◇春 『一握の慈悲』
情報というパソコンをいじるだけの愚にもつかない授業の内容をさっさと終わらせて、僕はインターネットでTVニュースを見ていた。
いまをときめく連続殺人犯の特集をやっている。
レポーターが事件現場を散策しながらだいたい的外れなことを、たまに意外と核心をついたことをダラダラと話しそれをなんとか大学の教授さんとかゲストの芸能人とかが必ずくだらない意見を返す。一番的確なことを言っているのがおバカタレントで売れてる人だから世の中はわからない。多く経験を積み苦難にぶち当たりそれを乗り越えてきた人間が必ずしも賢人だとは限らないのだ。
そして彼らの様は僕に「みんな暇なんだなぁ」とこれまたくだらない感想を吐き出させた。「3人目」を殺した路地裏が映る。
「ここが最後の事件現場です」
レポーターのきれいなお姉さんが少し興奮しながら言った。
実は「4人目」のことは僕が起こした殺人のくくりとしては報道されていない。事件そのものはあかるみに出ているし警察とかには手袋とレインコート、それからナイフで連続殺人の一環だとわかってるんだろうけど、いまのところ現場近くで保護された口の効けなくなっている少女と現場から採取されたDNAが一致するか調べているところらしい。
……まあ一致しないだろうな。十中八九、灰島のDNAだろうから。
結果論だけど灰島を呼ばなかったら僕が殺した男が女を殺そうとしてもみ合った末に返り討ちになった、なんてシナリオでそれまでの3件の罪を被ってくれたりしなかったかな?
まあ精神疾患を起こして口が効けなくなるなんて予想しようもないよなぁ。と、悔やむ気持ちを押し込める。
「これからも凶行は繰り返されるのでしょうか」
痛ましそうな口調の言葉でレポートは終わった。だけどレポーターさんの表情は「視聴率稼げそうで嬉しいです」をギリギリオブラートに包んだものだった。
それからコメンテーターさんたちの議論というか喧嘩が始まった。コメンテーターさんたちの言いたいことは結局「最近の若者ってやつは!」に集約され、かつ僕は最近の若者に該当するのでインターネットを閉じようとした。
「何?やっぱお前もそれに興味あんの?」
東条が液晶画面を覗き込んできて閉じるタイミングを逃した。
画面は警察の不備を指摘してヒートアップするコメンテーターたちを司会者が“まあまあ、たかが人が殺されただけじゃないですか”ってな感じで諌めている。
「うん、早く捕まらないかなぁと思ってね」
ところで一般人がニュースを見ることと犯人が捕まることに関連はあるのかな? むしろ「有名になりたかった」とかって犯罪を起こす人間がいるくらいだし。
斜めにPCを挟んだ奥で灰島が何かを口パクした。語数から察するに「白々しい」だろうか?
「夜遊びできないもんなぁ」
口パクの内容検討を進めていると東条が遺族の心情を一切考慮しない発言と共に耳元で下品に笑った。
そもそも遺族の心情をどん底に叩き落とした張本人はお互い相手もいないなのになぁ、とか思う次第だ。
「最近彼女出来てさぁ、しかるべき時期になったらどうしようかねぇ」
あれ? 居たんだ?
