第三話 二連撃
魔獣の咆哮を受け、即座に構える。
腰を捻り、大剣を体の脇へ。半身のまま姿勢を低く下げ、脚に力を溜めて機を窺う。
彼我の距離は約50m。構えをとった白髪の少女に、されど魔獣はまっすぐに、その巨体からはやはり想像もつかない速度で突進する。
次の瞬間、瑠華の姿が一瞬にして消えた。
直後、ボッという音を立てて、瑠華の立っていた地面が爆ぜた。
山の固い土を抉るほどの踏み込み。それにより生まれるスピードは、かの魔獣を軽く凌駕する。1秒遅れて、爆風が巻き起こる。
目にも止まらぬ速度で魔獣の元に到達した瑠華は、脇に構えていた大剣を勢いのまま振り抜く。その一撃は、家屋と並べて遜色ない大きさの魔獣の体を深く切り裂いた。
「ッァァアアァアァァアアア!!!」
切り傷から大量の血液を撒き散らしながら、魔獣が耳障りな絶叫を上げる。そのまま赤子のようにむくんだ手足を投げ出し、倒れ伏す___かに思われた。
魔獣の咆哮が止まない。さらに、断面から噴き出る大量の血が一箇所に集まり、血液の球が形成される。
魔獣は瞬きの間に5つの血液球を作り出し、頭上に並べた。
剣は振り抜き、突進の勢いを殺した直後。とてもではないが、素人の怜使から見ても5つ全ての球を迎え打てる体勢には見えない。
魔獣はそれを無情にも、背後の瑠華へと叩きつける。
「__」
瑠華が魔獣を裂いた直後の、たった一瞬の反撃準備、その兆候。それを、緑色の少女は見逃さなかった。
彩はどこから取り出したのか、矢を弓につがえる。それも、ちょうど5本の矢を。
弦を目いっぱいに引き絞って同時に放たれた矢は、風を切り裂き魔獣の頭上へ到達。全ての血液球を正確無比に撃ち抜いた。
予想外の技の不発。常人には決して真似できない神業。それに動揺してか、あるいは血液球の反動か。魔獣は刹那、硬直する。
__そうして魔獣に生まれたわずかな隙は、直後に致命のものと為る。
振り返り、体勢を立て直した瑠華が再び魔獣に向かって踏み込む。そのまま居合の要領で一閃。音をも置き去りにした斬撃は、今度は確実に魔獣の体を両断した。
魔獣が今度こそその絶叫を止め、音を立てて倒れる。その体からはもくもくと蒸気が上がり始め、その体積をみるみる萎めていった。
「ふぅ…これで終わり、かな?」
そう言うと、瑠華は剣に付着した血を振り払い、怜使の方を向いた。
一瞬。ほんの十数秒の戦闘だった。たったそれだけの時間で、あれほどの大きさを誇る異形を負傷ひとつなく屠ったのだ。
「怜使ちゃん、怪我はない?血とかも跳ねてないといいんだけど…」
「は、はい…どっちも、大丈夫です」
瑠華の質問に、どもりながらも答える。
そもそも、怜使は安全圏から戦いを傍観していただけだ。守ってもらった立場なのだから、怪我も血もあったとして文句は言えない。
何より、異形をあれだけの至近距離で斬り付けたのだから、瑠華の方がべったりと血に濡れてしまっている。瑠華の新雪のように綺麗な白い髪も、今は赤黒く染まって__
「……?」
今、奇妙な感覚がした。心配とも、安堵とも、少し違うような…。
「そっか…良かったあ……」
瑠華が安堵したように胸を撫で下ろした瞬間、瑠華の体が白い光に包まれた。
突然のことに驚いて彩の方を見やると、その彩も緑色の光に包まれていた。
戦闘直後、光のベール。理解した。これは、つまり。
ほんの数秒後光は消え、中から先ほどまでの魔法少女の衣装ではなく、見慣れた学生服に身を包んだ2人の姿が現れた。身体中にべっとりだった血も、すっかり消えてなくなっている。
俗に言う、『変身解除』というやつであった。
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「改めて、私は同じクラスの白金瑠華です。怜使ちゃんが言ってた通り、魔法少女をしてるの」
山からの帰り道。日はすっかり暮れて、空は茜色に染まっている。ゆっくり山を下って、住宅街に戻ってきたところだ。
突然バケモノに襲われて、死にかけたと思ったら同じクラスの魔法少女が助けてくれて。成り行きで空を飛び、幸か不幸か魔法合戦を特等席で観戦した。改めて整理すると、本当に訳の分からないことだらけの一日だった。その上しっかりと下山までしたのだから、今すぐにでもベッドに飛び込みたい気分だ。
「ほら、彩ちゃんもちゃんと自己紹介して」
「__緋水彩。…そういえば、さっきから訊きたかったんだけど」
そう言って、彩は表情を少しも変えずに近づいてくる。
彼女の顔をあまり近くで見たことはなかったが、こうして間近で見ると、整った可愛らしい顔立ちだ。
そうして怜使の目の前に立った綾は、一拍間を置いてから、
「…なんでわたしの名前、知ってたの?」
と、心底不思議そうな顔で訊いてきた。
何気ない顔で投げかけられたその質問には、さしものぼっちを極めた女、天音怜使も愕然とした。
怜使はこれでも、入学一ヶ月にして4度、未遂がすでに二桁の遅刻魔としてクラス内に悪名を轟かせている自信がある。教員からも生徒からも、なかなかの問題児として認知されていることだろう。不本意だけど。
問題なのは、彩が天音怜使という問題児を知らないということ__よりも、そこから窺える周囲への関心のなさ。学校での過ごし方からなんとなく察しはついていたが、彼女もまあまあ筋金入りのぼっち気質のようだ。
「あ、彩ちゃん…?この子は同じクラスの天音怜使ちゃんだよ…。ほら、いつも教室に来るのが遅い子」
「うぐっ……」
「わからない。瑠華みたいに目立ってないし」
「ぐふっ……」
憧れの美少女と、シンパシーを感じた同類からの二連撃。2人の何気のない言葉が、怜使の心に深々と突き刺さった。思わず胸を押さえ、苦鳴を漏らす。
「…あっ。ご、ごめんね、傷つける気は全然なかったんだけど…」
「いえ、いいんです…ばっちり事実なんで…」
まあ前者はともかく、目立ち方で瑠華に勝ろうなど無理な話でもあるのだが。とはいえ、それを抜きにしても怜使はあまりに地味すぎる節があるし、自分でもその自覚はある。
今も、地味な割に悪名高い自分と瑠華がこうして話していることが信じられないほどだ。
「__でも、私は怜使ちゃんとお話できて嬉しい」
「………え?」
予想外の一言に、弾かれたように顔を上げる。驚きで固まる怜使の心境を見透かしたように、瑠華はより一層微笑んで続ける。
「あんまり人と話してるところを見たことないけど、手を振ったら振り返してくれるし、きっと本当は明るい子なんだろうなって思ってたから。今だって、あんな戦いを見た後なのにこうして話してくれる。__それだけで、私は本当に嬉しい」
まっすぐ、ただまっすぐに怜使を見つめる瑠華の瞳。そこに嘘の気配はなく、言葉通りの喜びと、わずかな寂寥のみが感じられた。
「私たちは魔法少女。日々魔獣たちと戦って、街の平和を守るもの」
そう告げる瑠華の背後に、黄金色の夕日が重なる。瑠華の美しい白髪は、茜色の夕焼けによく映えていた。