006 野営
レイトとレテールは、男の後について荒廃した町の中を歩いた。崩れた防壁からそう遠くもない場所に、魔人の女がいた。
「ディアブル、その人たちは?」
「人間のハンターだ。魔王領を案内できる人を探しているらしい」
「ふうん。物好きね」
女は石に座ったまま、2人を見上げた。陽が落ちかけていて判りにくいが、濃いめの髪を肩に届く程度に伸ばした小柄な少女で、レイトとそう変わらない歳に見える。
ちょうど火を点けたばかりの焚き火を前にして、火かき棒代わりの棒を持っている。もう少し早く点火されていれば、レイトもレテールも、男に声を掛けられる前に警戒できただろう。
「俺たちはこれから夕食にしてここで一夜を明かす予定だ。あんたたちは?」
「私たちもここで野営するつもりで来た」
「そうか。食料はあるのか?」
「途中で魔兎を2頭獲った」
レテールは腰に下げていた魔兎を外して2人に見せた。
「兎! それ分けて! 代わりにお芋と果物あるから!」
少女が瞳を輝かせる。
「それなら、食材を交換して、一緒に食事とするか。いいか?」
レテールはレイトを振り返った。
「うん。姉様がいいなら、構わないよ」
レイトとレテールは荷物を下ろし、適当な石を持って来て焚き火の前に座った。
「自己紹介がまだだったな。オレはディアブル、こいつは妹のディーゼだ」
魔人の男が名乗った。
「私はレテール、こっちが弟のレイト」
レテールも名乗ると、魔兎を両手に1頭ずつ持って差し出す。ディアブルはその1つを取った。少し眉を顰めて。
しかし彼は何も言わず、レイトとレテールが座る石を用意していた間に分けておいた、根菜と果物を入れた網袋を両手で差し出した。レテールもその片方を受け取ると、軽く笑った。
「魔人の間にも、こういう時の作法は伝わっているんだな」
レテールが言った。
「ん? ああ、獲物の交換の作法か。ハンターの間で昔から伝わっている。見知らぬハンターパーティーから毒を盛られないための対策だな」
信頼できない相手から貰う物に毒を盛られていたら、致命的だ。そのため、仕事の途中でたまたま出会った見知らぬ相手と物々交換をする時は、同じ物を二つ差し出して相手に選ばせるという流儀がハンターの間では浸透している。
「人間にも魔人にも伝わっていると言うことは、魔王の降臨前から続く作法なんだろうな」
ディアブルが魔兎を捌きながら言った。
魔王が魔王領に出現したのは、400年前とも600年前とも、さらにもっと昔とも言われており、良く判っていない。確かなのは、魔王が現れてから100年単位の月日が流れていることだ。
その頃は魔王領など存在しておらず、この辺りも普通に人間の支配領域だった。その頃から続いている風習ならば、魔王が出現してから魔人となった者たちにも伝わっていておかしくない。
夕食の支度をしている間に陽は完全に沈み、レテールは魔術陣を空中に浮かべて光球を作った。
「お姉さん、レテールだっけ、それずっとやってて疲れないの?」
ディーゼが魔兎の肉で口をモグモグさせながら、4人を照らす光源を視線で示した。
「大したことはない」
レテールは何でもないことのように答えた。
「だけどそれだと、魔力垂れ流しでしょ? これだけの明るさの光をずっと保っているのって、アタシじゃ無理だけど」
「慣れだよ。それに魔術陣を併用しているから、消費魔力も見た目より多くない」
「魔術陣?」
ディーゼは魔術陣を知らないようで、首を傾げた。
「人間の魔術士が使う、魔力で作る立体的な紋様のことだろう」
ディアブルは魔術陣についての知識があるようだが、その言葉から詳しいとは言えないようだ。
「そう。こういうものだ」
レテールは、ごく簡単な魔術陣を目の前に作ってみせた。それをディーゼは、興味深そうに見る。
「これで、魔術を強化できるの?」
