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◇夏 『動機=α+復讐』



 ぼくは意識してひどく冷めた表情を作った。心の温度をグッと下げるためだ。

 一度目を閉じる。開く。

 鏡に映る自分の顔を確認する。いつも通り。

「相原……、仇は討つよ」

 そうして新品のナイフをあらためて鞘に納める。

「そうだ、あれも持ってこう」



    ◇


 死臭がした気がする。このところ時々こんな風に香ることがある。

 死体置き場を目指して川沿いの道を歩いていた僕は背後から視線を感じて振り返った。

 ……居る。

 普段からあまり人気のないこの道に今日に限って珍しく3、4の人間。僕はそいつらを1人ずつ見渡した。

 社会人らしきスーツに眼鏡の男、平日の昼間から彷徨いているなんてリストラでもされたんだろうのか?

 学校帰りっぽい女子中学生、夏休みが始まっている時期なので補習か。

 黒いジャケットを暑そうにパタパタ扇いでいる同級生風、いや ジャケット脱げよ。

 僕は河川敷には降りずに少し離れたところにあるコンビニに入った。来客を知らせるベルが店員の視線を上げさせる。多分膝の上には今日発売の漫画雑誌が乗っているんだろう。

 僕はレジを横切って奥の食品類の売り場に向かった。別に食べ物が欲しかった訳ではない。コンビニは雑誌の置いてある側から回るように設計されてるだとか聴いたことがあったから、それに逆らってみたくなったのだ。

 当然ながらなんの感慨もなかった。

 僕はお気に入りの紙パックの苺牛乳を手にとった。116円。こないだまで100円だったのに。

 呑気なベルが鳴る。入り口のほうに視線をやると黒ジャケットの同級生風と目があった。あちらはにこやかに片手をあげる僕はそいつの顔を知らない。だが一目でわかった。あのとき僕が見た影はきっと彼だ。そして彼は殺す側の人間だ。

 そいつは雑誌側から何気なく商品を見渡しながら僕のほうへ回り込んできた。半ば無意識に僕の指先がポケットの中のプラスチック性の鞘に触れる。

「やぁ」

 紅茶のボトルを左手に僕に寄る。右手はズボンのポケットの中だ。

「君が僕を尾行してた人かい?」

 僕がやや警戒した口調でいうと彼はわざとらしく驚いた顔を作った。

「へぇ 君、尾行されてたのか」

 それから“へらへら”って表現が似合うような作り物丸出しの笑みになる。

「場所を変えようか」

 そいつはお握りを1つ掴むと紅茶と一緒にレジに通した。僕も片手の苺牛乳を同じようにする。店員は僕らを恨めしそうに見ていた。早く漫画雑誌に戻りたいらしい。

 先に店を出たそいつは入り口を斜めに見る位置で僕を待っていた。ここから先は店の中と違って背中は見せない。おそらくそういうことだろう。

「じゃあ、」

「行こうか」

 利害は一致している。

 僕らは並んで他愛のない話をしながら足を進めた。内容は右から左だ。会話が噛み合ってさえいないかも知れない。多分相手も同じだ。

 奇妙な気分だった。

 不安、焦燥、恐怖、期待。

 それらが一定の割合で溶け合いながら決して混じることなく存在している。例えるなら文化祭で展示するドミノを1つ1つ倒さないように慎重に立てていく感覚だろうか。

 川沿いに続いている道を15分ぐらい歩いて行くと一目で廃墟とわかる朽ち果てた建物が見えてきた。

 そいつと僕の高揚が重なるのを感じる。

 その入り口の前まで来て、僕は真後ろに下がった。警戒しつつそいつが振り返る。一分の隙もない動作だ。

「お先にどうぞ」

 促すとそいつは、

「じゃあ遠慮なく」

 僕を横目に捉えたまま奥へ行き、一瞬だけ右に視線を寄せた。

 僕も釣られて視線をやると縛られた灰島が床に転がっている。

 特に興味もなかったのでそのまま視線を引き戻し互いをその目に捉えた。

 静寂が広がる。

 夏の喧騒は遠く、ここだけが街から切り離されている。

 そんな場所だった。


 感情のないそいつの声が不思議と静けさを壊さずに、廃墟の中に響いた。




 坂北 カオル……だよね?

