005 その頃、ローランディアの王宮で
(魔人、か?)
レイトが僅かに剣を引き抜く。その手を、レテールが抑えた。レイトはパッとレテールを振り返り、彼女は視線を現れた男から離さずに、微かに頷く。
レイトも視線を男に向き直した。抜き掛けた剣も鞘に納めたが、手は柄から離さない。
「人間がこんな魔王領の奥まで何の用だ」
男はもう一度言った。槍の穂先は上を向いているが、槍を握る腕には力が籠っている。
レテールはレイトの手を軽く叩いてから、彼の前に出た。
「お察しの通り、私たちはハンターだ。魔獣狩りに来ている」
「こんなに奥まで来る人間のハンターはいない。何が目的だ」
男の言葉を、レテールはハッタリと受け取った。確かにここはそれなりに旧魔王領の奥にはなるが、現ロンテールの町から精々1日の距離だ。ハンターが入り込まないほどの奥とは言えない。
「誰も来ないことはないだろう。私たちは初めてだが、ここはそこまで奥地ではない」
答えてから、レテールはふと気付いた。魔人であり、旧魔王領に居住しているなら、旧魔王領の地理には詳しいのではないだろうか。旧魔王領は広大なのでその全域を熟知しているとは思えないが、少なくとも彼らの活動範囲圏であれば、他所者よりも遥かに詳しいだろう。
そう考えたレテールは言葉を付け加える。
「あなたはこの辺りに住んでいるのか? それなら、道案内を頼みたい」
「なに?」
「姉様?」
後ろから聞こえた声に、レテールはチラッと振り返って『任せておけ』と目配せし、男に向き直った。
「魔獣狩りも目的だが、旧魔王領奥地の調査もしたい。そのためには、あなたのような現地のガイドがいるに越したことはない。頼めないか?」
男は胡乱そうにレテールを見た。
「本気か? 解っていると思うが、俺は魔人だぞ? そんな簡単に信じていいのか? 人間を殺している可能性は考えないのか?」
「それも魔王の命令あってのことだろう? 謂わば戦争での出来事だ。個人的な恨み辛みがあったわけでも、快楽殺人を楽しんでいたわけでもあるまい」
「当たり前だ!」
男は語気を荒げた。が、すぐに大きく息を吐いて気持ちを落ち着けたようだ。魔人は気性が荒いというが、この男はそこまででもないらしい。いや、それを自覚しているから、抑える術を知っているのか。
「道案内か。そう言っておいて魔人狩りに来たのではない、とお前は証明できるか?」
そう聞くということは、かつて似たようなことがあったのかも知れない。
「そんな物はない。私の言葉だけだ」
「ふん……」
男は値踏みするようにレテールと、剣の柄を握ったままのレイトを見た。それから片手を槍から離し、それを肩に担ぐ。
「ついて来い。案内するかどうかは、聞いてから決める」
男はレテールの話を一応は信じたらしく、2人に背を向けて歩き出す。レイトも剣から手を離し、レテールと一緒に男に着いて行った。
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「ぐっ」
(く、くそっ、またかっ)
ローランディア王国の王宮に与えられた部屋で、ランぜは突然の頭痛に頭を抱えた。王宮に迎えられてしばらくしてから、謎の頭痛に悩まされている。医師にも診てもらったものの、明確な原因は判らず、気疲れだろうと診断され、頭痛薬を渡された。
王女リンゼーナの婚約者として王宮に迎えられてからというもの、ランゼは王宮で王族としての教育を受けている。いわゆる、帝王学というものだ。他にも、経済学やら経営学やら、学ぶことは多い。
次期国王姉の夫として国王を支えることを期待されていたので、これらの教育は元から必要なことだった。そして、王太子エルテリスが真の魔王として廃嫡された今は、彼の役割はさらに重要なものとなっている。
エルテリス廃嫡直後は、女王として立つリンゼーナの夫として彼女を支える、という、予定されたものとあまり変わらない立場になることが期待されたが、2季(感覚的には約3ヶ月)が過ぎる頃には、彼こそが王として立つべきでは、という声が貴族から出始めた。それだけ、彼が真面目に施政者としての学習に打ち込んでいるということでもある。
そして彼を襲っている謎の頭痛は、今までハンターとしての生活をしていた彼が、机に齧り付いて勉学に励んでいるから、その生活の変化が現れたものだろう、というのが医師の見立てだ。