「いや、これは魔力を集中させ、濃度を高めるだけだ。濃度が濃ければ、光や炎にした時に強力になるからな」
そう説明して、レテールは魔術陣を消した。
「でも、魔術陣を作るのにも魔力を使うんでしょ? 効率悪くない?」
「使い方次第だ。通常の魔力操作でできる以上の濃度に圧縮できるから、瞬間的に高威力の魔術を使う時にはこれだけでも重宝する」
「ふうん。それ、アタシにも教えてよ」
「後にしろ。今は食事中だし、終わったら睡眠だ」
ディアブルがディーゼを嗜めるように言った。
「はあい」
ディーゼは素直に言って、果物を口に放り込んだ。
レイトとレテールは、野営中はどちらかが見張りに起きている。レテールとしては、自分だけで深夜の警戒を引き受けたいのだが、一晩くらいならともかく、一睡もしない日が続いたら昼間の行動にも支障を来たす。
レテールは先にレイトに見張りを任せ、地面に魔石付きの短剣を突き立てて広げた魔力を維持し、先に眠りに就いた。魔人たちも交代で休むらしく、ディーゼが地面に横たわり、ディアブルが槍を持って起きている。
「ディアブルたちは、どうしてこんな、旧魔王領の端まで来ているんですか? 住んでいるところは、もっと奥まった場所ですよね」
睡魔に襲われないようにと、レイトはディアブルに話しかけた。
「お前たちは魔王領を調べに来たと言っていただろう? オレたちも同じだ。人間がどこまで入り込んでいるか調べている」
そう言ってから、ディアブルはフッと笑った。
「……と言うのは建前でね、実のところはディーゼのガス抜きだ」
「ガス抜き?」
次の瞬間、何の前触れも無くディアブルが持っていた槍を両手で握り、その場から暗闇の中へと跳び出す。その動きに反応して、レイトも剣を抜いて構える。
「ジュッ」
微かな断末魔の叫びが聞こえ、すぐにディアブルが槍を担いで戻って来た。
「鼠だ」
魔鼠がレイトたちを狙っていたらしい。もっと近付いていればレイトも気付けただろうが、ディアブルの感覚はレイトを遥かに上回るようだ。
(この人、姉様より強いんじゃないかな?)
そんな思いを抱きつつ、レイトは抜いていた剣を納めた。
「……さっきの話の続きだが、ディーゼはお転婆でな。村に籠っての生活では不満を溜め込んじまう。しかし1人で外を出歩かせるには心許ないから、たまにこうして遊びに連れ出すわけだ」
「そうなんですね」
「それで、あんたたちの本当の目的は?」
「え?」
レイトはドキッとした。
「調査に来るなら、いくら何でも2人は少ないだろう。実際に調査を行う研究者にその護衛と考えれば、少なくとも5人は必要じゃないか? 自衛できるほどの研究者であれば2人でも解らなくはないが、2人とも、腕に覚えはありそうだが研究者には見えん」
「ええっと、それは明日、姉様から話してもらい、ます」
高鳴る心臓を抑えながら、レイトは答えた。
「……そうか。2人を見る限り、オレたちへの敵意はなさそうだからな。敵対するようなことがなければ、目的が何でも構わないが」
(さっきのを見せられたら、敵対なんてできないよ)
自分に気付けなかった距離から魔鼠の殺意を感じ取ったディアブルを思い出し、レイトはブルッと身体を震わせた。
夜半を過ぎ、レイトはレテールと、ディアブルはディーゼと見張りを交代した。
「レテールさん、隣に座っていいですか?」
「ああ、構わない」
焚き火を挟んで向かい合っていたディーゼの問いにレテールが頷くと、ディーゼは焚き火を回ってレテールの隣に座った。が、そこで身体を震わせ、妙な表情を浮かべる。
「どうした?」
レテールはディーゼを見て言った。
「あ、うん、その、レテールさんに近付いたら、何だか拒絶されてる……じゃない、近寄り難い気がして。……あ、きっと気のせいですよ、気のせい」
