子の声に、少しだけ残念そうな声が混ざる。
でも、みんな満足そうや。
まつはようやく息を吐いた。
「……二十五、出し切り」
慶三が、寸胴から目を離さずに言う。
「ようやった」
それだけ。
それだけやけど、胸にくる。
たけ子が笑って、まつの肩をぽんと叩く。
「ほな、次の仕込み考えよか。まつの日は、まだ増やせるで」
「母ちゃん、やめて。胃袋が戦争なる」
「もうなってる」
さくらが笑い、うめがドヤる。
「うちも餃子、上手なったで?」
「ヒダ、あと三倍な」
「鬼!」
店の外。
行列はまだ続いてる。
でも、限定の札はもう下ろされた。
一乗寺ラーメン戦争、日曜も通常運転。
ただし今日は――
まつの二十五杯が、確実に戦況を動かした日やった。




