第八話 お茶会にて
コトッ、という音を立てて、目の前に一枚の皿が置かれる。その上には薄い木製のスプーンと、白くてらてらと輝く「雪まんじゅう」が置かれている。
「い、いただきます」
小さく呟き、スプーンを手に取る。それを雪まんじゅうの上に添え、縦にゆっくりと切り込みを入れる。力の加減はしているはずなのに、一切の抵抗もなくすんなりとスプーンが通る。
一口大に切ったそれを、そのままスプーンで掬い上げる。怜使の手の震えに合わせて、雪まんじゅうの欠片もふるふると震えている。その様に一瞬見惚れ、小さく息をついてから、それを一思いに口に入れた。
「〜〜〜〜っ!」
舌の上にのせた瞬間、まさに雪のようにとろける。なめらかながらすっきりした甘みが口いっぱいに広がり、思わず頬が綻んでしまった。
「そんなにおいしそうに食べてくれると、わしの方も作った甲斐があるってもんだねぇ」
そんな怜使の様子を見て、櫻が顔をしわくちゃにして笑う。手元には、湯呑みが四つ載せられたお盆がある。
「瑠華も彩も、喜んでくれてなによりだよぉ」
「はい。本当に、毎度ありがとうございます」
そう凛として礼を述べる瑠華も、先ほどから手が止まっておらず、雪まんじゅうの虜になっていることを隠しきれていない。彩は相変わらずの無表情だが、皿を見るとすでに雪まんじゅうは影も形もなくなっていた。
まんじゅう、と名に持ってはいるが、その形状や食感は寒天に近い。今三人が食べているのは雪まんじゅう(無印)だが、他にも桃味や抹茶味のソースが中に詰まっているものもある。そういう意味で、まんじゅうなのだろうか。
「さてと。そろそろ、用件を聞くとするかね」
雪まんじゅうの考察に夢中になる怜使を、そんな櫻の一言が引き戻す。ちょうど皿を空けた瑠華は口元をおしぼりで拭くと、体の向きを変えて櫻と向かい合った。
「して、今日は何を聞きに来たんだい?」
「それが、そこまで重要ではないこととは思うのですが……櫻さんは、いつどうやって魔法少女になったのかなと」
ん?今なんて?
「いつ、どうやってか……ううむ、もう何十年も昔の話になるからの……あまりよう覚えとらんが」
「ちょ、ちょっと待ってください!あ、あの、櫻さんも魔法少女なんですか……!?」
当然のように話を進めようとする櫻の言葉を遮り、怜使が声を上げる。
「あ、あれ?説明しなかったっけ……?」
「瑠華、あんた頭はいいのにそういうところあるでなぁ……」
その衝撃の事実を、二人が言外に肯定する。ここまでの会話から当然といえば当然だが、まさか昔馴染みの和菓子屋の店主も魔法少女だったとは。世界は狭いというか、意外と多いぞ魔法少女。
それにしても、魔法少女の祖母も魔法少女とは。もしかして__
「血縁も関係してる、とか?」
「それはないと思うな。私の家族には魔法少女はいないから」
「わしの娘……彩の母親も、魔法少女ではなかった。おそらくは、関係ないだろうねぇ」
怜使の推測に、それぞれが見解を述べる。反例しか出ないことを踏まえると、二人の言うとおり関係はなさそうだ。
「少し横道に逸れたが、本題に戻るとしようかのぉ。わしが魔法少女になった経緯だが……実は、わしもようわかっとらん」
櫻が話題を修正し、最初の瑠華の質問に答える。
「歳で忘れとる部分もあるが……覚えとるのは、12のときに突然魔法少女になったことぐらいかのぉ。それに、わしがこれまで見てきた魔法少女もみな、似たような成り行きの子ばかりだったさね」
「なるほど……」
それを聞き、瑠華は口元に手を当てて何かを考え始めた。櫻の返答を聞くに、やはり魔法少女になる上で特別きっかけなどはなさそうである。ただ、人がどんな条件で魔法少女になるのか、その情報は櫻も持っていないらしい。
「欲しい情報あげれんですまんなぁ。……ただわしは、これで怜使の諦めがついたなら、それでよかったと思っとるよ」
「え……?」
そう言って、櫻は優しい顔つきのまま怜使の方を見やる。
急な話題の転換に理解ができず、怜使は目を見開く。諦め、とは一体何のことを言っているのだろう。__もしかして。
「怜使は、魔法少女になりたいんだろう?」
「い、いやいや!私は、別になりたいとは……魔獣は怖いですし、それに、きっと向いてないですし……」
つい数時間前、瑠華に訊かれたのと同じ質問に、これまたほぼ同じ答えを返す。魔獣は恐ろしい。それが、この数日で得た確かな教訓であり、瑠華たち魔法少女への尊敬を一層強める要因でもある。
