003 鍛錬と狩猟
「ボクがあんなに強くなっているなんて思わなかったよ」
宿屋に戻ったレイトは、レテールに言った。
「この半年の訓練で、その前の6年分以上の上達をしているからな」
「それはつまり、今までの訓練は真剣じゃなかったということだよね……」
「それは仕方がない。剣の鍛錬だけでなく、他にもやることが多かったのだから」
「そうだけど。それに、相手の強さもまだ見極められないし。あの剣士に勝てるなんて思わなかった」
「手合わせだったからな。実戦だったら、単純な剣の腕では図れないから結果も変わっただろう。それに、もう1人の剣士が相手だったら、今のレイトには手合いでもきつかったろうな」
「そうなの? もう1人の方が弱そうに見えたけど」
「見た目だけで判断しているようでは、まだまだだな」
「うーん、頑張るよ」
ハンターとして活動してきた4季の間に、レイトの剣士としての実力は上がっているものの、他人の実力を見極める力はまだ拙いようだ。
「明日も早い。さっさと寝よう」
「はい。姉様、お休みなさい」
「ああ、お休み」
二人は浄化魔術で服と身体の汚れを落として、それぞれのベッドで眠りに就いた。
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次の日、レテールは起きると昨夜のうちに裏の井戸で汲んでおいた水で目を洗った。続いて、荷物の中からガラス製の小瓶を取り出すと、中の液体を左右の真紅の瞳に一滴ずつ垂らした。
「ん、おはよう」
「おはよう。起きたか」
そう答えて振り返ったレテールの目は、レイトと同じ蒼い目をしている。
レイトもベッドから降りると、寝る時には外していた鉢金を額に巻き、靴を履き、マントを羽織り、剣を背中に背負う。レテールもマントを羽織ってワンドを持ち、バッグを持って宿を出た。
朝から開いている食堂で朝食を摂り、昨日町に入った時とは別の、旧魔王領側の門へと向かう。
「あんたたち、初めて見るな。その格好は、ハンターか?」
門番が2人を止めた。
「ああ。魔獣狩りだ」
「ハンター証の提示を。この門は今、ハンターと旧ロンテールの町の復興事業者しか通せないんだよ」
旧魔王領方面への道だからだろう、通行が制限されているようだ。別の門から出て迂回もできるので、あまり意味があるとも思えないが。
2人はハンター証を出して門番に見せた。
「よし、通っていいぞ。ああ、2人は日帰りか?」
「その予定だ」
「あまり遅くならないように注意しろよ。遅くなると門が閉まる。通用門は開いたままだから町に入れないわけではないが、手続きが面倒でね」
「解った。気を付ける」
どちらにしろ、2人は今日、宿の部屋を代わるので、あまり遅くなる予定はない。
門を抜けると、広い石畳の道がどこまでも伸びている。かつて、旧ロンテールから現在のロンテールへ移住するために整備された道だ。今は逆に、旧ロンテールの町を復興するために資材や人を運ぶために使われている。
ただ、旧ロンテールはまだ瘴気が濃く、1季(=48日。約1.5ヶ月)以上の滞在は許されていない。復興のための工員やその護衛の任に就く騎士たちは、1旬(=8日。約1週間)ごとに交代して、魔人化を抑えているらしい。
門を出たレテールとレイトの2人は、しばらくは石畳の街道を進んだ。1ミック(1日=20ミック。1ミックは約1時間)も経たずに、道の両側にどこまでも並んだ石柱の列が見えてくる。旧魔王領との境界線だ。これまで旧魔王領との国境線に沿うように旅をして来た2人にとって、見慣れた光景でもある。
街道の左右に立つ石柱抜けた二人は、そこから道を外れて草原に足を踏み入れた。街道にも魔獣は出るものの、遮蔽物があった方が出現率は高い。それでも、旧魔王領の外縁に当たるこの辺りでの遭遇率は知れたものだ。