自分の返事がレテールの気分を害したのでは、と気になったディーゼは慌てて付け加える。しかし、レテールは少し考え込むと、ディーゼを見て言った。
「いや、ディーゼのその感覚は気のせいではないかも知れない」
「え? 何か心当たりが?」
「おそらく。この辺りはまだ薄いが、旧魔王領は瘴気に満ちている。その瘴気の影響を受けないように、私もレイトも対瘴気結界を張っている。それが、魔人に違和感を感じさせるのだろう」
レテールは、ディアブルと食料の交換をした時にも、彼が眉を顰めたことを思い出した。彼も、結界に触れて何かを感じたのだろう。
「それって、悪いものなんですか?」
「どうだろう? おそらく問題はないと思うが。この結界は、瘴気を弾き飛ばすように機能する。それで、魔人の体内の瘴気に影響を与えて違和感になるんだろうが、今まで調べた者はいないだろう」
「そうですか。でも、慣れるとこうして近くにいても平気ですし、きっと問題ありませんね」
ディーゼはニコッと笑った。
「それより、魔術陣について教えて欲しいです!」
「今か?」
「だって、気になるんですもん」
「気が逸れるから、夜が明けてからにした方がいい」
「何もしないで座っているだけの方が、寝ちゃいますって。何か話してた方が眠気も飛びますよ」
「……仕方ないな」
レテールはディーゼの勢いに根負けした。
「魔人も、魔術自体は使えるだろう?」
「はい、もちろん。はい」
判りやすいようにだろう、ディーゼは指を1本立て、その先に小さな光を灯して見せた。
「基本的にはそれと同じだ。魔力を特定のルールに従って置き、光でなく“陣”に変える」
ディーゼに倣うように立てられたレテールの指の先に、ガラスのような、4本の太い針状の物体が現れる。物質ではないが。
「これが魔力を圧縮する魔術陣。さらに、魔力強化の魔術陣、炎に変換する魔術陣、指向性を持たせて打ち出す魔術陣、発動のトリガーとなる魔術陣を重ねる」
レテールが言葉を紡ぐたびに、魔術陣が複雑になってゆく。
「この魔術陣に魔力を注ぎ込み、トリガーを入れると……」
魔術陣の一部がシュッと動いて位置を変えたかと思うと、細く強力な炎の射線が暗闇へと斜めに飛んだ。少し離れたところから、ドサッと何かが落ちた音が聞こえた。
「何!?」
ディーゼが立ち上がり、腰の短剣を抜いて警戒する。しかしレテールは落ち着いたままだ。
「何でもない。こちらを狙っていた鳥を落としただけだ」
「え? さっきの魔術陣で?」
「ああ。ほら」
ドサッと二人の目の前に鳥が現れる。
「え!? もしかして転移魔術!? レテールさん転移魔術も使えるの!?」
「静かにな。2人が寝ているんだ」
レテールに言われたディーゼはハッとして、眠っているディアブルを見た。気付いた様子はない。
「ごめんなさい。気を付ける。それで、これ、この梟はどうするの?」
「魔石と血を抜いて、明日の朝食にしよう。魔兎は残っているが、少ないからな」
レテールは転移魔術で魔石の採取と血抜きを行う。
「え? 待って、血抜きって転移魔術でできるの?」
「実際にできているだろう? 魔術陣を使うには、これくらいの繊細な魔力制御が必要だ」
「アタシ、そもそも転移なんてできないんだけど」
「いや、転移魔術を使えなくても、獣の血管に魔力を行き渡らせるくらいの繊細な魔力制御が必要、と言うことだ」
「ふうん。じゃ、アタシがこれくらいに細かく魔力を制御できるようになったら、魔術陣を教えてくれる?」
「私もレイトも、いつまでも旧魔王領にいるわけではない。教えている時間はないな」
「一緒にいる間だけでいいから!」
「……仕方ないな。魔力制御の出来次第だな」
「約束だよ!」
「見張りも忘れずにな」
「うん」
見張りもそこそこに魔力制御の練習にのめり込みそうなディーゼを諌めつつ、レテールは新たな薪を焚き火に追加した。