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月姫と花騎士  作者: 蒼井ふうろ
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姫と騎士との休日論争

 オフスダール王国民で職に就く者には週二日の休みが義務付けられている。雇用者は七日のうち二日の休みが取れないような仕事内容を労働者に行わせてはならず、労働者もまた自らの力量を大きく超えた仕事を請け負ってはいけない。それはできる限り多くの人間に仕事をさせることで経済を回そうとする施策の一つであり、先代の王―つまりルーシェリアの祖父にあたる人物―が過剰な労働を強いた際に自殺者が増加したことへの対策の一つでもあった。この休日の義務化はどの職業にも適応されるため、王宮勤めであろうが町の露天商であろうが一切の関係なく週に二日の休みを得るのだ。そのうえ同一職が同一の曜日に休日を取ってしまっては具合が悪いので、隣接する地域等で休みが被らないように微妙に調整も入れている。先代の統治を知る老人からは「自分たちが働いていたころはそんな怠けるようなことは許されなかった」という意見が出たりもするが、その他の改革に比べれば概ねうまく回っているほうだろう。ルーシェリアに言わせればそれは「何を改革しても文句を言う人は言うのだから、将来自分についてくる若者が文句を言わない改革を行うほうが楽じゃないか」とのことである。そんなことを言いながらも老人たちへのフォローだと言って生活を改善してやるのだから、本当に施政者には向いている人間だなあとオリヴィアは思ったものだ。


 さて、職を持つ者全員に適応されるということでオリヴィアにも週に二回の休みが義務付けられている。毎週水曜日と日曜日。その二日がオリヴィアの休日であった。


 しかしながら彼女は恐れ多くもオフスダール王国唯一の王位継承者、ルーシェリア・オフスダールの護衛である。代役を立ててその間に姫君に何かあれば大問題だ。そのリスクが分かっているものだから、当初彼女の休日のために代理の護衛を立てたいと近衛兵たちに通達したときの驚愕と言ったら尋常ではなかった。



「自分には近衛長の代わりは務まりません! 姫君のお世話も併せてだなんて、恐れ多くてとてもとても……」



 これは女性の近衛兵の中で最も腕っぷしの強い者に声をかけた時の返答である。自分の数倍の大きさをした魔物相手でも怯まず立ち向かう彼女であっても、ルーシェリアの世話には足が竦むらしい。力が強い分、彼女の手先が不器用だということも多分に影響していたとは思うが。



「いや、自分じゃ何かあった時に戦いきれないので……」



 目をそらしながらこう返したのは女かと見紛う美しさでルーシェリアが気に入っていた華やかな面立ちの騎士であった。確かに見目麗しくルーシェリアと並べば絵になるだろうが、先のような強大な魔物の襲撃があった場合勝てる確証はない。強くはあるが一級品というほどではない、実力は平凡な男なのである。


 結局オリヴィアが直談判したのは現王、エドワード・オフスダールであった。娘のルーシェリアと同じような色素の薄い容姿をした王は「それなら一人だけ、私個人が持つ伝手がある」と仰った。昔からの付き合いもあり、娘を預けるにおいて腕っぷしにも人柄にも信頼のおける男だからと言われればオリヴィアにも不安はあるまい。ことルーシェリアについては若干過保護のきらいがあるエドワード王がそこまで言うのだからと手はずを整えてもらい、代理の騎士に会った時の衝撃は今でもオリヴィアの脳裏に焼き付いている。




 ルーシェリアの眼前で片膝をつき、忠誠を誓う言葉を紡いでいるのはオリヴィアの剣の師であった。




「お、お師匠様!」


 誓いの儀が終わってルーシェリアが退室したのち、オリヴィアは興奮に耐えかねて師の元へ駆けた。名をガルディ、齢四十を迎えた彼はオリヴィアの姿を見ると無表情の中に僅かな表情を浮かべる。おや、と思う間もなく無表情に戻ったガルディは「オリヴィア、息災だったか」と言葉少なに聞いた。


 聞けばガルディは昔、オリヴィアの父であるトマス繋がりでエドワード王と知り合ったらしい。あちこちを放浪しながら傭兵として生計を立てていたところ、エドワード王から依頼があったのでオフスダールにきたのだという。