それでも、2人が少し離れた場所に見える森に向かって歩いていると、近くの灌木の繁みから小動物が飛び出した。すかさずレイトは剣を抜き、一足飛びにその動物に襲いかかる。小動物は、兎だ。身体の大きさと毛の色からして、おそらくは魔兎だろう。
近付くレイトに気付いた魔兎は一瞬身体を硬直させたものの、すぐに頭を下げ、丸まった角をレイトに向けて突進する。が、その時にはレイトは両手で持った剣を振り下ろしていた。
ザシュッ。
魔兎の頭部が真っ二つに割れ、地に伏した。
「まずまずだな。この後もその調子でいこう」
待機させておいた球形の魔術陣を消したレテールが言った。
「姉様に比べたらまだまだだよ。姉様なら、兎が走り出す前に首を落としたでしょう?」
レイトは剣に着いた血を浄化魔術で落としてから、背中の鞘に納めた。
「そうだな。今はこちらを狙っていたわけじないから殺気はなかったが、兎が跳び出る前に繁みが僅かに揺れた。風で揺れる時とは微妙に違ったから、跳び出す前に臨戦態勢には入れるな」
実際、その時点でレテールは魔術陣を構築していた。レイトが剣に手を掛けるよりも一瞬早く。レイトもその歳にしては剣の腕は上達しているものの、気配の読み方はまだまだレテールに敵わない。いや、剣術すら、魔術士としてハンター活動を行なっているレテールに敵わないのだが。
レイトは仕留めた魔兎の前に膝を付くと、腰の短剣を抜いて魔兎の胸に突き立てる。探るように短剣を動かすと、黒く丸い石……魔石が転がり落ちた。
「魔石の摘出はもう慣れたな」
「数を熟しているからね」
魔獣が死んだ後に心臓が石化した魔石は、魔力の貯蔵に使えるし魔術具の材料としても優秀だ。皮の使えない魔獣も、肉の不味い魔獣も、魔石だけは需要がある。大きさにもよるが、それなりに高額で売れるので、ハンターによっては荷物になる肉や皮を捨てて魔石だけで稼いでいる者もいる。
レテールは、余裕があれば使える物、売れる物は持ち帰ることにしている。動かなくなった魔兎に魔力を通し、体内の血液を転移魔術で体外に捨て、魔兎の後肢を縛って腰からぶら下げた。兎の1頭程度なら、圧縮魔術を使うまでもない。
それ以上の魔獣とは遭遇することなく、2人は森の手前まで来た。そこで2人は荷物を下ろし、レイトはマントを脱いで荷物と纏めて地面に置く。
「今日こそは1本取る」
「できるならね」
レイトは剣を抜き、レテールもワンドを構える。
「来い!」
「はっ!」
レイトは両手で持った剣をやや下段に構え、レテールに向かって突進する。斬り上げられる剣をレテールは半歩下がって避ける。レイトは突進の勢いを殺さないままに剣を振り下ろし、レテールのワンドで受け止められる。
ガキンッ。
「くっ」
レテールは剣を受け止めただけでなく、上に弾いた。剣を跳ね上げられて空いたレイトの胸元に、レテールはワンドを突き込む。レイトは素早く後ろに跳び退さりながら剣を構え直し追い討ちに備えるが、レテールは追って来ない。
一瞬で息を整えたレイトは再びレテールに向かって跳び込む。今度は最上段から振り下ろされた剣を、レテールはやはりワンドで受け、今度は横に弾く。
レイトはレテールの動きに逆らわずに剣を弾かれ、そのまま身体を回転させて逆側からレテールを斬り付ける。しかし、レテールはレイトが身体を反転させた隙に彼の懐に跳び込んでいた。
ドンッ。
「ぐはっ」
胸を強く突かれたレイトは、片手で胸を押さえ、1歩2歩と後退る。
「今のは敵に背を見せた上に、服の強化が弱かったな」
「う、うん。姉様の攻撃に合わせて、強化を強めようとしたけど、一瞬、遅かったよ」
息を整えながら、レイトは眼球だけ動かしてチラッと森を見た。レテールも軽く口角を上げる。
「それでは、今度はこちらからも行くぞ」
「はい、姉様」
少し距離を取り、再び対峙する2人。レテールの足が地を蹴り、2人の距離が一気に詰まる。
その時。
