婚約破棄の落とし穴
よくある婚約破棄の、極端なパターン
「公爵令嬢! 私の愛する男爵令嬢への貴様の悪逆非道、もう許すことはできん! 私は王太子の名において貴様との婚約を破棄する!!」
――それが崩壊のはじまりだった。
王太子の言う『悪逆非道』とは、やれ上履きを隠した、だの、やれ悪口を言って教室で孤立させた、だの、やれ階段から突き落とした、だの、とうてい公爵令嬢がするとは思えないいじめの数々であった。
たとえそれを目撃していた証言者がいるとはいえ、本来であれば公爵令嬢を断罪などできるはずがなかった。ほかならぬ、王太子でなければ。公爵令嬢と男爵令嬢にはそれほどの差がある。
公爵令嬢はなんとか王太子に翻意を願ったが、王太子が受け入れることはなく、この二人の婚約披露という名目の夜会で婚約は破棄されたのだった。
「――陛下に色目を使ったメイドの実家に手をまわして没落させましたわ。他にも陛下に言い寄った令嬢はことごとく排除してきました。こんな女は王妃にふさわしくありませんわね。離縁して国に帰ります」
恋人をいじめた婚約者を捨てた王太子が『真実の愛』の素晴らしさを説き、父である国王がやむなし、と認めたその席で王妃が言った。
「は、母上……?」
「お前がそんな考えだったとは残念です。自分の婚約者や夫に言い寄る泥棒猫を排除することもできないのでは、正当な権利を持っていようとも女は何もするな、指をくわえて見ていろ、ということなのでしょう。罪を犯したわたくしは去るほかありません」
王太子の恋人である男爵令嬢をいじめただけで、公爵令嬢が断罪されたのだ。国王を誘惑しようとしたメイドの実家を没落させ一家離散、本人を娼館落ちさせた王妃は離縁して国外追放がふさわしい罰だろう。
「それではわたくしも、殿下方へのハニートラップを難癖付けて辞めさせました。とうてい王宮女官をまとめる立場にいるわけにはまいりません」
王宮女官長がそう言えば、
「わたくしも、かつて殿下を身籠っていらした王妃様を害そうとした政敵のメイドの髪を切り、火傷を負わせて城から追い出しました」
「わたくしも夫の浮気相手の家を破滅させましたわ」
「わたくしなんて夫の子を身籠った浮気相手を冬の池に突き飛ばしましたの」
王宮に勤めるメイドたちまで次々と罪を告白した。
それだけではない。
「わたくし政敵の令嬢をわざと茶会に招いて嘲笑ったことがございます」
「ドレスにワインをかけて恥をかかせました」
「恋敵の足止めをしたことがございます」
下働きの女たちまでそんなことを言い出した。
王宮に勤めるものは上から下まですべて貴族である。その女たちが一斉に辞表を提出する事態にまで発展した。
「それを言うなら私も政敵を陥れたことがある」
「水を堰き止めて不作にさせたぞ」
「劇場の席で揉めて相手の馬車を襲ったことがあった」
「妻に求婚した男を決闘で殺したことがある」
男たちも女たちに追従した。
貴族なら足の引っ張り合いは日常茶飯事。対処できないようでは貴族ではいられないのだ。
大臣、官僚にふさわしくない、と大勢の男たちも城から去っていった。
混乱はまだ続く。
「自分の男にちょっかいかけてきた女を引っ叩くくらいはあたしだってしたさ!」
「あんまり頭にきたから髪をざんばらに切ってやったよ!」
「ぬけぬけと家に遊びに来やがったから虫を食わせてやった!」
平民たちまで言い出したのだ。
「母ちゃんがぽーっとなってた男に水ぶっかけたっけなあ」
「わざと仕事を言いつけて邪魔してやった!」
「俺が狙ってた女といい雰囲気になってた後輩を毎日罵倒して家から出られないようにしてやったよ」
女だけではない、男も罪を自白した。
逮捕者が出たこともある。賠償金を請求された者もいた。
さらに混乱は続いた。
今度は男爵令嬢にいじめられた、と告発が相次いだのである。
「男爵令嬢に従わないと「王太子に言いつけてやる」と脅されました!」
「課題やレポートを代わりにやれと言われました!」
「誕生日に婚約者からいただいたイヤリングを奪われました」
清廉潔白だと思っていた男爵令嬢の罪に王太子は軽蔑を隠さず、彼女との婚約を破棄した。
罪を犯した者は王宮から去ったが、代わりの者は入ってこなかった。
皆誰しもが親に反発したり、友達に嫉妬したり、恋敵を妨害したことがあったのである。
それ以外の、いわば被害者の立場の者たちはすでに他国に行っていたり精神的な病を得ていたり、復讐に身を窶していたりした。中には謝罪されて和解した者もいたのだが、若い時の、一時の過ちすら許さない王家に仕えたくないと辞退した。
貴族ほど何かしらやらかしていた。そして基本的な教育すら受けていない平民では、そもそも王宮に仕える資格がなかった。
王宮は閑散とし、日常生活にすら支障が出るほどになっている。
公爵令嬢は公爵家ごと他国に亡命してしまった。公爵家を頼って国から民の流出が相次いでいる。
国王はため息を吐き出した。深い深い、悔恨のため息だった。
「王太子よ、そなたは初対面の公爵令嬢に怪我をさせたことがあったな」
顔合わせの席で、公爵令嬢に一目惚れした王太子がかっこいいとこ見せようとして逆に泣かせてしまった事件である。
王太子は真っ蒼になった。
「あ、あれは……っ、わざとではなく……っ」
「故意か、不慮かは問題ではない。あきらかに相手に非があった場合でも他人を攻撃したら罪になる、とそなたが定めてしまったのだ。加えて国を混乱させてしまった罪は反逆罪に相当するだろう」
国王は国の王として決断しなければならなかった。すなわち一を切り捨てて他を守るか、他を切り捨てて一を守るかである。
このまま王太子を守っていれば国を保てない。
公爵家が亡命した国は表向き友好的だが長年の仮想敵国だ。公爵令嬢が男爵令嬢をいじめた。身分制度を根幹から覆す罪で断罪した王太子を大義名分にして、攻めてくるだろう。
「元はといえばそなたが望んだ婚約だ。だというのに何だ? 自分の理想と違った? そんな理由で公爵令嬢を冷遇し平然と浮気したそなたに、彼女を断罪する権利があると思っているのか?」
「わ、わたしは王太子で……っ」
「彼女は公爵令嬢だった。身分が上の公爵令嬢が男爵令嬢をいじめた罪を問うのなら、王太子が公爵令嬢を蔑ろにした罪を受け入れよ」
国王は王太子を公開処刑した。
公に今回の混乱を詫び、公爵家に帰国を懇願した。公爵家は公爵令嬢が亡命先の貴族と結婚してしまったので戻ってこなかったが、王宮に勤めていた女官や大臣、官僚たちは戻ってきてくれた。なお、王妃は一度とはいえ王太子を許した国王に失望したらしく、離婚を撤回しなかった。
公開処刑の広場。王太子は首をはねられるその時まで、
「婚約を破棄しただけでどうしてこうなったのかわからない。こんなつもりではなかったのに」
自分が何をしたのか理解していなかった。
ふと思いついてがッと書いた。30分クオリティ。ブラックコメディといえなくもないけどその他ジャンルで。