「お前の代わりがこの老いぼれに務まるかは分からんがな。どれ、俺に詳しい勤務内容を教えてくれ、先輩」

「よしてくださいお師匠様、お師匠様にそんな言葉づかいをされては私の立つ瀬がありません!」



 ほんの冗句だと言ったガルディはそのままオリヴィアの頭を、ともすれば乱暴なくらいの力でがしがしと撫でる。長くウェーブがかった髪がその勢いに任せて揺れた。その昔、幼かったオリヴィアが努力の末に師の教えを動きに反映できたとき、こうしてガルディは頭を撫でてくれた。このほんの少し粗雑なご褒美が幼少期のオリヴィアは大好きだったのだ。



「姫の護衛騎士として数多の敵を打ち倒したと聞く。……いい女になったな、オリヴィア」



 自身の髪で遮られた視界の向こうでガルディがそう言葉を落とす。寡黙な彼が言葉にして自分を褒めてくれることが誇らしくもあり、どこか気恥ずかしかった。



「俺はお前の師ではあるが、これからは同僚となる。共に責務を果たすべく精進するぞ」



 顔を上げて見上げたガルディは、オリヴィアが見たこともないほど柔らかく笑っていた。




 あれはオリヴィアがルーシェリアの護衛騎士になって一年目のことだから、もう二年も前のことである。ガルディとオリヴィアの二人による姫君の護衛は未だ破られたこともなく、安泰そのものだった。もっとも、週休二日制度を義務化した張本人であるルーシェリア自身はこのような事象になる可能性を考慮していなかったらしく、お気に入りの騎士が毎日自分の近くにいないということに不満を漏らしていたのだけれど。賢王アレクサンドル・オフスダールの再来と名高い彼女にしては珍しく、想像力の欠如していた差配であったことは間違いない。オリヴィアは未だにこの案件ではルーシェリアをからかい続けている。







§2 姫と騎士との休日論争







「納得がいかないよ」



 豪奢な自室のベッドの上、室内用の比較的ラフな印象を与えるドレスをまとったルーシェリアは不満を隠そうともせずに短く言った。



「聞いているかい、オリヴィア!」

「聞いてるわよ。何に対してか知らないけど、納得できない事象があって残念だったわね」

「聞いてないじゃないか!」



 眉根を寄せていかにも不満げな顔をしているが、元がいいからかそこまで凄みのある顔にはなっていない。オリヴィアは顔面偏差値の高い自らの主君かつ恋人に目線をやった。室内用のドレスを纏った彼女はいつもほど重厚な雰囲気を纏っていないため、見方によってはいいところのお嬢さんくらいに見える。もちろんこの国の人間であれば彼女の“月の姫”と呼ばれる容姿を知っているから、服装を変えるくらいではすぐにルーシェリアだと分かるだろうが。



「恋人がこんなにも嘆いているのに、どうしたのって一言もかけてくれないのかい?」

「恋人がこんなにも面倒そうなのに、どうしてあんたは一言余計に言っちゃうの?」



 皮肉に皮肉を返す。今日のオリヴィアは忙しいのだ。


 今日は日曜日、オリヴィアに与えられる休みの日である。常に国民の前ではルーシェリアの護衛騎士らしく振舞っている彼女であるが、それでもまだ十六歳の少女なのだ。休みなら服や化粧品の一つでも見て回りたいし、同僚たちから伝え聞く流行りの菓子なども食べに行きたい。出発の時間を遅らせて朝からルーシェリアの相手をしているのは、一日一緒にいられないことへのオリヴィアなりのサービスである。


 どうせ彼女の不満の原因はわかりきっているのだ。休日の義務化が決まった時に、“オリヴィアが休みの日に外出するなら自分も連れて行ってほしい”という願いがエドワード王に却下されたからである。曰く「せっかくの休みに守るべきルーシェリアが近くにいたんじゃ、オリヴィアだって気が休まらないだろう?」と。まったくもってその通りであるため、オリヴィアも特に口は挟まなかった。ルーシェリアはそれから数年がたつ今も、毎週水曜日と日曜日にこうして駄々をこねる。オリヴィアも本当に面倒な時は一切ルーシェリアのいそうなところに近寄らないので、有体に言えば一種の楽しみとしてこれを見に部屋を訪れているといっても過言ではないのだが。