「ちなみに相手の人の歳はいくつ?」
27歳をドストライクと表現していた記憶があるんだが……
「23って言ってたかな?」
僕は東条の顔をじっと見つめた。
「な、なんだよ気持ち悪いな。どうした?」
別に、ただ5人目はその人にしようかなって思っただけ。
「援助交際……?」
「殴るぞお前」
「冗談冗談っ」
僕は愛想笑いを浮かべる。
「あー、ほんと早くつかまんねーかなぁ」
僕と東条は画面に視線を戻した。“では明日”だかなんだか言いながらさっきまでの沈痛な面持ちが嘘のような(というか嘘か)笑顔で丁度締めたところだった。
不意に僕は「いまのニュースでやってた連続殺人犯って実は僕なんだよねー」と軽い調子でばらしてみたくなった。
東条はどんな反応をするだろうか。きっと笑えない冗談だと一笑に伏すんだろうな。笑えない冗談って大抵がただの事実なのに。
「8番」
「あ、はい」
先生の方を見た。ちなみに8番は僕の出席番号である。情報の先生は「情報化社会だ」とか言って僕らのことを番号でしか呼ばない。単に名前を覚える手間を省いているだけな気もする。
「30番が遅れてるから教えてやってくれ」
「……先生は?」
「お前らの採点で忙しいんだよ」
っていう先生の手元に雑誌があることを既に大方の生徒が知っている。真面目に仕事して欲しい。だけど殺人犯もいまはサボって高校生なんかやってるので大きなことは言えずにしぶしぶ従った。
「先生、30番って?」
「そこのやつだ」
先生の人差し指の先には難しい顔をして液晶画面と向き合っている灰島がいた。作業の邪魔になるからか前髪は傷が覗かない程度の長さに髪留めで纏めている。
自分の席から灰島の側に回り込むと彼女はめちゃくちゃ不機嫌そうに僕を睨んだ。
「助けなんかいらない」
……いまの進行状況ではこの時間はおろかもう2〜3時間あっても足りなさそうだけどな。
「いいからいいから」
嫌がる彼女の手からプリントを奪って片手でポチポチと文字を打ち込む。
文章を写して画像を貼り付けてメールで送信、はい おしまい。
「……なんだかすっごく負けた気分」
しばらく俯いてからキーボードをじっくりと眺めながら「ほうかごのごれ」と打ち込んですぐに消した。
それから必要なくなった髪留めを外して前髪をキーボードに垂らす。
僕はすぐに「放課後残れ」のミスタイプだと気づいた。しかしKとGをどうやって間違えたんだろうか。
休み時間に入って教室に戻る途中、僕は女子の集団に取り囲まれた。
「ねぇ、どうやって灰島さんと喋ったの!?」
どうやら彼女の人嫌いは飛び抜けているらしかった。人間ほどおもしろいものをどうやったら嫌いになれるのか少し疑問に思う。
「どう、って……普通に話しかけただけだよ」
「でも私達が話しかけても灰島さん、返事もしてくれないんだよ」
しきりに首を捻る緑川さんは僕と彼女のあいだに何か特別な関係でもあると邪推しているらしい。
ある意味、その通りだ。
始業のチャイムが鳴ってなんだか恨ましそうな表情を僕に投げつけたままお節介な女子集団は席に帰っていき、席の近い人は灰島に話しかけようとしていたが手応えはなさそうだった。
次の時間が数学とかいう謎の呪文を学ぶ授業だったので僕は時間潰しに少し灰島のことを考えてみた。
顔は小さく目が細く鋭い。肌は太陽と真っ向から対立している月のような白。前髪が長く表情が伺い辛い。スカートの丈が長くて夏も近いのにいつも長袖を着ている。
「……」
鋭い視線は人を遠ざけたいから。肌が白いのは外に出ないから。髪が長いのは少しでも壁を作りたいから。スカートや袖の丈は傷を隠したいから(そういえば僕は彼女が体育に出てるのを見たことがない)。
……そんなところだろうか?
一貫して目立ちたくないように見えるけど彼女は「木を隠すなら森の中」という昔の人の言葉を知らないのかな?
周囲を拒絶すればするほど目立ってしまうのに。
放課後になって東条に「どっか行こうぜ」と誘われたけど「ちょっと用事があるから」と明確に言わずに断った。
「これか?」
東条が小指を立てるので僕は照れ笑いを作ってみた。非常に面倒臭い。
教室に誰もいなくなってようやく灰島が僕の席に寄ってきた。この照れ屋めと僕は致命的に間違った感想を吐き出してみる。
「5人目はいつ殺すの?」
あっはっはっ、話題が殺伐としすぎている。
「まだ決めてない」
灰島は不満そうだったが僕にだって都合があるのだ。僕だってできることなら合格点を取ったやつらを飽きるまで殺戮してみたい。けど準備にそれなりの時間を掛けなければ捕まるのは時間の問題だ。「4人目」だってほんとは名前と住所と行動パターンを割り出すために尾行したのだ。「3人目」のときは目をつけてから1ヶ月以上を費やした。
殺人犯も巷で思われているより楽ではないのだ。
「できたらまた呼んでよね」
「難しい相談だね」
僕らは同時に溜め息を吐く。
「写真とかないの?」
「顔だけの写真ならあるけど」
見せてみたが「キモい」と不評だった。
「あいにく僕は君と違って死体に興味があるわけじゃないからなぁ」
灰島が僕の事件のファンというのも今となっては嘘臭い。僕にくっついて死体見学(社会見学と響きが似てると思う)に出向きたかっただけじゃないだろうか?
