第1話「勇者、来訪」
その青年は、酷く疲弊しており、血の匂いを漂わせていた。丈の長い上衣にマントを羽織り、ロングソードを身に着けたその出で立ちは何の変哲もない歓楽街の路地裏においては浮いていた。しかし、衣服も剣も年季が入っており、青年が決して伊達や酔狂でその格好をしている訳では無い事が分かった。
青年は疲労をにじませながらも、その足取りは確かで、その拳は固く握りしめられ、その顔は不屈の表情を浮かべ、――青年は、星のような輝きを放っていた。
「……星が堕ちた。星を葬る為に、遠方より賢者が来訪する」
「今、何と?」
意味深げな呟きが耳に入って来て青年は歩みを止める。
「おや、聞こえてしまいましたか。耳がよろしいようで。占いです。或いは天啓とでも申しましょうか。不意に垣間見えたものですから、思わず口に出してしまいました」
開け放たれた扉の向こうから女が答える。こじんまりとした居酒屋やスナックなどが立ち並ぶ路地裏の一角でひと際地味なその店はどうやら占い屋のようだった。
「さて、あなたが賢者でしょうか?」
女は尋ねる。
「いいや、勇者だ」
「そうですか」
「だが星というのはまさか、魔王のことか。やはりこの世界に迷い込んでいたか」
「さあ? 詳しく占いましょうか、勇者様」
「いや、辞めておこう」
青年もとい勇者は、足早に去って行った。
「……」
それから数時間後、勇者は占い屋に戻ってきた。とは言え、勇者という呼称は不適切かもしれない。青年は数時間前には存在したはずの覇気が消え去っており、無気力な表情を浮かべていた。
「やはり、占いがご入用でしょうか、勇者様」
女は一変した青年の様子には気を留めず、先程と同じ調子で尋ねる。青年は、女に返答しようとしたようだが言葉が見つからなかったようだ。
「勇者様?」
「やめてくれ。私にそう呼ばれる資格はない」
「どういうことでしょうか?」
「死んでいたんだ?」
「誰が?」
「魔王だよ。既に誰かに殺されていた」
「おや、まあ」
「私はこれからどうすればいいんだ」
「自由に生きることが出来るでしょう」
女は宥めるように言った。
「自由か。はは、自由。魔王を倒すことだけを目標に生きて来た私が、自由を与えられたって何も出来やしないよ」
「……」
「まあ、そう悲観なさらずに」
「悲観はしていない。ただ、心にぽっかりと穴が開いたようだ」
青年は渇いた笑みを浮かべてそう答えた。その表情からは最早、星のような輝きは失われていた。勇者とは魔王があってこそ輝ける存在なのだろうか。それでは、少々、興ざめだ。
「私は何処へ行けばいいのだろう。元の世界に帰る方法も分からない」
「元の世界に帰りたいのですか?」
「……よくよく考えればそうでもない。帰ったら姫と結婚させられるだろうからな。そうしたら、自由も無い」
青年は冗談めかして言う。
「いや、姫との結婚そのものが嫌と言う訳でもない。元々、魔王を倒した後は、平和の礎として国に従事していくつもりだった。だが、姫は私の仲間と両想いなんだ。無論、姫は王族として勇者との政略結婚を受け入れるだろう。しかし、私が帰らなかれば、勇者の代わりにその仲間が爵位を与えられ、姫と結婚することになるだろう。そっちの方が善い結末だとは思わないかい」
青年は、勇気を喪失しても尚、高潔であった。……元勇者という肩書も中々、魅力的であるかもしれない。
「行く当てが無いのならば、家に来ない?」
わたしは言った。
「どなたでしょう?」
青年は困惑した表情を浮かべる。
「トーキョウって呼んで」
わたしはそう答えた。