「失礼致します、ルーシェリア王女殿下。護衛騎士ガルディ、到着いたしました」



 こんこんこん、と軽い調子で部屋の戸がノックされる。向こう側からはガルディの声もしていた。


 タイムリミット。このとんだ猫かぶりのお姫様はオリヴィア以外の前では慈愛に満ちた聡明な月の姫で通っている。ガルディの前で駄々なんてこねられるはずがない。オリヴィアは勝ち誇った顔でルーシェリアを見やる。我儘言えるもんなら言ってみなさいよ、と書いてあるかのような表情にルーシェリアは自分の中で何かがぷつりと切れた音がした。


 すうーっ。ルーシェリアが長く息を吸う。突然の行為にオリヴィアは少々気味悪さを感じて「ルーチェ?」と声をかけた。この姫が突拍子もないことをするのはいつものことだが、その突拍子もないことの結果としてオリヴィアが割を食うのもいつものことなのだ。



「……――酷いわ、オリヴィア! わたしだって人並みに女の子としての楽しみを味わってみたい気持ちだってあります!」



 先ほど吸った息をすべて吐き切ったのではないだろうか。そんな考えが浮かぶほど大きな声だった。言うが早いかルーシェリアは扉のほうに体を向けて顔を覆いうずくまる。すぐさま「失礼」という短い声のあとに扉が開け放たれ、ガルディや他の近衛兵が数名入ってきた。


 オリヴィアは信じられないものを見るような顔でルーシェリアを見る。長い黒髪で正面からは表情が見えないだろうが、ルーシェリアの立ち位置が変わったことによってちょうど直角の位置にいるオリヴィアには彼女の顔がよく見えた。得意げな顔、では可愛すぎる。してやったりと言わんばかりの顔、という表現でもまだ上品だ。ざまあみろ、というのが一番近しいかもしれない。少なくとも一国の姫が浮かべていいような表情ではない。それがオリヴィアの貧相な言語力でも表せる限界だった。人によっては悪魔のような笑みと評するかもしれない。


 第三者がいる場で素を出せないのはルーシェリアだけではない。仕事中には“花の騎士”として通っているオリヴィアとて同じことだ。ルーシェリアが皮をかぶったままこの論争を続けることを選んだ時点で、オリヴィアにも同一の選択肢しか残されていない。



「姫、どうかご理解を。わたくしとて遊びに行くわけではございません。明日からもまたしっかりと姫をお守りするために心身の緊張状態を解く必要があるのです」



 丁寧な言葉で装飾しているが、要は「あんたといると休みなのに気が休まらないわよ」ということである。しかし、エドワード王の言葉があるため特段不敬にもあたるまい。そういう心身の負担を軽減するための休暇制度なのだから、それを妨害することはルーシェリアの立場であってもよろしいものではない。ただこの姫君には隠し玉があった。


 ぽろりと、凪いだ海から吐き出されるように雫が零れる。



「ひ……ひめ、ぎみ……?」



 ひきつったような声が近衛兵から漏れた。雫はルーシェリアの頬を伝っては床へ零れ落ちていく。音もなく涙を流し続けるルーシェリアにオリヴィア以外の全員が硬直していた。



「どうして?」



 絞り出すような細い声でルーシェリアは呟く。その声は彼女の声を聴いたことがない者であっても胸を掻き毟られる痛みを感じそうなほど、痛ましい響きを帯びていた。うまく飛び立つことができず地面に叩きつけられた小鳥のようないじらしさを感じさせるその声は、周りの人間の意識をくぎ付けにするに十分すぎた。


 ただ一人、オリヴィアだけは悟られぬように口の内側を噛みしめる。



「一国の姫として、このような我儘を口にすることそのものが不相応なのだとわたしとて分かっています……。けれど、けれど! ではどうしてわたしは他の子のように普通の楽しみを味わってはいけないの? どうして守られてばかりで自分のやってみたいことをできないまま過ごさなければ……どうして……」



 そこまで言うとルーシェリアは再び顔を膝と膝の間に埋めるようにして泣き声を上げ始めた。女性の涙を流す様子を注視するわけにもいかず、ガルディや近衛兵たちの視線がうろうろとさまよう。そうして、オリヴィアのもとに全員の視線が止まった。



「……オリヴィア近衛兵長、後日振替休日を申請するのはいかがでしょう」



 最初に口火を切ったのはやはりガルディである。ルーシェリアとオリヴィアの意見の折衝を図った意見だった。ただし彼も多分に空気にのまれているため、実際のところは九対一の割合でルーシェリアの意見が通っているが。



