◇春 『春と修羅』
大通りから外れて喫茶店の前を右に、薬局を左に曲がるとだんだんと細い道に入って行った。僕は荒い息を吐きながらもう一度右折し残りが直線だけであることを思い出しながらペダルを漕ぐ足を早める。同じ学校の生徒の姿は既になかった。
やっべぇ。
僕は一年生のクセに高校の始業式に遅刻している救いようのないアホであった。
少し行くと登り坂が見えた。僕は坂に入る前に変速機を一つ緩める。前傾姿勢になりサドルから腰を浮かす。
この坂を登りきったところが学校なのだが何を思ってわざわざこんな高台に学校なんか建てたのか非常に理解に苦しむ。まるで戦闘前に体力を回復してくれるのにひたすら歩かせるRPGのラスダンのようだ。坂を登り切る。
正門の前で急ブレーキをかける。下を向きながら息を整えているとパンっ と小気味のいい音がした。僕の頭部からだった。
「おっせぇ」
視線を起こす。ゴクセンをリスペクトしてますと全力で主張しているジャージ姿の佐内 春江が自転車に体を預ける僕を見下ろしていた。
先日の自己紹介の際の「三十路までには相手を見つけたい明日を夢見る27歳だ。よろしくな」という言葉は僕の“4人目”のためのリストにくっきりと跡を残している。
「そんな先生は内心で僕の遅刻のおかげで始業式に出ずに済んでラッキーとか思ってるのであった」
「あ?んなわけあるかよ」
言いながら先生は携帯灰皿に煙草を押し付けた。
「ほら、さっさとチャリ止めてこい」
「駐輪場って「向こうだ」
先生はグランドと逆側を指さす。
駐輪場は先客に溢れていた。1、2、3年と場所分けのための白線が引かれてるけど自転車の量はあきらかにそれを凌駕している。その様は僕に人ではない何かが満員電車に鮨詰めにされている様子を思い起こさせた。なんかグロい。
校舎のほうに戻ると丁度体育館から人の群れが歩いてきた。僕はそれに混ざろうかと考え少し眺めてみることにした。
学校はいい場所である。僕と同じピッカピカな電気鼠でないほうの一年生らしい彼らの顔つきは希望に満ち溢れている。新生活のスタートに僕は胸をときめかせる。
さて、捕まるまでに何人殺せるだろうか?
途切れそうになる人波の最後尾について行くと人並みは徐々に教室へと消えて行った。僕も自分の教室を見つけ出し中に入ろうとするとパンっ また後ろから頭をはたかれた。
「何するんですか、先生」
不良(両方の意味で)教師は僕の上着の襟を捕まえると教室のドアを勢いよく開いた。
「はぁーい、注目!」
元気よく言う。男女比半々のクラスメイト達とは説明会のときに一度顔を会わせているので僕としても全員の顔を見渡すぐらいの余裕はあった。
一様に期待と不安が入り交じっていて初々しい顔つきのなかで、女子の一番後ろにいる生徒だけが長い前髪のせいで表情が読み取れなかった。貞子みたいだ。漢字あってるっけ?
「自己紹介してもらうが遅刻してきた罰としてこいつからやってもらうか」
「えぇっ!?」
僕はやや大袈裟に嫌がってみせた。満足そうに先生が続ける。
「こいつ以降は出席番号順な。何言うか考えとけよ」
出席番号1番らしき生徒が「だと思った」とでも言いたげに軽く息を吐いた。僕もそれに倣ってやれやれという風を作って適当に当たり障りのないことを話した。
どうも殺人犯です。と言う度胸は僕にはない。
「次」と短い先生の声。背中を押される。席に行けってことだろう。僕はさ行とた行のあいだと思われる1つ空いた席に座った。
後ろから背を二度つつかれた。
「なぁ」
不自然じゃない程度に体を斜めに傾けて振り返る。
「お前のストライクゾーンにあの先生は入るか? ちなみに俺は160kmのストレートがど真ん中にズドンだ」
合格、いつか殺そう。苦笑しながら内心で呟いた。
前の人から僕を跨いで後ろの年増好き高校生が東条という名前だと判明し順番は女子の方へと回った。
退屈そうにしていた男子生徒の顔が気持ち分だけ上がるのを感じた。まあ高校生なんてそんなもんだよなと僕も周囲にならう。
