045 真の仇
「ボクは魔王ではない。魔王は別にいる」
レイト……いや、エルテリス元王太子の言葉に、カタインは仰向けに倒れたままジロリと刺すような目を向けた。
「魔……王の言葉……など……信じられ……るか」
エルテリスは、コルテを視線で制して彼女の前に出ると、カタインの横に膝をついた。
「ボク1人の言葉では信じられない? 元とはいえ、この国の王太子なのに」
「無論、だ」
「けれど、ボクが真の魔王だと言う根拠も、剣士ランゼの言葉1つだよね?」
「……彼は、魔王を……倒した。その言葉は……重い」
「王太子の言葉は軽い?」
「……いや、しかし!」
「ランゼの仲間たちはどう言っている? 彼らも、ボクを真の魔王だと言った?」
「それは……」
カタインの目が僅かに泳いだ。口を開きかけて閉じる。エルテリスはコルテを振り返った。
「コルテ、カタインの傷だけど、血止めだけでもできる?」
「よろしいのですか?」
「この傷だもの、血止めくらいはしないと話もできない」
「……解りました」
コルテは躊躇ったものの、隠しから小さい魔石を1つ取り出して自分の魔力を込めた。エルテリスの隣に跪き、カタインの手に指で触れて彼の身体に魔力を通し、身体強化の要領で傷を塞ぐ。
「これを離すな」
「……ああ」
最後に魔石をカタインの掌に乗せて、コルテは立ち上がり、一歩下がった。
「話を続けるよ。あの時、ボクを真の魔王だと名指ししたのはランゼ1人、その根拠はランゼの『オレには判る』という言葉だけ。その後、コルテがボクを城から逃してくれた後、彼は具体的な根拠を言ったことがある?」
「……いや、言われてみれば、ない」
「彼の仲間、ハンターパーティーのメンバーたちはどう?」
「……ランゼの言葉を、否定はしなかった。が、彼らの口から、真の魔王を名指しする、言葉は聞いた覚えはない、な」
「つまり、ボクを真の魔王と言っているのはランゼ1人の言葉のみ。そしてボクは、ボクが魔王ではないと断言する。どちらが正しいか判断はできなくても、片方の言葉だけを聞くのは愚かなことじゃないかな?」
「殿下だけではありません。私も、殿下は魔王ではないことを知っています」
コルテが言葉を挟んだ。
「ありがとう。これで、ボクを魔王だと言うのは1人、魔王ではないと言うのは2人だ。多数決で決まることでもないけど、カタインはどちらが正しいと思う?」
「……糾弾されている本人と、その従者の言葉など、証言としては、弱い」
「そうかもね。実際、ボク自身も、自分で気付いていないだけで魔王なんじゃないか、と悩んだ時はあった」
「……『あった』のなら、今は違う、のか?」
「さっきも言った通り、今はボクは自分が魔王ではないと確信している」
「……理由を、お聞きしても?」
カタインは口調を改めた。コルテの応急処置で出血は止まったが、まだ息は苦しそうだ。
「そのつもり。少し前まで、ボクはコルテと一緒に、旧魔王領に行っていた」
そこでカタインがカッと目を見開いた。
「旧魔王領!? やはり魔王だから……」
「黙れ。殿下が話している」
コルテは、剣の鞘で負傷中のかつての上司を遠慮なしに小突いた。カタインは呻いて口を閉ざす。
「コルテ、あまり手荒にはしないで」
「申し訳ありません」
コルテは素直に剣をどけた。
「ボクの護衛がすまない。でも、また手を出さないとも限らないから、ボクが話し終えるまでは聞くことに専念して欲しい。ボクはコルテと、魔王に関する情報を求めて旧魔王領の最奥、魔王城まで行った。そこで……」
カタインは時々呻きながら、エルテリスの言葉を今度は最後まで聞いた。
「魔人は、魔王の存在を感知し、それには、媒介として瘴気が必要……」
「それが、ボクたちが旧魔王領、魔王城で得た事実だ。ボクの言葉だけじゃ信じられないかも知れないけど、魔王城へ行って四天王だったノルンに聞けば、裏は取れるはずだ。魔王城までの道のりが遠いけど」
「……殿下と、コルテは、旧魔王領にいる間、ずっと瘴気結界を?」
「もちろん。ボクも魔人になる勇気はなかったからね」
「し、しかしそれなら、瘴気のない王城で、陛下を襲った魔犬は……」
「瘴気は今や、全世界を薄く覆っているんだよ。旧魔王領のように、人が魔人化するほどの濃さはないけど。これは前々から学者たちの間でも議論されていたことだ。父上……の命を奪った魔犬が魔王に操られてのことなら、その仮説は正しいとみて間違いない」