(藪医者め)
しかしランゼは、それが的外れであることを直感的に感じていた。医学知識のない彼の直感など当てにならないことは、ランゼ自身が良く解ってもいるのだが。
しかしそれでも、この頭痛は生活の変化が齎したものではない、とランゼは確信に近い感覚を持っている。それが何故なのか、原因は何なのか、それは彼にもまったく解らないのだが。
(頭に誰かの、何かの意思が無数に入り込んでくる、そんな気がする……何だ、これは)
しばらく経つと、頭痛は治まった。ランゼは両手で顳顬を揉む。
ドアがノックされた。
「誰だ」
「わたくしです」
薄く開かれたドアの隙間から覗いたのは、リンゼーナ王女の顔だった。
「リンゼーナ。何か用?」
最近になって、ようやく名前で呼ぶことにも、敬語を使わないことにも慣れて来たランゼ。その婚約者に、リンゼーナはプクッと膨れて見せる。
「用がなければ訪ねてはいけませんか?」
「いや、そういうわけじゃない」
「ふふ、冗談よ。お夕食の時間だから、呼びにきましたの」
リンゼーナは表情を笑みに変えて言った。
「侍女に頼めばいいのに」
「わたくしが自分で呼びに来たかったのです。さ、参りましょう」
「仰せのままに、王女様」
ランゼはリンゼーナに、芝居めかしてお辞儀した。
王宮の別の場所で、ランゼを除く魔王討伐パーティーが夕食の席を共にしていた。
ランゼと同じく、彼らも王宮に迎え入れられたものの、元々ハンターだったこともあって集団戦への適性が乏しい。そのため、エピスタ、リエラ、マギエンの3人は騎士団で、ソルシアは魔術士団で、指南役としての仕事を与えられている。
もっとも、騎士たちも魔術士たちも基礎はできている者たちばかりなので、手合わせの対戦相手としての役割がほとんどだ。指南役と言うより、実戦経験の相手と言った方が相応しい。
宮仕えとなってからも、数日に1度はこうして4人で食事を摂っている。しかし、この席にランゼが同席することはほとんどない。騎士や魔術士として仕える彼らと、王女の婚約者に迎えられたランゼとの壁を感じる。
「ねぇ、ランゼって最近、変わってない?」
槍士のリエラが言った。ランゼと会う機会が減ったものの、皆無というわけではない。
「ハンター活動をしていた時には常に一緒だったからな。たまにしか会えないからそう思うんじゃないか?」
重剣士のエピスタは、リエラの懸念を気のせいだと一笑に付す。
「そうかなぁ。たまに会っても、前よりも素っ気ない……って言うより、会話中に別のことを考えているように見えるのよね」
「王族の一員となるのですから、色々と大変なんでしょう。そのうち、元に戻るんじゃないかしら」
魔術士のソルシアが言った。彼女はランゼの変化を感じつつも、彼の立場を思えば仕方がない、と考えているようだ。
「それとはちょっと違う感じなんだけど」
「オレも、最近のランゼには違和感があるよ。リエラも言ったけど、会っていても何となく上の空になっている感じがあるんだよな」
弓士のマギエンは、最近のランゼに対してリエラと同じように思っているようだ。
「しかし、だからって何かできるわけでもないだろ」
「そうなんだけどね。ただ、ちょっと寂しいかなって」
「それは確かに」
エピスタの言葉にリエラが答えると、彼もそれは思っていたようだ。ランゼの変化は置いておくにしても、これほど近くにいるのに滅多に会えない寂しさは、この4人共通の感情だった。
「昔は、それこそ魔王討伐なんてものに行く前は楽しかったよな。大変でもあったけど」
マギエンが言った。
「そうね。5人でパーティーを組んだ時にはまだ弱くて」
「ギルドで簡単な依頼を受けて実戦と実績を積んで」
「ちょっと無茶な依頼に手を出して全滅仕掛けたこともあったな」
「いや、あれは依頼じゃなかった。魔獣退治に行って引き込まれちまったんだよ」
「そうそう。魔人ではない魔獣も罠を張るって、あれで思い知らされたのよね」
4人は昔話に花を咲かせた。かつてはここに、もう1人の仲間がいた。その仲間は今も近くにいるが、随分と離れてしまった気もする。
思い出話を語り合う喜びと共に、変わってしまった立場に一抹の寂しさも感じる4人だった。