「どうして僕の名前を、っていう決まり文句は必要かな?」

 いいや。君、どうせクラスメイトの顔と名前がほとんど一致しないタイプだろ? 覚えてるのは親しい振りをしてるやつくらいじゃないか? その手の人間に名前のどうこうを話すのはバカげてる。

「なんでわかるんだ?」

 勘。

「……まあいいや。それじゃあ探偵役兼の殺人犯として尋ねてみようか。君の動機はなんだい?」

 それさ、リアルで訊かれてペラペラ答えるやつがいるとは思えないんだけど。

「わかってないな君は。人は何か偉大なことをしたときそれを聴かれたがる生き物なのだよ」

 それもそうか。じゃあ復讐、+αという陳腐でありきたりな答えに留めて置くよ。ちなみに覚えてるかい?

「いいや、心当たりが多すぎるな」

 あっはっはっ。

「あっはっはっ」

 まあ生き死になんてそんなもんだよね。

「ところで僕は本音で話せる人にあったら是非一度訊いてみたいと思ってたことがあるんだが、話してみてもいいかい?」

 ちなみにぼくが本音で話す保証は?

「こんな状況だ。嘘もないだろう?って僕は勝手に思ってる」

 それもそうか、じゃあどうぞ。

「君は世界がどこにあるか知ってるか?」

 ……どこって、そこら中にあるじゃないか?

「違うな。世界はここにあるんだよ」

 へぇ、君の髪の毛の中には世界が詰まってるのか。そりゃおもしろい。君が床屋に行くときは要チェックだね。

「違う、頭の中さ」

 冗談の通じないやつだな。

「真面目に聴けよ。例えばだ。五感が完全に働かないとき人間は何かの存在を認識できるかな?

 光は届かず、音は聴こえず、匂いは嗅げず、味は解らず、触っても触れた心地はない。

 そんな完全な闇の中で人間は世界を感じることができるか? 否だろ?世界はたしかにそこにあるはずなのに。

 つまり世界は1m四方にも満たない狭い頭蓋の中に存在するとは思わないか?」

 ……まあそう言われてみればそうかもね。

「よく拳銃で自殺しようとするやつがこめかみに銃口を当てるだろ? あれを見て僕は思うんだ。あいつらは死ぬ前に自分の世界を壊したいんじゃないか って。きっと僕も拳銃自殺するならああすると思う」

