第10話 五月、水曜、あんこと覚悟
五月の桂離宮近所は、新緑がまぶしい。
風が柔らかい。
サッカー部マネージャー、今日は休み。
「休みやのに、なんでこんな姿勢ええの」
寧々が笑う。
「職業病や」
まつは真顔で答える。
「姿勢崩したら、内臓の位置も崩れる」
「出た、身体理論」
二人が向かったのは、和菓子の名店・村中屋。
木の引き戸、低い天井、ほの甘い匂い。
京都の時間は、ここではゆっくり流れる。
「いらっしゃいませ」
声も柔らかい。
「今日はな、絶対これ食べるって決めてきたんや」
寧々、目きらきら。
「ゼンザイにお抹茶!」
「通常運転やな」
「うちはぶれへん」
まつも、季節の和菓子と抹茶を頼む。
「甘いもんはな、敵ちゃう」
まつが言う。
「え、珍し」
「量とタイミングや」
寧々が箸を持ち、ぜんざいをひと口。
「……ああああ、幸せ」
「糖質や。脳が喜んでる」
「ロマン返せ」
二人、笑う。
常連らしきおばあちゃんが、静かに和菓子を食べている。
隣のテーブルでは、若いカップルが抹茶をすすってる。
「京都ってな」
まつが言う。
「甘味処が“会議室”やねん」
「どういうこと?」
「本音、ここで言うんや」
寧々が、少しだけ箸を止めた。
「……ほな、言うてええ?」
「ええよ」
「うち、最近ちょっと焦ってる」
まつは、すぐに茶碗を置く。
「秀吉のこと?」
「……うん」
寧々は笑ってるけど、目はちょっと揺れている。
「好きやで。好きすぎるくらい。
でもな、うちが動くと、空回りしてる気するんや」
「寧々は、騒がしい恋やからな」
「うるさい」
まつは抹茶をひと口。
「でもな、甘いもんも恋も一緒や」
「また理論?」
「せや。
あんこはな、砂糖入れすぎたら重たい。
でも足りんと、味にならん」
寧々が、じっと聞く。
「好きやって言うのも、量とタイミングや」
「……難し」
「せやから京都は、間を読む文化なんや」
その時、入口の鈴が鳴る。
「こんにちは」
静かな声。
振り向いた瞬間、店内の空気が一段上がる。
小田いち先輩や。
隣に三条さんと早川さん。
「やっぱり、ここやったんやね」
三条さんが笑う。
「五月はぜんざい、まだいける」
早川さんが冷静に言う。
いちは、まつと寧々に軽く会釈した。
「偶然やね」
「はい、偶然です」
寧々がやや背筋を伸ばす。
三人は別の席でぜんざいを頼む。
いちは静かに食べる。
動作が美しい。
「……あの人、なんであんなに落ち着いてるん」
寧々が小声。
「静かな人やから」
「うち、ああはなれへん」
「ならんでええ」
まつは、季節の和菓子を割る。
「寧々は、寧々や」
寧々は、ふっと笑った。
「まつは、利家とうまくいきすぎやろ」
「管理してるだけや」
「それがすごいねん」
いちが、ふとこちらを見る。
目が合う。
「甘味は、整うね」
それだけ言って、また静かに食べる。
寧々が小声で言う。
「……格が違う」
「世界観担当やからな」
「何それ」
二人で笑う。
抹茶の苦みが、あんこの甘さを締める。
五月の風が、店内を通る。
「うち、焦らんとくわ」
寧々が言う。
「せや。甘いもんは逃げへん」
「秀吉は?」
「……知らん」
二人、同時に吹き出す。
村中屋の時間は、やわらかい。
一乗寺の戦争とは、別の戦場。
甘さも、苦さも、
ちゃんと混ぜて、飲み込んで。
五月の水曜日。
女子会は、静かに未来を整えていた。




