1-1.36歳の私と18歳の彼女(1)
バスの運転手にも、善し悪しというか当たり外れというか、そういう違いがあると知ったのは、いつのことだっただろう? ずっと昔、つまりこの街、というかもうあの街と言った方が良さそうな街のタクシーが、ほとんど「悪し」「外れ」だと気づいた頃のことだったかもしれないし(素敵な学生時代、街中での飲み会の後に、山の上の研究室に戻る時の思い出)、義務のためにバスに乗るのが多くなってから、つまり、割と最近のことだったのかもしれない。いずれにしても、危うく接触しかけた(らしい)車にスピーカーで悪態をつくというのには、今日初めて出くわした。
二台の車を頭の中で天秤にかけながら、もし最期の瞬間を間近にしてこんな目に遭ったらどうだろうかと考える私が見る窓の外は、真っ暗だった。駅前のバス停を出発した時に満ちていた街の明かりも、今ここではもうほとんどない。しかしだんだんと別の形の光が見えてくる。道路や、だだっ広く、そして殺風景に開けた空間を照らす、真っ白で強烈な明かり。家なんて一つもない。代わりに、フェンスで区切られた向こう側に、箱のような形の味気ない建物が、並ぶというほどの密度もなく離れて立つようになっている。大きな箱を引く車には何度もすれ違い、あるいはあちこちに停められている。どこから来てどこに行くのか、想像もできない道筋。もしかしたら、これから私も同じ道を通るのかもしれないと思った。この先、港へ。
何度かの経験を裏切ることなく、バスは予定の時刻に遅れて到着した。船の会社のウェブサイトには出向一時間前までに手続きを、と書いてあったけれど、その時刻も過ぎている。それでも問題ないことを私は知っていた。経験で。
殺風景なフェリーターミナルのビルで手続きを済ませ階段を上がり、他では見かけない呼びかけのポスター――海のゴミ、密輸がどうとか、電波がどうとか、などなど――に見送られながら、薄暗く無骨なトンネルのようなタラップ(言葉が正しいか自信がない)を通り、検札を済ませ、船に入った。
その空間に対する驚きは初めて乗った時の記憶に置き去りにして、私は見取り図と係員の親切な案内に従い、自分の部屋に向かった。カーテン(これも正しいか不安)が下ろされていたり、あるいは上げられて空っぽな姿を見せている寝台の客室をいくつか通り過ぎた先。一段ではあっても、あるいはいくら「個室感覚」などと言われても、私にとっては寝台に違いなかった。つまり、部屋ではない。