レテールが攻撃に出るタイミングを図っていたように、森の木から獣の影がレテールに向かって跳んだ。
それを予期していたレテールは、もう一度地を蹴って跳び掛かる獣から離れるように軌道を変える。そこへレイトが跳び込み、両手で持った剣を振り上げた。
「ギャンッ」
狙いや過たず、レイトの剣は獣の首を斬り落とした。首と胴体を斬り離された獣は、なす術を失って地に落ちる。
「上手くタイミングを図れるようになったな」
「足踏みしてはいられないからね」
レイトは笑って、獣──魔豹だった──の身体から、魔石を取り出し、続けて、レテールが血液を抜いた。
レイトの剣の鍛錬は昼食を挟んで午後にも続き、午前の魔豹に続いて森から2人を襲って来た魔虎を返り討ちにしたところで、帰途についた。レテールが、魔術で冷却しておいた獲物をそのまま圧縮してバッグに入れ、まずは街道へと向けて歩き出す。
街道が見えたところで、道の向こう側に人と獣の姿が見えた。人は4人、獣は彼らを取り囲むように10頭前後。
「姉様!」
「助けるよ」
「はい!」
2人は、走り出す。走りながらレイトは剣を抜き、両手で構える。レテールは周囲にいくつもの魔術陣を作り出し、走りながら攻撃を掛けた。
10個の魔術陣から、細い炎の線が獣たちに向かって迸る。
「ギャンッ」
一瞬にして、6頭の獣が頭や胴体を射抜かれて倒れ、2頭が脚を貫かれた。
「はぁっ」
獣──魔狼だ──たちの連携が乱れたところへレイトが剣を振り下ろし、1頭の首を斬り飛ばし、負傷していたうちの1頭に止めを刺した。
襲われていた4人も、魔狼たちの攻勢が乱れたところで反撃に移り、残る3頭と負傷した1頭を一気に倒す。
「助かった。ありがとう。って、あんたらは」
4人は、昨日レイトたちをパーティーに誘ったハンターたちだった。
「礼は不要だ。私たちはこれで失礼する。レイト、行くぞ」
「はい」
「いや、ちょっと待った。あんたたちの取り分は」
「それは貴方たちの獲物だろう。私たちは通りがかりに手伝っただけだ」
「いやいや、あんたたちが助けに入ってくれなかったら、負けたとは思わないがかなりの手傷を負っていたはずだ。これで手ぶらで追い帰したなんて広まったら、オレたちの評判がダダ下がりだよ。頼むから半分、せめて3分の1は持って行ってくれ」
リーダーだろう剣士に喰い下がられて、レテールは溜息を吐いた。
「そんなに言うなら、8頭分の魔石だけ貰う。それでいいか?」
「魔石だけでいいのか?」
「ああ。むしろ私たちには、魔石の方がありがたい」
魔狼で一番高く売れるのは魔石なので、レテールの言葉は誰にとっても当たり前ではあるが、実のところ、レテールにとってはそれだけではない。彼女は自分でも魔術具を作るので、魔石はあればあるほどありがたかった。
話が纏まると、レテールはレイトに魔石の取り出しを任せた。ハンターたちも、魔狼の血抜きを始める。このパーティーの魔術士は、転移による血抜きを苦手とするようだ。もしかすると、転移自体をできないのかも知れない。
その魔術士が、レテールに話しかけた。
「それにしても、魔術陣を同時にあんなに作れるなんて、あなた、とんでもありませんね。おれは同時には2個が限界ですよ。コツはあるんですか?」
「コツというほどでもないが……同じ魔術陣だったから、複数箇所に同じ物を同時に作っただけだ」
「同じ物を同時に……」
「そうだな……例えば、両手にペンを持って同じように動かせば、同じ絵や文字を2つ同時に描けるだろう? それを魔力でやるだけのことだ」
「なるほど。それでも10個同時は難しいんじゃありませんか?」
「回数を熟せばできるようになる。要は慣れだ」
「そうは言っても、簡単に出来ることではありませんよ……」
魔術士同士で話している間にレイトが8頭の魔狼から魔石を獲り終えた。助けたハンターパーティーと別れたレイトとレテールは、彼らよりもひと足先に町へと向かった。