028 魔王とは
ローランディアの王都を夜の闇が覆っている。街のそこここに街灯はあるが、深い闇を吹き払うほどの力はない。
闇の中を闇が蠢く。蠢く闇が、街灯の光の下を通ると、それが黒い毛並みの犬だと判る。もっとも、それを見る目は1つもない。
黒犬は人目を避けるように裏道を歩く。この時間、繁華街でもないこの辺りに人目はほとんどないが。
黒犬の向かう先に、王城を囲む塀が見える。黒犬は細い道を曲がりながら、王城の塀に近付いて行く。
高い塀に辿り着いた黒犬は、城壁に沿って方向を変えた。夜番の警備兵が時折通りかかるが、その時には塀の隅に蹲ってやり過ごす。影に潜む黒い身体の犬に、警備兵は気が付かない。
警備兵かわ離れると、黒犬はまた壁に沿って歩いて行く。王城の裏手に来ると、城壁に張り付くように繁みがある。黒犬は繁みの中へ、ガサガサと潜り込んで行く。
繁みの中、城壁のすぐ横の地面に穴が空いている。黒犬は躊躇うことなく、その穴に潜り込んだ。穴はそこそこ深く、途中で王城へと向かって曲がっている。
穴の突き当たりに来ると、黒犬はモグラのように土を掻き出し、穴を奥へと掘り進めた。何の苦もなくやっているように見える。獣には珍しいが、両前足に魔力を集中させて足と爪を強化しているようだ。
穴はやや上に向かっている。ここまで、何日か掛けて掘り進んだのだろうか?
それも今夜で最後らしく、数時間の後には黒犬は城壁の内側に顔を出した。人影を確認するように辺りを見回し、穴から全身を出して再び歩き出す。
夜はまだ深い。それでも夜明けまで2ミックはかからないだろう。
黒犬は次第に王城の奥へと向かって行く。高い塀を見上げて飛び越え、目的地を解っているように迷いなく足を運ぶ。王城の外よりも頻繁に警備の騎士が見回っているが、黒犬は人の気配に足を止め、暗がりに隠れ、彼らをやり過ごす。
何度も壁を越え、屋根の上に飛び登り、王城内の奥まった建物へと屋根伝いに歩いて行く。
ある一室の上に来た黒犬は、下を確認するように屋根から顔を出し、思い切り良く飛び降りた。前脚を窓枠に引っ掛け、窓を見る。内側にある窓の留め金がカチリと小さな音を立てて外れた。この犬は、身体強化だけでなく念動魔術も使うようだ。全身を一律強化する獣ならば珍しいというほどでもないが、身体の一部だけを強化したり、ましてや念動を使うような獣は珍しい。この黒犬は特別に有能な個体であるようだ。
窓が外側にキィっと開く。黒犬は窓枠に引っ掛けた脚で身体を持ち上げ、音も無く室内に侵入する。
広い部屋だ。中央に大きなベッドがあることから、寝室のようだ。ベッドの上の毛布は人の形に膨らんでいて、誰かが眠っていることが窺える。
黒犬はベッドへと近付き、ベッドの上に飛び乗った。眠っている、疲れた顔の男の顔を、確かめるようにじっと見つめる黒犬。しばらく男を見つめた後、黒犬は口を開き、牙を剥いて男の首筋に襲い掛かった。
「ぎゃあぁあああああっ」
「陛下っ」
国王の寝室の隣、控えの間で夜番をしていた騎士が、隣室から聞こえた悲鳴に、王の寝室への扉を勢い良く開けた。
国王のベッドの上に黒い影が動いている。騎士は剣を抜くと同時に、発光魔術を使ってベッドを照らす。国王の首に喰いついていた獣が頭を上げる。口の端から高貴な血を垂れ流す獣の黒い目が、騎士を睨む。
次の瞬間、黒犬は騎士から視線を外し、室内をキョロキョロと見回した。その首筋に、騎士の剣が突き刺さる。黒犬はその一撃で絶命した。
「陛下、陛下っ!!」
国王はピクリとも動かない。騎士は呼子を取り出して鋭い音で応援を呼び、国王への呼び掛けを続けた。
────────────────────────
「まとめると、魔王は昔、空の上から降りて来た?」
閲覧した資料から纏めたメモを見ながら、レイトが言った。自分の言葉に納得していないような口調だ。
「降りて来たのか、落ちて来たのか、落とされたのか、その辺りは判らないがな」
レテールも手元のメモを見ながら答えた。