さっきの彼女の番になった。立ち上がった際に長い前髪が揺れた。「灰島 冬美」と静かに言いそのまま着席した。え? 終わり? と東条が呟く。
揺れた髪のあいだから見えた顔はすっげー美人だった。でも表情という表情が全くなかった。顔中の筋肉が仕事を放棄していた。その顔に僕は昔、童話かなにかで読んだ美しくなる代わりに笑顔を差し出して誰も近寄らなくなってしまったお姫様の話を思い出させた。内心で不合格と判を押した。
断っておくが、僕は決してバイセクシャルではない。ただ独自の基準を用いて標的を選別しているだけである。次に殺すのは誰にしようか。と。
最初に殺されたのは事故によって右腕の神経が麻痺してしまった少年。
次は門限のために彼氏宅から帰宅を急ぐ中学生の少女。
どちらも多感な思春期でこれからいろいろとあるはずの未来を強制終了させられて、あ 死んだ。
しかし死体ってのはどうも処理に困るな。死に顔はすごくいいんだけど。
二人目はこの世か僕か己の不運かを呪って睨み付けてながら死んだ。
いま殺した彼もだ。その顔が、すごくいい。
完璧な自己考察なんて僕にはできないから動機について掘り下げることはしないけど、僕が人を殺すのはどうもそのへんが理由だろう。
さて、僕が用事があるのは死に顔であって死体ではない。パシャリと一枚、携帯のカメラに納めて僕はその場を離れた。
数日してもまだ前日の焼き増しみたいな自己紹介だらけの授業を終えて放課後になり、僕は下駄箱に入れたスニーカーの下に4つ折りにされたレポート用紙があることに気づいた。
「なんだよ、さっそくラブレターか?」
東条が茶化す。
「どうかな」
僕は少しウザイなぁと思いながらはにかむような──東条が期待するような──笑みを作った。
人間関係は円満に済まして置くに限る。少なくとも僕は事件が明るみに出た際に「まさかあいつがそんなことしてたなんて」という感想を誰かに口にして欲しいのだ。そして人を信じれずに疑心暗鬼になって錯乱すればベストである。冗談だ。
さてさて、レポート用紙を広げると線に沿ったきれいな文字で「屋上へ 一人で」とだけ書かれていた。
「ちょっと行ってくるよ」
「おぅ、行ってこい」
東条は送り出すように僕の背を叩いた。普通に痛かった。
僻み根性も大概にしてくれたまえ、東条くん。
そもそも僕はこれが浮わついた話ではないとなんとなくわかっている。文字に感情が無さすぎるのだ。正直、悪い予感しかしない。
階段へ向かう。クラスメイトとスレ違う度に僕は片手をあげて笑みを作り彼らと挨拶を交わす。人間関係が円満なデメリットは非常に面倒臭いことだ。
三階の初段に足をかける。踊り場まで上がると、「こんにちは」女子のきれいな声が俯いて段数を数えていた僕に顔を上げさせた。ちなみに11段だった。惜しい。
「僕を呼び出したのって、君?」
「そう」
長い前髪で表情の隠れた、灰島さんが階段の一番上の段に座り込んで退屈そうに小さく足を振っている。スカートが上下するが見えそうで見えない。僕はこの場に座り込みたい(スカートの中を覗き込みたい)衝動に駆られるが「人間失格」とかいうアダ名をつけられそうなので自重した。
「わざわざごめんなさいね」
「屋上じゃなかったの?」
「鍵が開かなかったの。小説なんかじゃ定番なのに」
互いに控えめに笑う。僕は彼女の表情の変化を初めてみたがやはり美人だった。そのままじっくりと眺めてみる。
唇は小さく鼻は低いけどそこに日本人的な美がある。顔立ち自体が全体的に小さい、というより無駄がない感じだ。
ただ細い目にだけなにか有無を言わせないような圧力みたいなものがあった。やはり僕的には不合格だ。
彼女が不審そうな目で僕を見ているのに気がついて視線を下げた。
「私では被害者に適さないのかしら?」
僕はもう一度彼女を見た。嘲笑うような微笑を作っていた。内心でグッと拳を握る。欲を言えばナイフも握りたい。