「オリヴィア、お願いよ……これっきりにするから……」



 反対しようとするよりも早く、しおらしそうな声でルーシェリアが退路を塞ぐ。「何がこれっきりだ!」と叫びたいところではあるが、そんなことをしようものならオリヴィアの責任を問われることはわかりきっている。


 年齢不相応の落ち着きを持つ姫であってもまだやはり十二歳の子供なのだ。同じ年頃の子供のように出かけたいと思ったとしても何の不思議もあるまい。しかし彼女はオフスダール唯一の王位継承者、みすみす危険にさらすようなことがあってはならない。目の前にはちょうど今日非番の護衛騎士。“月の姫”のたまの我儘を受け入れたとて罰は当たらないだろう。


 ルーシェリアの“素”を知らない人間からすれば彼女の様子をそのようにとらえるのは至極当然のことであった。


 つまり、この部屋に第三者が入った時点で、オリヴィアの演技力と語彙力ではルーシェリアの作ったフィールドで戦うことは不可能となっていたのだ。性悪が、と思わず口の中だけで吐き捨てる。こうなることを見越していたのであればこいつは姫君よりも役者に向いているに違いなかった。



「オリヴィアぁ……」



 甘えたような声で言うと、立ち上がり、他の人間には表情が見えないようにオリヴィアの胸元に顔をうずめて頭を横に振る。そうしてそのままの状態でじろり、とオリヴィアを睨み上げた。彼女にしか見えない射貫くような視線で、口元だけが小さく動く。



『つ れ て け』



 がっくり。そんな効果音はまさしく今のオリヴィアのためにあったに違いない。いかにオリヴィアが十六歳にしてオフスダール近衛兵長の名を冠し、力では敵うものがいなかろうと。知力のルーシェリアに勝つことはまだまだ無謀な挑戦である。



「……困ったお姫様ですね」



 そんな風に口を開けばルーシェリアの顔はたいそう嬉しそうな表情に変わった。年相応、先ほどまでの不気味なまでに落ち着き払った表情よりはよっぽど十二歳の少女が浮かべそうな笑顔である。事実、要望が通ったことを喜んではいるのだろうが。



「ただし姫、一点ばかりこちらの要求も呑んでいただけますか。姫君はいつもの視察として城下に下りられるわけではなく、“他の子のように”遊ぶことを目的としておられるわけですから、ある程度はわたくしの守りやすさも念頭においてくださると助かるのですが」



 早速うきうきとし始めたルーシェリアにくぎを刺すように言う。少々眉間にしわを寄せたものの、「まあ、わたくしの我儘を聞いてくださるのですから、ある程度までは……」と返してきた。ガルディだけはオリヴィアの物言いに疑問を感じたらしく、「どういうことです、オリヴィア近衛兵長」と問うてくる。



「簡単な話です。視察の際には周囲の人間の目がありますから姫に害をなそうとする愚か者もそう多くは向かってきません。向かってくるとしてもわたくしと周囲の人間で囲めば負けることはありませんので。ただ、姫が視察ではない状態で街に下りるとすれば、突然姫君を“普通の子ども”扱いしろと言われた国民たちも混乱するでしょうし、その混乱に乗じて曲者が現れないとも限りません」



 どちらかといえば曲者が現れることよりも国民たちが混乱するほうが面倒くさい。ルーシェリアは隠せると思っているかもしれないが、彼女はもともと育ちが良すぎる。服装や見た目でごまかせても所作や話し方一つで簡単に彼女がルーシェリア・オフスダール王女であるということは知れてしまうだろう。そうなれば国民たちはこぞってもてなしをしようとする。悪意や下心があるわけではなく、彼らは本当にルーシェリアを慕っているのだ。


 しかしながらそれはオリヴィアの過ごしたい休日ではない。花の騎士として扱われることそのものが嫌なわけではないが、四六時中そんな扱いを受けていても息が詰まる。もともとオリヴィア自身は高貴な生まれということもないため、彼女だけならばそこまで大々的に扱われることはないし、よく行く店の店主くらいなら町娘と変わらないくらいの気軽さで接してくれる。そこにルーシェリアが一人加わると、一気にお祭りのような大仰なテンションになってしまうことは目に見えていた。


 ですから、と軽く一呼吸おいてにっこりと微笑む。






「変装いたしましょう、姫。大丈夫ですよ、わたくしはこう見えて有能な貴女の騎士で御座いますから」






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