途中で言い淀んだが、エルテリスは言葉を最後まで続けた。
「それなら、殿下が魔王でないなら、誰が魔王だと……」
「それについても、ノルンとも話した。魔王亡き今、魔王の力を使う者がいるとすれば、それは魔王に最も濃く触れたものだろう、と」
「魔王に、最も濃く、触れた……その四天王とやら、か」
「いや、そうじゃない。さっきも話したように、魔王は今、旧魔王領にはいない。そして、魔王に近しい魔人は旧魔王領を離れていない。魔王に濃く触れ、かつ旧魔王領を立ち去った者といえば……」
「……魔王を倒した、ハンターたち……か?」
カタインは声を搾り出すように言った。
「……ランゼの動向はハンターギルドの情報でも判っているけど、彼の仲間の4人の動向は?」
「……騎士団や、魔術士団の、指南役に就いた。陛下が身罷られてからは、オレは城を出たから、判らない」
「そう。それじゃあ、5人の誰かは判らないね。いや、5人の中に魔王がいる、というのも推測でしかないけれど。でも、父上が亡くなった後の王国の動きを見れば、魔王がどこにいるのか予想はできる」
「……まさか!」
カタインは目を見開いた。
「ここでは断言はしない。でも、ボクよりも魔王として疑わしい人物がいるのは解ってくれるよね」
「……」
カタインは黙ったまま、唇を噛み締めた。
「……コルテ、カタインは大丈夫?」
エルテリスはコルテを振り返った。
「私は医師ではないので断言はできませんが、血管も繋いだので治癒するまで激しい運動をしなければ大丈夫でしょう」
「動けるようになるのにどれくらいの時間がかかるかは、……さすがに判らないか」
「いえ、もう動けるはずです。痛みはあるでしょうが」
「え?」
エルテリスは視線をコルテからカタインへと変えた。カタインはジロッとコルテを見上げる。
「無茶を、言うな。まだ痛みで、動けん」
「痛みを無視すれば動けるだろう?」
「コルテ、無茶をさせちゃ駄目だよ」
「護衛騎士というものは、主を護るために無理をするものです。この程度の無理は、無茶とは言いません」
「それは、その通りだがな」
カタインは顔を顰めつつ、上体をゆっくりと起こした。
「本当に大丈夫なんだね。それじゃあ、ボクたちはもう行くよ。ボクを狙った以上、今以上のことはできない。カタインが父上の護衛騎士として今後どうするのか、ボクからは何も言わないけど、今度は間違った判断をしないように願っている」
「……肝に命じます」
「それじゃあコルテ、行こう」
「はっ」
エルテリスとコルテは、少し離れたところで不安そうに待っていたシュバルに乗り、その場から立ち去った。
彼らを見送り、また仰向けに倒れたカタインに、愛馬が寄って来て顔を舐めた。
「大丈夫だ。おれはまだ死なん。仇だと思っていた相手が、見当違いだった上に、見逃されるとは、な。仇を討つにしろ返り討ちにされるにしろ、ないものと思っていた命だ。永らえたからにはもう一度足掻いてやる」
一度は消えた瞳の光が、再び灯る。
それを愛馬は、悲しそうに見ていた。
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一方、レイトとレテールは、一路次の町を目指してシュバルを駆る。
「姉様、次の町で剣を買おうと思う」
カタインと別れてからずっと黙っていた2人だったが、しばらくしてレイトが徐に言った。
「どうした? 突然」
レテールも口調を“レテール”に戻して聞く。
「やっぱり、この剣は姉様が使うべきだと思う」
「……私は魔術士だぞ」
「でも、騎士だったから剣の腕も確かでしょう? それはカタインとの戦闘でも、魔王城でのソウガとの闘いでも判るよ。それに、魔術と剣の両方を使った方が、姉様の手が増えるよね」
「それだけか?」
「ううん。この剣、元々姉様が使っていた物だから、ぼくには大きいんだよね。前から解ってはいたことだけど。さっきはカタイン1人だったから良かったけど、伏兵がいたらボクも自分の身ぐらいは守れないと。だったら、身体に合った剣の方がいいと思って」
「それは確かにな。それじゃあ次の町では、まずは武器屋に行こう」
「うん」
2人を乗せて、シュバルはカポカポと脇街道を歩いて行く。