「被害者って、なんのこと?」
「あなたが殺した人間のこと」
僕は表情を消していた。どういう顔を作ればいいかわからなくなったのは久しぶりだった。
状況に思考が追いつくのに数瞬かかる。我に返った僕が真っ先に考えたのはタチの悪い冗談の可能性だった。灰島 冬美という人間の性格を考えると否定せざるを得なかった。
始業式以来、彼女と口を効いた人間は極めて少ない。いまの会話文だけで僕が最長記録を打ち立てたのは疑いようがないだろう。ともかく誰とも話さない彼女がわざわざ僕を呼び出して冗談を言う理由がない。
次にどうしてバレたのかを考えてみた。これの答えはすぐに出た。
時期から見て三件目を見られたんだろう。やっぱりいつもみたいにナイフを使うんだった。金属バットは感触は悪くなかったけど手間がかかりすぎた。三回ほど殴らないとちゃんと死んだかどうかわからなかったからなぁ……
「わかってると思うけど、私は誰かにこのことを話すつもりはないわ」
「みたいだね」
もし彼女に通報する意志があれば僕はとっくに拘置所にいるだろうから。
「理由、訊かないの?」
「どうでもいいよ」
「訊いて欲しいの。察しなさい」
無茶を言ってきた。
「人は人の気持ちを理解したような気になるだけで「いいから訊きなさいよ」
……ダメだ聞く耳持たない。
「どうして通報しないんですか?」
「私、あの事件のファンなの」
髪の影で瞳が異常に輝く。
「性的暴行でも物盗りでも、ましてや怨恨ですらない。ただ殺すためだけに殺す。素敵だわ」
「どうも」
恍惚な表情の灰島はなんだか美術品みたいだった。地獄について鮮明に書かれた絵画だ。一見して興味を惹かれるけど長く見つめて細部を見通せば気が狂いそうな絶望を宿した絵。
「ねぇ、次に誰かを殺すときには私にも見せてくれない?」
「……僕にメリットのない話だなぁ」
呆れながら言うと眉を下げて心の底から残念そうな顔をするのでなんだか悪いことをしている気分になってきた。美人はズルい。
「ダメ……、かしら?」
不満を示すように足の触れ幅が少し大きくなった。しかし見えなかった。ただ前髪が揺れて古い傷痕が覗いた。なんの傷だろ……?
「ま、機会があればね」
彼女の顔がパッと輝いた。
「絶対よ、約束よ!」
子供のようにはしゃいだ声を出しぷらぷら振っていた足を一際大きく振って跳びはね、三段下に上手に着地した。やっぱり見えなかった。代わりに太股の内側に大きな瘡蓋が覗いていた。周囲に赤みが残っていてまだ真新しいものだとわかった。意識して見せてたのだろうか? だったら何のために?
「あなた、携帯持ってるわよね?」
「ん、ああ」
答えなんか出せるはずもなかったので思考を放り捨てた。ポケットから出した携帯を彼女が引ったくる。ポチポチと手間取りながらボタンを押していく。メールを打ち慣れていない人の打ち方だった。
「それじゃ私はこれで帰るけど、必ず連絡するのよ!」
わざわざ念を押して僕に携帯を返した。
きっと彼女が普通の美少女なら男、冥利に尽きる感じなんだろうなぁ……
擦れ違い様の彼女からはあきらかな異端の匂いがした。
ある日曜日のことだった。僕は東条や同じクラスの男子と共にカラオケボックスに来た。親睦会でもやろうぜと提案したのは倖田という話し声のやたら大きい、いわゆる「オレはジャイアン、ガキ大将!」なやつだった。そして歌も下手だった。いつか殺そう。
僕はというと半ば無理矢理連れて来られた人にマイクを押し付けてみたりたまにみんなが知ってそうな無難な曲を入れたり、あまり目立たないように行動してみた。
ほどほどに話にも加わりなんとなく仲良さげに見える印象を作っておく。わりと楽しい。
こうしていると時々どちらの僕が本当なのかわからなくなる。そしていつもこう考える。
どちらも本当なのだ。
友情を楽しむ僕も本当だし、事実を知らされれば彼らが糾弾するであろう連続殺人犯の僕も偽物ではない。
