043 追跡者
レイトがボス猪を倒したことで、他の猪たちは気勢を削がれた。どうしようかと悩むように辺りを見回し、その間に猟師の放った矢に射抜かれ、また、仲間のその様子を見て逃げ出してゆく。そう時間の経たないうちに、村の農地から動いている獣はいなくなった。
村の猟師たちは、朝を待たずに猪の処理をするために、農地に散って行く。
「姉様、これ」
そんな中、巨大なボス猪の傍で、レイトがボス猪の死体から抉り出した物をレテールに見せた。
「……魔石か」
「うん。ただの猪じゃなくて、魔猪だったってこと」
「旧魔王領からこれだけ離れた場所にもいるなら、王国中、いや、もっと広範囲に広がっている可能性があるな」
「うん。“真の魔王”がどれくらい力を持つことになるのか判らないけど、国中に広がっていたら厄介だね」
「魔獣を狩り尽くすのは現実的でない。狙うなら」
「魔王だね」
「ノルンの推測が正しければ、避けて通ることはできないしな……」
2人が話しているところへ村人が駆けて来たので、内緒話はそこまでで切り上げた。
村長は、ボス猪を倒してくれた礼をしたい、とレイトたちに言ったが、レイトは『たまたま村に滞在していた時に、たまたま野獣の襲撃があったから、ついでで狩っただけ』と答えた。それでも喰い下がる村長に困ったレイトは『それなら、ボクの仕留めた大猪を売り払うので、その対価を』ということで落ち着いた。
田舎の小村ということもあり、そう大した貯えがあるわけでもないだろうが、村長はかなりの硬貨を用意してくれた。もっとも、あの巨大なボス猪をハンターギルドで売却すれば、倍くらいの値が付いただろう。しかし、レイトも稼ぐつもりで遠回りしてまで立ち寄ったわけでもないので、気にしなかった。
レイトとレテールは、その日の昼前に村を発った。ソールとエバも着いて来る。二人も、数体の猪を仕留めていて、猪の牙や肉を荷物に加えていた。
「良かったのかよ。レテールならあの猪を丸々持ち帰れたろう? ギルドで売却していたらもっといい値がついたぜ」
ソールが声を張って言った。しかし、レイトもレテールも無視を決め込んだ。
「おい、返事くらいしてくれよ。悲しくなるぜ」
なおも言い募るソールの言葉は、森の中で虚しく響いた。
陽が暮れる前に一行は森から出て、暗くなったところで野営にした。メイニールの町に着く前に、もう一回野営が必要になる予定だ。村に寄り道せず、主街道を使っていれば、もう到着していた頃だろう。
「なあ。どうしてわざわざ、依頼を受けもせずに村に寄ったんだよ」
見張りに立ちながら、ソールは一緒に見張りをしているレイトに聞いた。が、またレイトは無視した。
「なぁ、何か気に障ったなら謝るから、いい加減に返事くらいはしてくれよ。レテールだけじゃなく坊主にまでつれなくされたら、さすがにオレも傷付くぜ」
悲しそうに言うソールに、レイトは溜め息を吐いた。
「餓鬼に無視されている程度で、大の大人が気を落とさないでくださいよ」
「いや、返事がないと虚しいからさ。それで、理由はなんだ?」
「村を助けてた理由ですか。別にありませんよ。困っているようだったから放っておけなかった、それだけです」
「それだけ?」
「そうですよ。ボクの実力じゃ、すべての人を助けることなんて無理ですけど、それでも、ううん、それだから、ボクの手の届く所で困っている人がいるなら、助けたいんですよ」
「ハンターの考え方じゃないな。まるで為政者のようじゃないか」
ソールは目を光らせて言った。
「そんな崇高な考えはありませんよ。ハンターなんていつまでも続けられる職業じゃありませんからね。将来、引退した時のために、あちこちに恩を売っておきたいんですよ」
レイトは動じた風もなく答えた。
「そういうことにしておいてやるよ」
それだけ言ったソールは、それ以上は余計な口を開かず、見張りに集中した。
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次の日、そろそろ昼休憩を取ろうかという時に、前方からこちらに向かって来る4騎の騎馬の姿が視界に入った。主街道でもないのに、旅人に出会うとは珍しい。
例の依頼を受けて村に向かうハンターだろうか? けれどあの内容で受けるハンターがいるとは思えないし、とレイトが考えつつシュバルの背に揺られていると、突然、手綱を握っていたレテールがそれを引いた。シュバルが嘶いて足を止める。
「姉様?」
「不味い。追っ手だ」
囁いたレテールの声に、レイトが表情を強張らせる。
レテールは素早く馬首を返し、鐙を入れてシュバルを走らせようとしたが、その前をソールとエバが塞いだ。
「どうしたんだよ。目的地は向こうだろう?」
ソールが淡々とした口調で言った。その目は鋭く細められている。エバも騎乗したまま、剣の柄に手を掛けた。
「ソール、エバ、ボクたちを売ったの? ……いや、最初から見張りだった?」
レイトが言った。
「そういうこと。リンベールの町で2人を見た時は信じられなかったよ。指名手配中の2人組が堂々と歩いているんだからな」