 深い御高察、痛み入るよ。

「全然興味ないだろ、君」

 そりゃあね、ぼくはいまの生活にほどほどに満足してるから。自殺なんて考えたこともないよ。

「嘘つけ」

 ははっ バレたか。

「僕の話はこれで終わりだ。君からはなにかあるかい?」

 いいや、特にないな。

「じゃあそろそろ、」

 うん、

「殺し合おうか」

 殺し合おうか







『動いたのはほとんど同時だった。視線を走らせて互いの武器を確認する。やはり、と言うべきか相手の得物は僕と同じようなナイフだった。』

 ぼくはしっかりとナイフを握り締めあいつの元へ殺到した。表現は絶対間違ってるが意味は通じそうだから別にかまわないだろう。

『勢いよく地面を蹴ったそいつを左手にかわし、』

 流れた体勢を建て直すべくぼくはあいつと逆方向に跳ぶ。しかし思ったより距離が稼げなかった。

『跳ねたそいつの隙を見逃さずに僕は制動をかけて一直線にそいつへと向かった。』

 ざくり、激痛。

『ざくり、ナイフが強靭な腕の肉を裂く。』

 肉は切らせた、だが骨を断つべくぼくは自分のナイフをあいつへと向かわせる。

『あまりの感触のよさに恍惚に浸りたくなった意識を危機感がはね除ける。』

 グジュ、あ。

『グジュ、僕は拳でそいつのナイフを払いのけようとした。手のひらを横から掠めたが固い骨が刃を吹き飛ばす。カラカラカラ。』

 カラカラカラ。ぼくのナイフが地面を滑って数度空転する。

『僕は優越感に浸りながら痛みからか少し腰を低くしたそいつを見下ろした。だが諦念の過る笑みが僕の高揚を微かに萎えさせる。』

 ぼくは、

『その時だった。』

 懐に忍ばせた、

『そいつが僕の方へ加速した。諦念の笑みは僕を油断させる演技──、舌打ちする』

 二本目の、

『かわせないと判断した僕は、致命傷となる自分のナイフを渡すまじと強く握り締めた。』

 錆び付いたナイフを、

『脇腹に固いものを感じた。』

 がら空きの腹に、

『直後に、微かに、』

 突き立てた。

『死の匂いがした。』





 ……残念だったね、君がいくら頭の中で痛みを感じなくても世界が頭の外にある以上、人間は死ぬんだよ。

「ははっ、そうみたいだね。僕の世界ではまだ動けるはずなのに」

 NPC相手に満足して対人戦を怠ったからそういうことになるんだ。

「何の話だよ、それ」

 まあいいじゃないか。

「それもそうだな」

 じゃあね、さよならだ。

「ああ、それじゃ」

 気が向けば、


「来世か地獄でまた会おう」

 来世か地獄でまた会おう









    ◇


 殺意を持った相手と対峙したのは初めてだった。

「……長い人生におけるいい経験になったよ、ほんと」

 二度とやりたくはないけど。

「っていうかクラスメイトの顔ぐらい覚えろよなぁ……、坂北」

 ぼやきながら僕は自分のナイフとコンビニの袋を拾って縛られて目隠しされて床に転がってる灰島の側に屈みこんだ。

 まったく関係ない位置の筋肉が動いたはずなのに腕の傷に激痛が走る。

「うっく……」

 悲鳴を飲み下そうとして歯を噛んだら変な声が出た。

 誰か近づいてきたのがわかったらしい灰島がぴくりと身体を震わせる。

「ぼくだよ」

 というとその小さな震えは収まった。

 さて、手首を縛っている縄にナイフをあてる。

 ぎちぎち、片手なので非常にやり辛いながらも少しずつ繊維が削り切とられていく。利き腕が無事だったのがせめてもの救いか。

 ぷちっ、縄が切れた際に灰島の手首を少し切ってしまった。白い皮膚に綺麗な血の珠が浮かぶ。それを舐め取った。

 鉄の味が僕に生きた心地とかを噛み締めさせる。

 次に足の縄。今度はちゃんと切れた。

 その間に彼女は久方ぶりの自由をぎこちなく動かしながらなんとか目隠しを外す。

 ふらふらと揺れながら立ち上がる。

「須藤 南……」

「ん」

 いきなり嫌いな本名で呼ばれて何事かと思ったら灰島が僕に倒れ込んできて今度は正しく腕に負担がかかった。

 激を取り越した超痛が神経を全力疾走して僕は「んべろっぴぃ」とかいうすっとんきょうって表現のぴったり来る奇声を上げた。

「ど、……うした?」

「お腹空いて死にそう。何か食べ物持ってない? あと飲み物も」

「それは?」

「あいにく生肉をかじる趣味はないの」

「冗談だよ」

 っていうか焼けてたら食うのか……?

 僕は彼女を支えながら屈んで(うぎぃあああああ)コンビニの袋をひっくり返した。灰島が半ば倒れ込むようになって、でも踏みとどまりコンビニで買ってきた紅茶とお握りを漁って貪った。500mlが一瞬で吸い込まれる。

「あぁ、生き返ったわ」

 どうでもいいけど誰も死んだことはないはずなのに“生き返った”という表現を不謹慎だとは思わないのかな?

「ところであなた復讐だとか言ってたけど、あれなあに?」

 君、4日も監禁されてたのに意外に元気だねぇ。

「……聴きたい?」

「少し」

「相原 希っていう僕が中学生のときに好きだった女の子を殺したのが、あいつなんだよ」

 ふっふっふっ、ちゃんと読めば一話に僕が殺したのは“彼氏宅から帰宅を急ぐ少女”って書いてあるんだぜ。相原にまだ彼氏は居なかったのだ。

「……ふぅん」

 どうしてわかったのか?とは灰島は訊かなかった。僕のストーカー癖は充分に理解しているつもりなのだろう。

 実際にはあの駐車場の近道を坂北が相原に教えたことを聴いていた同級生が居て、当時から僕は彼を疑っていた。警察が前科者を疑うのと同じ理屈で僕は再び彼を疑い結果として彼が小動物を惨殺している現場を目の当たりにした。あれは酷かった。はらわたをえぐりだして体中のパーツを数十に分けてたからなぁ……

 あとはあの死体置き場の目撃者を消すために灰島を拐ったんじゃないか、って推測し彼に接触してみた。

 ただそれだけの話だ。

 ちなみに僕は彼が相原を殺した(であろう)動機を知らない。でも小動物を殺していた理由は想像がつく。

 きっと死に囚われたのだ。

 殺しが病みつきになってしまって、だけど人間を殺せば足がつきやすいから動物を殺していた。

 そんなところだろう。

「……ところで、もしかしてなんか怒ってますか?」

 聴きたがったクセに返事の素っ気なさがあれだった。

「いいえ」

「私を助けに来たんじゃなかったのね!、とか」

「……」

 妙に湿気のある視線で睨まれた。

「あー……、そんなわけないですよねはい調子に乗りました」

 軽口を叩いたけどほんとは復讐なんてそこそこどうでもよかった。復讐するつもりなら中学3年生のときにやっている。

 僕としてはそれだけで彼を殺す根拠にはなり得た。だけど僕はそれをしなかった。


 だからやっぱり、


 僕はほんとうは灰島 冬美を助けに来たのだ。



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