「あ、そうそう。忘れるとこだったわ」
灰島はごそごそとカバンに手をやって中からビデオテープを取り出した。
「あげる」
僕の手に押し付ける。
「なにこれ?」
ラベルは貼られていなかった。どうやら百円均一とかで売っていそうな録画用のテープらしかった。
「あなたの“選別”の役に立つかもしれないもの」
……なんて言われると受け取るしかないんだけれども、うちにビデオデッキってあったかな?
死体について考えてみる。
先ず死体は生き物だろうか、それとも単なる物だろうか?
生き物だとすれば一般倫理に基づいて猫以上の大きさであるから尊重されるべきであり、物であれば有効利用されるべきだ。
どうやら僕は後者であると思っている節があるらしい。
何が言いたいかと言うと今までポイ捨てしてきた死体を灰島に提供したいとか頭の隅で考えているのだ。
「……無理だよなぁ」
“4人目”のときはいくらなんでも都合が良すぎた。せめて僕が大人だったら繁華街で女を引っ掛けて山に連れ込んでゲヒゲヒ(なんか違う)できるというのに。
若者に対する風当たりの強さに嫌になる。
……あれ? その場合灰島を車に乗せるわけにはいかないし山とか圏外だろうから連絡が非常な手間になってしまいそうだ。じゃあ彼女にはトランクにでも……
帰宅した僕はあちこち探し回ってみたけどやはりビデオデッキは家になかった。DVDレコーダーとかアンプとかスピーカーとか訳のわからないものはたくさんあるのに必要な物だけないとなんとなく腹が立ってきた。
仕方ない。ビデオデッキはまた今度買うとしよう。
僕は自室の本棚から一冊の大きめの辞典を引き抜いた。外枠だけなので力を入れなくても簡単に抜けた。
カランッ
「おっ?」
辞典の箱から棚の中に何かが落ちた。
あぁ、そうか。そういえばここに入れてたんだっけ。
拾い上げた。それはナイフだ。僕が初めて人を殺したときの、つまり殺人に快楽を見出だせていなかったときのものだ。
狂ってる人間なんて最初から狂ってんだよ!という強引な理屈を否定はしないけどやはり人が狂うには相応の理由がある場合のほうが多いのだ。
これもきっとそのいくつかの原因の一つだろう。ビデオテープを放り込むだけのつもりだったけど少し彼のことを思い出したくなって、僕はプラスチック性の鞘を外した。血で錆びた刃が顕になる。そっと指を這わせて目を閉じ、僕は一春だけの親友を思い出す。
──中学二年のときから暇潰しにインターネットで描き方を調べたりして、スケッチブックのほとんどを上達に費やした僕の絵はそこそこのレベルに至っていたらしかった。
美術の時間に僕が描いたのはバラの絵だった。それは美術の先生の眼鏡に叶い無駄に絶賛された。
コンクールに出したらどうかと強く勧められ、その絵が実はバラではなく血の海に沈む人間をイメージしたことを言えないまま絵を先生に任せた。
一応言っておくと当時の僕は特別に残酷だった訳ではなくある種の中二病的に“そういう物”を求めていただけである。
閑話休題。
ともかく満更でもない気分で出展した絵は努力賞だかなんだかを頂戴して美術館の隅に飾られることになった。
僕は先生に連れられて美術部員さんたちと一緒に美術館まで足を運ぶことになり、バスの中で一年生からは非常な好奇の目で、三年生からは盛大な嫉妬の目線を浴びまくった。
その年、うちの美術部では賞を取った人は一人も居なかったらしいことをあとで聴いた。
知り合いが一人も居なかったし居心地悪いなぁとか考えてたんだけど大賞を取った絵を見た瞬間にそんなことはどうでもよくなった。
その絵は、なんていうか次元が違った。僕らが二次元の世界であくせくしてるのに対し、それは優雅に十一次元を流れていた。
偉い人の解説みたいなのが隣に書かれてたけどその内容が単なる嫉妬にしか見えない出来映えだった。
コンクールの上位ってのはこんなのがゴロゴロしてるのか、と思って他の絵に目を移してみたけど完全にお茶を濁すだけだったので僕は自然に足を早める。
すると僕の絵を食い入るように見つめている男の子に気がついた。
おもしろがってじーっと彼を見つめてみたけど彼は身じろぎ一つしなくてこちらに気づく気配もない。
僕はふと好奇心に駈られて彼に声をかけた。
「その絵、さっきからずっと見てるけど何かおもしろいものでもあるの?」
