[第23話:Diaboli nobis tigris]
「…おいおい、勘弁してくれよ…。」
樫間はそう言うと両手を下ろして俯いた。
全身脱力したように立ち尽くすその姿に、樫間は何かを諦めたようにも見えた。
…そんなことはなかった。
(…えっ…。)
迅雷寺がその違和感に気がついた。
(…距離が…詰められない…いや…。)
樫間はすぐ目の前にいる。
その"雷虎徹"を振れば、樫間に攻撃できる。
その筈なのに…。
(…動きが…遅くなって…。)
迅雷寺は攻撃を続けている。
樫間に振るために、刀に力を加えているにも関わらず、その速度が上がらない。
すると突然、迅雷寺の周囲の景色が白黒になった。
「…"白黒境界"」
樫間はそう呟くと、迅雷寺を嘲笑う顔で見下ろした。
「…特定の領域に入り込んだ瞬間、対象の速度を"1/10000倍"にする。
特定の領域…つまり、"悪魔の双剣"の攻撃領域に入った瞬間、相手は失速する。」
すると樫間は"悪魔の双剣"を納刀して、右手を上に突き上げ指を鳴らした。
その瞬間、迅雷寺の目の前から樫間の姿が消えた。
「…"白光閃速"」
その声は、迅雷寺の背後から聞こえた。
「…対象の速度を"10000倍"速くする。」
樫間がそう言った時には、迅雷寺は樫間の蹴りを食らって吹き飛ばされていた。
「…"悪魔の双剣"の持つ"白"と"黒"は、"速さ"と"遅さ"。
つまり、"アスモレウス"の能力は、"速度変化"なのさ。」
樫間は驚異的な力を手にしていた。
樫間がそういった時、彼の立つすぐ横を突風と共に何かが飛んでいった。
「…あっ…ごっめん、紘紀くん。邪魔しちゃった?」
樫間が視線の先を見ると、少し離れた先に東雲が立っていた。
樫間の背後には、衝撃による砂煙の中で古織がゆっくりと立ち上がっていた。
「…いや?問題ない。」
樫間はそう言われて少し背後に目を向けると、笑みを浮かべながら東雲にそう答えた。
すると、樫間と東雲の上空から無数の黒い何かが降ってきた。
「…危ないっ!!!」
東雲はそう叫ぶと、"物体操作"の能力で周囲のありとあらゆる物を寄せ集めながら樫間に接近した。
そして2人の上部に盾を作った。
それは見事に、2人を襲う"黒い雨"から2人を守った。
「…すまない東雲。
だが、俺の"速度変化"でどうにでもなる。心配するな。」
樫間はそう東雲に言った。
「…でも…。」
東雲は心配そうに樫間を見ていた。
「…大丈夫。俺は負けない。俺を守るのが君の使命じゃない。
君を守るのが、俺の使命だ。」
樫間のその言葉に、東雲は驚いた表情を見せて次第に頬を赤らめた。
その東雲を他所に樫間は鋭い視線を向けていた。
その視線の先にいたのは、出血する右肩を押さえながら"矢多鴉"を樫間に向けるリズの姿であった。
樫間と東雲を襲撃したのは、彼の矢であった。
「…まだ息があったか。」
樫間は仕留めたはずの相手が目の前に立っていることに、驚きはせず寧ろ感心していた。
「…仮にも…元"特殊部隊"だからな。
ちょっとやそっとじゃ、死にはしない。」
リズはそう言うと、右肩を下ろして強く傷口を押さえた。
「…そうか。…じゃあ殺してやるよ。」
樫間がそう呟いた時には、その姿はリズの正面にあった。
そして、"悪魔の双剣"をリズの左肩と右腹部に突き刺した。
「…ぐっ…!」
リズは吐血した。樫間に容赦は無かった。
3箇所も刺されたリズは、流石にどう見ても限界であった。
「…力の差を、思い知ったか?」
樫間はリズに冷たい視線を送りながら、そう言った。
「…それは…どうかな…?」
すると、樫間は背後から再び気配を感じた。
先程襲撃してきたものと同じ矢が無数に、まるでオートロックミサイルのように真っ直ぐ樫間を狙って飛んできた。
「…ふっ…"白黒…。」
樫間は再び"白黒境界"を発動しようとしたが、それを辞めた。
「…どうした?…俺の攻撃…遅らせてみろよ…。」
リズはわざと樫間を挑発した。彼は何かを企んでいた。
(…ここで"白黒境界"を発動すれば…こいつの出血速度やダメージ速度も落ちる…。)
樫間は軽く悔しがり、舌打ちをして目の前のリズを睨んだ。
するとその瞬間、リズは素早く刀を持つ樫間の両手を強く掴んだ。
「…逃さねぇよ…。」
リズに両手を掴まれて回避することができない樫間は、ここで初めて渋い顔をした。
(…こいつ…。)
その瞬間、リズの身体を何かが高速で巻き込んで吹き飛ばした。
樫間の背後から迫る無数の矢は、同時に飛んできた物体によって防がれた。
その攻撃の正体は、東雲の"物体操作"である。
「…全く、言わんこっちゃない…。」
東雲は呆れた表情で樫間にそう言った。
「…すまない。」
樫間は情けない声で東雲にそう謝った。
「…はぁ。そう言う時は、『ありがとう』でしょ?私、人に謝られるの嫌いなの。
…自分が、たくさん人に謝ってきたから…。」
東雲は意味深な言葉を残してそう言った。
すると樫間は、スッと東雲の横につき、彼女の頭に左手を置いて言った。
「…ありがとう。東雲。」
東雲が驚いて振り向いた時、樫間の姿はもうそこには無かった。
「…"桂流…裏式:虎牙"。」
その声と共に、戦場に地響きがする程の雷が落ちた。
地面を伝って流れてくる電流は、リズや東雲も感じ取っていた。
「…遂に…"姫様"が…ブチギレたか…。」
リズはボロボロの状態で地面に転がりながら、そう呟いて意識を失った。
「…くっ…何これ…痺れて…。」
東雲はその電撃を食いながらも、必死に立っていた。
黄金に輝く雷の虎の鎧を全身に纏った迅雷寺が、落雷の元に立っていた。
そこを目掛けて、樫間が高速で接近する。
「…"|Tigris Venandi"と行こうか。」
樫間は翼のように両手を広げて、左右の手で"悪魔の双剣"を握りしめた。