「でもそれって、空の上に国だか土地だかがあるってことだよね? そんなことあるのかな?」
レイトは顔を上げて言った。しかしその目に入るのは魔王城の天井だけ。
「ですが、魔王の姿を考えると、少なくともこの世界の生物とは思えません。空の上かどうかはともかく、別の世界からやって来たと言われた方が納得できます」
レイトとレテールに付き合っているノルンが言った。
「魔王の姿か……。確かにな」
レテールはノルンが描いた魔王の絵を見た。猛獣のような鋭い爪を持った足、馬のような胴体、そこから生えた人間のような上体、鋭い爪を持った2本の腕、頭に生えた2本と角、背中に生えた見事な翼。まったく異なる何種類かの生物を混ぜ合わせたような、それでいて全体的にバランスの取れた美しさをも感じさせる姿だ。
「正直、あのような生物がこの世界に他にいるとは思えません」
「唯一無二、ということか……」
呟いたレテールに、ノルンは頷いた。
「でもそれなら……魔王を討伐した剣士ランゼはどうしてローランディアの王太子を名指しして、真の魔王だと言ったんだろう?」
「それだけではない。魔王が今際の際に言ったという言葉、『真の魔王は人間に紛れて、復活の時を待っている』はどういうことだろう? 魔王はどこかに子種を残したのか?」
レイトとレテールが唸る。
「その、魔王の言葉というのはどこで知ったのでしょうか?」
「王太子エルテリスが真の魔王として指名手配された時に、剣士ランゼの言葉として伝えられたんだ」
ノルンの疑問に、レテールが答えた。
「ノルンは魔王の最後の言葉を知らなかったのか?」
「ええ。わたしは魔王城の北の門を守っていたため、魔王と剣士たちが闘った場にはいませんでしたから」
「そうか」
「その剣士が聞いた言葉は、どの程度の信憑性があるのでしょう?」
「魔王を倒した剣士は5人でパーティーを組んでいた。他の4人も聞いていたのなら、それなりの信憑性は担保されていると見るべきだろう。身内のことだから、口裏を合わせている可能性も否定はできないが」
ローランディア王国の元王太子を真の魔王と呼んだのは、ランゼだけだが、魔王最後の言葉は魔王を討伐したパーティーの5人全員が聞いている。エルテリス王太子を魔王と呼んだのはランゼの独断だとしても、真の魔王が存在するという言葉を魔王が残したことは、事実だろう。
「でも、今は魔王は確かにいるんですよね?」
「ええ。魔人であるわたしは確かに魔王の存在を感じています。他の魔人たちも」
「ディアブルとディーゼも、他の魔人たちも言っていたな」
「この絵のような魔王がどこかにいる、ということですか?」
「それは判りません。魔王を感じるといってもその姿形が見えるわけではありませんし、先ほども申し上げたように、魔王は唯一無二の存在だったと考えています」
「じゃあ、今どこかにいる魔王って、何だろう?」
レイトは首を傾げた。
「魔王の最後の言葉が真実なら、人間の誰か、ということになる」
「でも、どうやって人間が魔王になったんだろう? 足が増えたり翼が生えたりしたとは思えないから、魔王の性質を持ったのかな?」
「そうですね。わたしが魔王城に勤めるようになってからは、魔王はここから出たことはありません。それより前は判りませんが」
「何百年も生きているような存在だからな。過去にどこかへ出掛けていても、不思議はない」
「その時に、自分の子供を残した? でもそれなら、魔王がもっと産まれていていいはずですよね」
考えても、現在の魔王の所在は判るわけもない。
が、ノルンが思いついたようにそっと口を開いた。
「1つ思い当たること、と言いますか、気付いたのですが」
「何だ?」
「魔王と、非常に近しく接した者たちがいるのです」
「魔王と近しく? 四天王のノルンよりも?」
「はい」
「それは?」
レテールの目が鋭く光る。レイトもじっとノルンを見つめる。
ノルンは少し時間を置いてから、徐に口を開いた。
「魔王を討伐したという5人のハンター、彼ら以上に魔王に近付いた者は、いないと考えます」