「見目が違うし、アタシはついさっきまでは半信半疑だったんだけどね。2人のその反応を見る限り、当たりだったようね」
ソールは騎乗したままスタッフを構え、エバを剣を抜く。しかし、攻撃の意思は感じられない。あくまでも逃走の防止が目的のようだ。
「真の魔王にして元王太子エルテリス! その護衛騎士コルテ! その首、貰い受ける!!」
至近距離で止まった騎馬を駆る男が声を張った。頬から顎にかけて無精髭が生え、全体的に薄汚れた印象のその男は、元王太子エルテリスとその護衛騎士コルテであれば良く見知っている顔、ローランディア王国の近衛騎士団長にして前国王ルティエスの筆頭護衛を務めた騎士カタインだった。
レテールはもう一度馬首を返して、声を掛けたカタインを見据えた。
「人違いだろう? 手配書では、元王太子エルテリスは金髪蒼眼、護衛のコルテは赤髪紅眼だったはずだ。私たち姉弟は見ての通り、2人とも赤髪蒼眼、それに、護衛騎士コルテの似顔絵には、こんな傷はなかったぞ?」
レテールは自分の右頬に大きく走る傷に親指を突き立てた。
「傷などいくらでも作れる。髪も目も色を変える方法などいくらでもある。第一、王妃陛下と国王陛下の仇の顔を、俺が忘れるわけがないではないか!」
レイト、いや、エルテリスが馬上でギリッと口を噛み締める。
「王妃陛下を殺害したのは剣士ランゼではないか! 国王陛下も野犬に殺られたと聞いている。それも魔王に操られてのことだろう! 私たちは無関係だ!」
レテール改めコルテが声を張る。
「黙れ! 貴様らが逃げなければ王妃陛下は亡くなられることはなかった! それに魔王はそこにいるエルテリスではないか!」
カタインは剣を引き抜き、その切先を2人に向けて続ける。
「騎士コルテよ! ローランディア王国の騎士でありながら、なぜ前王夫妻の仇と行動を共にし、護ろうとする! 今すぐにその真の魔王の首を斬れば、騎士団への復帰を認めるぞ!」
その提案を、コルテは鼻で笑った。
「私はエルテリス殿下の護衛の任をルティエス陛下より賜った! その任が解かれるまでは全身全霊を以て殿下を護るのみ! 相手が騎士団長であろうと、仮に殿下が魔王であろうと、それは変わらない!」
コルテの前で、エルテリスはその言葉を頼もしく聞いた。
「貴様こそどうなのだ、カタイン!」
「どう、とは!」
「ルティエス陛下の護衛でありながら、陛下を犬畜生如きの牙にかけられ、それでいて未だに生き永らえている自分を、護衛騎士として恥じないのか!」
「俺も護衛騎士の端くれ、任務を全うできなかった身として、前王陛下の後を追う覚悟はできている! しかし、それは陛下の仇を取った後のこと!」
カタインは瞳を血走らせて、エルテリスとコルテを睨む。それを見て、エルテリスは小声でレテールに言った。
「駄目だね。カタインの思いを変えさせるのは無理だよ」
「ええ。ですが殿下は必ず護ります」
「勝てるの?」
「難しいでしょう。ですが、私の役目は殿下をお護りすることですから。必ずしも勝つ必要はありません」
「解った。カタインの対応は任せる」
「は」
エルテリスとコルテが小声で話している間に、向こうも動きがあった。
「カタイン卿、これにて我々の仕事は完了です」
カタインの後ろにいたハンターたち──ソールとエバの本来の仲間だ──の1人が、馬を前に出して言った。
「解っている。そら、残りの報酬だ」
カタインは馬につけた鞄から、金貨の入った重い袋を左手で取り出し、ハンターに放る。
「確かに」
「追加の依頼だ。おそらくこの後、俺とコルテの戦闘になる。その間、エルテリスが逃走しないように固めておけ」
「それは……」
ハンターは、シュバルを挟んで反対側にいるソールを見た。ソールは軽く首を振る。
「申し訳ないが、その依頼は受けられない。どっちにしろ、あの子をこの場で殺すつもりだろう? 無抵抗の子供が剣に掛けられる様なんざ、見たくはないね」
「ふん。意気地なしが。まあいい。それなら、其方らとの関係もここまでだ」
「機会があったら、またよろしく」
ハンターは片手を大きく上げてソールとエバに合図し、馬首を返して街道を戻って行く。ソールとエバも武器を納め、馬の腹に鐙を当てる。
「じゃあな。本当に、仲間になりたかったよ」
去り際のソールの言葉に、コルテはフンッと鼻を鳴らして答えた。
「無事に切り抜けたら、またどこかで会えるといいわね」
「もう会いたくありませんよ」
エバの声に、エルテリスは視線も向けずに答えた。
ハンターたちが立ち去ると、エルテリスとコルテはシュバルから降りた。
「姉様、これを」
エルテリスは背中から剣を外してコルテに差し出す。
「ありがとうございます。殿下は、シュバルと一緒にお下がりください。ただし、あまり離れすぎないように」
コルテは布の巻かれた鞘から剣を引き抜き、代わりに腰のワンドを外してエルテリスに渡した。
カタインも馬から降りて2人に向かって歩き、50テールほどの距離をおいて対峙した。
主を護れなかった騎士と、主を護り続ける騎士が、剣を構えて向き合う。