人は自分の一面だけを偽物だと切り捨てることなど出来はしないのだ。
ふむ、殺したい。
「一気!一気!」
ちなみにいま僕の前にはドリンクバーで各種のジュースを混ぜ合わせた殺人ドリンクが置かれている。
たしかにじゃんけん大会に負けたのは僕なのだけれどももう少し容赦とかあってもいいんじゃないだろうか? コーラとコーヒーとカルピスは化学反応を起こすから混ぜるな危険とか習わなかったのか、こいつらは。
妙に甘ったるい嫌な臭いがして僕は鼻を摘まんだ。意を決する。
各々は美味しいものなんだし、意外といけるんじゃね? そう思い込んで口をつけた。
ゴクリと喉を冷たい液体が滑り落ち感じたのは……、あ 意外と美味し、やっぱ無理。
絶大な不快感と吐き気を感じて僕はトイレに駆け込んだ。
コーヒーの苦味とカルピスと炭酸の爽やかさが絶妙に最悪なバランスだった。作ったやつは職人だ。間違いない。
午後3時から8時までのフリータイムが終わるまでそんな学生特有の悪のりみたいなバカなことばっかりやって全員が口直しに何か飲んでから部屋を出た。誰も嘔吐しなかったのが奇跡である。それともそれを成し遂げてこその職人技なのか。
2階からロビーを見下ろして僕は、背筋に電流が走るのを感じた。あぁ、4人目は彼にしよう。
受け付けで支払いを済ませている茶髪で女連れの僕らと同年代ぐらいの少年。その笑みが最高に僕好みだった。他の候補者のことが頭から吹き飛んだ。
東条逹とは適当に理由をつけてそこで別れた。彼らはこれから何か食べに行くとか言ってた気がするけどそんなことはどうでもよかった。既にスイッチは切り替わっている。いまからは殺す僕の時間だ。
僕は慎重に彼と連れの女の子のあとを尾行した。彼らは段々と大通りから遠ざかっていく。僕は不審に思った。
連続殺人犯が彷徨いているというのになぜ彼らはこんな夜に、堂々と人気のない道を行くのだろうか? もちろん僕にとっては非常に都合がいいのだけど……
一瞬、灯りの下に女のほうがきたとき男の顔を覗き見ていた彼女の顔は僕の目に怪訝そうに映った。行き先を説明されていないのだろうか?
そのまましばらく行くと辿り着いたのは鬱蒼とした林だった。男女は構わず中に入って行く。益々都合がいい。
僕は携帯電話を取り出した。留守電だったので「4人目」と場所の情報だけを淡々とメッセージに吹き込んだ。僕は約束は守る方なのだ。
薄暗い足元に気をつけながら僕は2人と相当に距離を取って歩いた。地表につきだした木の根や均されていない地面はひどく歩き辛い。やがて前を行く2人が足を止めた。
「ねぇ…………の?」
「わ……? …ら………よ」
わずかに聴こえてくる会話に僕は耳を澄ました。木陰に体を隠してスッと目だけを陰から出して様子を伺う。
「ほら、……だよ」
男が女の後ろから遠くを指差して、逆の手で肩を掴んだ。男はそのまま女を後ろに強く引いて踏みとどまろうとする足を軽く蹴った。バランスを崩し仰向けに転がる女。その上に馬乗りになる男。挙がる悲鳴。どこかで鳥が羽ばたく。声の挙げた成果はその程度だった。
さて、そろそろ行こうか。
二重底のバッグを抉じ開けてレインコートを取り出し、フードまで深く被る。安物の手袋をつけて鞘に収まったナイフを引き抜きやわらかな満月の光に翳す。僕の醜悪な笑みが映った。昂る自分を少し鎮める。
僕は木陰から出て半円を描くように動き男の背後のほうへに回り込んだ。足音を殺して少しずつ近づいていくがそんな必要はなさそうだ。男にも女にも僕のことなんか気にかける余裕はないらしい。彼女は待たない。多分足音に注意を払えないからだ。
荒い息遣いか耳に届いて不快だった。さっさと済ましてしまおう。
ザッ 僕は意識して鋭く足音を立てた。男が気づいて振り返ろうとしたけど女の胸元に突っ込んだままの手が振り返ることを阻んでいた。滑稽だ。
僕は男の頸動脈を掠めるようにナイフを振るった。断ち切るとすぐに刃を引く。
ブシュゥゥ!