彼は一度戸惑った様子で僕を見たけどすぐに絵に視線を戻した。話したくないのかなぁと思ったら「これ、バラの絵じゃない」となんだか深い声で言った。
「へぇ」
わかる人にはわかるもんなんだなぁ。
「ちなみに君には何の絵に見える?」
彼は言葉を詰まらせた。答えを探してるんじゃなくて躊躇っている風だったので僕は少し待つ。
「血……、かな」
世の中にはすごい人がいるもんだ。僕がなんとなく何も言えずにいたら今度は彼のほうから訊ねてきた。
「もしかしてこれを描いたのって、君?」
「まさか、僕が描いたのはあれだよ」
大賞の絵を指差してみた。彼はなぜか可笑しそうに笑った。むしろ噴き出した。
「僕なんかおかしなこと言った?」
「ああ、言った」
彼は呼吸を整えて、
「あれは俺の絵だ」
「じゃないかと思った」
僕らは予定調和みたいに会話を交わした。
それから僕らは日曜日になると度々会うようになった。
一度、
「なんで優秀賞取ったやつじゃなくて僕?」
と訊いてみたら、
「二位のやつの絵は俺にも描ける。あの中で俺に描けないと思ったのは君の絵だけだったから」
あたりまえのように言った。傲慢ではなかった。単なる事実だ。
彼は僕と会うときいつもスケッチブックを持っていて会話の合間にサラサラと鉛筆を走らせていた。それだけで描き上がったものはほとんど全部美しい。
空も雲も野良犬も花も草も虫も、人も彼の魔法で美しくならないものはなかった。
天才……、だったと思う。彼が右腕の神経を失うまでは。
彼はそれを頑なに事故だと主張した。いまでも僕はそれを思い出さないようにしている。もう終わったことだし。
「左手でも描ける」
と言った彼の笑顔が日を追うごとに歪み、朽ち果てていく様を僕はただ見ていた。
ある日、彼は珍しくスケッチブックを持っていなかった。白い床に乱雑に放り捨ててあった。
「どうした?」
僕が訊くと彼は、
「もう辞めたんだ」
と力なく笑った。
僕はスケッチブックを拾い上げた。そこに描かれたものは僕の目には文句なく美しく見えた。だけどそれだけ。
あの魔法のような輝きとは別種の美しさだった。単に技巧が優れているから美しく見えるだけの絵だ。
「……君にだけはそんな絵を見られたくなかった」
口元に笑みを残したまま目だけが泣きそうになる。
「君には何かが欠けている」
「何だよ、いきなり」
「君のバラの絵を見たときに思ったんだよ。あのときは君、はっきりと答えなかったけどあれはやっぱり血だろ」
僕は頷いた。
「あれは俺には描けない。何度イメージしてみても俺はあれを描くことを躊躇する」
23ページ目にバラがある。彼が言ったので僕はスケッチブックを捲った。
そこには野薔薇の花言葉である“愛”がぴったり来る優しい雰囲気の絵が描かれていた。
「君には俺が持つ、躊躇い……かな?がない」
僕はいま自分が普通じゃないと告げられている。たった一枚絵を描いたくらいで。それくらいで彼は僕のことがわかるはずもないのに、彼の言葉は麻薬みたいに僕の心に染み込んだ。
彼は左手を伸ばして傍らの引き出しを開ける。
「だから頼めるとしたら君しかいないと思ったんだ」
不意に窓から差した光が彼が引き出しから取り出したそれに当たり、跳ね返って僕の目を刺した。
彼はそれを僕に差し出した。そして言った。
「俺を殺してくれないか?」
すぐには決断出来なかった。あのあと自分がなんて答えたのか正確に覚えていないけど多分“時間が欲しい”みたいなことを言ったんだと思う。
けど帰宅してすぐにパソコンの電源を入れてインターネットに二言を打ち込んだ。
『人の殺し方 ナイフ』
バカみたいなやり方がバカみたいにたくさんあった。
僕は必死にその文字を追った。
どこをさせば辛くないか、どこをさせば簡単に死なせることができるか。
またその逆も、一つずつ記憶していった。
人の殺し方 目
人の殺し方 顎
人の殺し方 睾丸
人の殺し方 腎臓
人の殺し方 こめかみ
人の殺し方 首の側面
人の殺し方 心臓神経叢
人の殺し方 頭の上部中央
そして僕はついに彼を殺した。
震える手で、だけど躊躇わずに、
できるだけ苦しまない場所を狙って刺した。
それが僕の最初の殺人だった。
「……」
僕は錆び付いたナイフをプラスチック性の鞘に納め、ビデオテープと一緒に閉まった。
あのとき僕の目を刺した銀の光はどこからも射し込むことはなかった。
何も残さなかった。




