王女殿下の教育係 1
私は今、マークナル殿下の執務室の端で真剣にアイリス殿下の教育係として立てた分厚い計画書と向き合っていた。
「……アイリス殿下の教育係といっても、私が関われる部分はほとんどないのよね」
王室の歴史や王族としての教養、政治学と外交、社会奉仕についてはマークナル殿下が教えているという。淑女としての振る舞いやマナー、芸術はフィラス様が……。
お互い忙しすぎて屋敷では中々会えないウェルズ様。彼は今、重要書類を持ってマークナル殿下の執務室を訪れている。
(お願いするならこのタイミングよね)
マークナル殿下との話が一段落したらしいウェルズ様に近づく。そして計画書を差し出した。
「ウェルズ様にはこの部分をお願いします!」
「ん……?」
何かを依頼されるとは思っていなかったのだろう。ウェルズ様は職務中の表情を崩して目を瞬かせた。
「トレーニング、ダンス、災害対応と緊急事態への対処法はウェルズ様が担当です」
「俺が……?」
ウェルズ様は驚いた顔をしている。
確かにウェルズ様は騎士団長としてお忙しい。けれどアイリス殿下の魅了の力に影響されない貴重な人材だ。
「もちろん君の頼みなら……」
「えっ?」
「褒美は今度の休み、二人きりの時にもらおうか」
「は、はわわ!?」
こんな場面で甘い笑みを浮かべるのはやめてほしい。急に熱くなってしまった頬を手のひらで冷やす。ウェルズ様はニヤリと笑った。
「ところでカティリアは何を担当するんだ?」
「そうですね……王国の歴史や伝統、文学、地理学と異文化の理解、文書作成などでしょうか……」
私が教えられるとしてもそれは書物から学べることと、秘書官として培ってきたことくらいだ。
「あとは全力で」
「全力で?」
「遊びます!!」
「――君らしいな」
ウェルズ様が小さく笑った。
そんな仕草は急に彼を可愛らしく見せてしまうようで、今度こそ顔が紅潮しそうになった私は慌てて視線を逸らす。
(でも、どちらかといえば私のほうが学ばせていただいているのよね)
侯爵夫人としてはあまりにも無知な私。
アイリス様の教育係としてそばに置いてもらうことで逆に私が学ばせてもらっている。
「……もちろん学ぶことは大切ですが、アイリス殿下の健やかな成長のためには遊ぶことも重要なのです!」
「そう……」
なぜかウェルズ様が私のそばに顔を近づけてきて耳元に唇を寄せた。
「俺たちの子を可愛がる君の姿が目に浮かぶようだ」
「…………な、ななな!?」
そのまま頬に口づけされて、体中の関節がギシリと音を立てるように固まった。
「そこまでにしてくれるか? 目のやり場に困る」
「カティリアが忙しすぎるせいで、この場所くらいでしか会えないのです!」
重く長いため息とともに近づいてきたマークナル殿下が、異議を唱えるウェルズ様を私から引き離す。
「まあ、屋敷では見られない顔が見られたから、今日は引き下がるか……」
離れる直前、小さくつぶやいたウェルズ様と真っ赤になった私。
どちらが翻弄されてしまっているかなど明白すぎるだろう。
チラリと視線を送れば、ドアの前に立つフィラス様は表情一つ変えておらず、逆に申し訳なさと羞恥心が増してしまう。
こうしてアイリス殿下の教育係としての一日が幕を開けるのだった。
そしてもちろんマークナル殿下の秘書官としての仕事が減るわけでもなく、戦後処理に未だ追われるウェルズ様に負けないほど私も忙しくなってしまうのだった。
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