薄い出口に大量の血液が殺到し、傷が裂ける。手を当てて流れ出るそれを押し止めようとする男がひどく間抜けに映る。
人は死の前に無力だ。足掻け。もっと足掻け。そして死ね。
恍惚に浸りそうになったがまだ早いことを思い出す。今日はまだ1人残っている。
僕は力の抜けた男を真横に蹴り飛ばしておそらくは恐怖と安堵が半々ぐらいの女に向けて微笑んだ。
「あー、勘違いしないで欲しいな」
ナイフを握るのと逆の手で土を掴み口に捩じ込み手を被せて塞いだ。
それから両膝で女の腕を封じるように体重をかけた。
「君も死ぬんだ」
その状態でしばらく噴水みたいに吹き出る血液を眺めて灰島を待っていたら、血が止まり出したころに女が白目を剥きかけていることに気づいた。
涙に伴って出てきた鼻水に鼻腔を塞がれて僕が口を塞いでいるから呼吸ができないらしい。そのまま死なれても興醒めなので仕方無く口から手のひらを接がして手袋を外し、指を突っ込んで土を吐き出させてやった。べっとりと土の混じった唾液がへばりつく。うぇ キモッ。
女は嘔吐に似た音を鳴らして数度、土の残りと空気を吐いたり呑んだり。その姿に僕は生きることの大変さを実感するのだった。
「ごめんごめん、窒息死は表情がきれいじゃないから本意じゃないんだよね」
女は咳き込みながらもやがて呼吸を落ち着けて僕を鋭く睨み付け、……なかった。
「あれ?」
レイプされかけたショックが大きかったのか僕がやり過ぎたのかはわからないが女の目からは完全に光が死んでいた。
僕は殺意が急激に萎えていくのを感じた。
死にたがりを殺すのは趣味じゃない。
僕が殺したいのは非情なまでのいきたがりなのだ。
「ふぁ……」
やばい。あくびまで出てきた。
その辺りでようやくズッズッと誰かが土を踏む音が聴こえて来たので僕はそちらを見た。
「こんばんは。ひどい臭いね」
言葉と裏腹に灰島は笑みを見せた。
「臭い……?」
ああ、言われて初めて噎せかえるような鉄の──血の臭いに気づく。もう慣れてしまっていた。
ま、それはともかくとして。
灰島は夜の闇と同化するように白い肌を黒い服で塗り潰していた。喪服かな? と僕は何気なく思った。
「それが4人目?」
灰島は僕の下敷きになっている女を指差した。人を“それ”呼ばわりするのはよくないことだ。
「いや、それ」
それ扱いするなら死体のほうが適任だろう。
彼女は近づいてあたりに飛び散りまくった血をいとおしそうな目付きで眺める。それから屈み込んで白い指先で死体の頬を撫でた。
「……生暖かい」
そりゃあ作って一時間も立ってない新鮮な品ですから。なんなら刺し(ry
「死ぬ瞬間が見たいならこっちを殺すけど」
というかもう「殺れ!」とでも命令されない限り殺せそうもない気分だった。
だいたい死ぬ前に死んでるやつを殺して何が楽しいのか。だから僕はいじめとかに嫌悪を覚えてしまう。
灰島は僕の言葉に答えずに服に血が付かないように気をつけながら死体を抱き起こして、その頬に舌を這わせた。
ゾクッとした。
悪寒からではなく僕の位置からだと満月を背景にして一枚の絵のように、その姿がひどく美しく映ったからだ。
吸血鬼と古城で踊る麗しき死体愛好家──、そんなイメージが浮かんだ。
「ん……っと、」
我に返って僕は状況の把握に務める。
僕は既に女を殺すことに興味を失くしている。
灰島は僕にも女にも興味を無くしている。
女は生きることに興味を亡くしている。
「あの……逃げる?」
一応、訊ねてみたが返事はなかった。
何らかの反応を見せて生きる気力が沸き上がってくるようなら僕は「ウ・ソ」とか某ニート博士みたいな満面の笑みで気持ちよく女を殺せたんだろうけど完全な無反応だった。
最後に残った殺意の一欠片がそれに吸い込まれて、消えた。
僕は女を解放した。しかし女は動く気配を一切見せなかった。気持ちが死んでる。
ふと血みどろの女の顔を拭ってやろうかと思ったけれど服やら首筋までべっとりなので無意味だと思い直した。僕はもう片方の手袋をナイフと一緒に放って自分の顔についた血を引っ掻く。僕にまとわりついていた男の残滓がポロポロと抵抗なく剥がれ落ちていった。死は絶対だが死者は脆い。
「……それじゃ僕はこれで帰るけど」
返り血に染まったレインコートを脱ぎながら灰島を見る。彼女は死体と僕を交互に見た。
大分迷った末に「私も帰るわ」と名残惜しそうに言った。よし、勝った!(何にだ?)
最後に眼球を一舐めして立ち上がった彼女の前髪を軽く指で鋤いて血を落とす。
「くすぐったいわ」
「我慢しなさい」
捕まるから。
「ねぇ、帰りに何か食べない?」
「別にいいけど……、なんで?」
君、そういうキャラだったっけ?
「お肉が食べたくなったのよ。血の味で」