けれども、そんな怜使の返答に、櫻の瞳はより真剣な光を見せた。
「おや、わしにはそうは見えなかったけどねぇ。今言ってたことは確かに真実だろうけど、それと同じくらい、心のどっかで魔法少女に憧れてもいる。___だからこそ、この子らと一緒におるんだろう?」
それを聞き、怜使は押し黙る。
怜使が瑠華と綾についていきたいと思ったのは、魔法少女の活動をこの目で見ていたいと思ったからだ。それは嘘じゃない。怜使はこれまで魔法少女の存在なんて知らなくて、しかし彼女らは確かに、怜使たちの日常の裏で戦っていて。救けてもらった怜使には、それを知っておく義務があると、そう思ったからだ。
でも、怜使は櫻の言葉を、すぐに否定できなかった。
「まぁわしの思い違いなら、全然いいんだけどねぇ。……ところで、今日聞きたかったことはそれだけかい?」
「ぁ……はい。すみません、これだけのためにお時間を頂いてしまって………」
「いやいやいいんだよぉ。いつも言っとるだろう?何かあったらいつでも来んしゃい」
言いながら、櫻はゆっくりと立ち上がる。そうしてのそのそと歩き出すと、怜使の後ろを通り過ぎ、はたと止まった。
「__ほら彩、そろそろ起きな。瑠華たちが帰るよ」
そこでようやく、二人は彩が爆睡していたことに気がついた。
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「本当に、今日はありがとうございました」
「うんうん、またおいでぇ。手土産の梅干しもありがとうねぇ」
店の前まで見送りに来た櫻が、右手を軽く掲げる。隣には彩も無表情で立っており、こちらをぼんやりと見つめていた。
「怜使も、またいつでもおいでぇ。くれぐれも、怪我だけはしないようにねぇ」
「っ、はい」
そう言われて、怜使はたじろぎながらも答える。最後の念押しは言わずもがな、魔獣には気をつけるようにとの忠告であろう。
「あそうだ、瑠華、ちょっとこっちへ」
「…?はい」
手招きされ、それに応じて瑠華は櫻の元へ。店内まで戻った二人がなにやらこそこそと話を始めたところで、怜使と彩は店の前に取り残された。
思えば、彩と二人きりになるのはこれが初めてな気がする。気まずい。何か話題を持ちかけなければ。
「あ、あの、彩ちゃん」
「……?なに?」
「え、えっと………彩ちゃんのおばあちゃん、優しい人だね」
「そう、かな」
怜使が不器用に提供した話題に、綾が仏頂面のまま答える。
櫻は魔法少女関連の話題では、怜使に向けては終始厳しい言葉を浴びせていた。が、怜使にはそれもおそらく怜使の身を案じてのことであることは伝わっている。つい数時間前に会ったばかりの赤の他人を、帰り際までとことん心配してくれるあたり、本当に優しい人なのだろう。
「ほんとに、優しい人だと思う。……彩ちゃんは、おばあちゃんのこと、好き?」
口からそんな言葉がこぼれた直後、自分の会話センスの無さに内心天を仰ぐ。こんな答えのわかりきった質問から、どうやって話を広げろと言うのか。
「…………分からない」
しかし、返ってきた綾からの返答は、そんな予想外の一言だった。
分からないってなんだ。相変わらず、よくわからない子である。
そんなことを考えながら、必死に次の話題を考える。
しばらく経って瑠華が戻ってくるまで、会話は少しも弾むことはなかった。
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「今日は、厳しいことばかり言ってすまんかったねぇ」
店の敷居を再び跨ぎ、数歩歩いたところで櫻がそう謝罪した。怜使のことと、初めの瑠華に対してのこともそうだろう。
「いえ、いいんです。全部、私たちのことを想って言ってくださったことでしょうし………私も、浅はかなことをしている自覚はありますから」
怜使を連れていることに関しては、明らかに甘えがあると自分でも思う。怜使の願望を叶えてあげたいという思い、そればかりに目が行って、彩と二人ならば守り切れると、そんな油断があるのだと。
失う恐怖も、無力感も、よく知っているというのに。
「……いいかい、瑠華。人間は誰だって、いつだって、大事なものを突然失う可能性がある。大切なのは、失うことへの恐怖を、忘れないことさね」
「………はい、肝に銘じておきます」
そんな少しばかりの会話を終え、二人は怜使と彩の元へ歩いていった。