1・秋風と出逢いと
「佐久間君…?」
落ち葉が目立ち始めた十月の日曜日、公園で俺の苗字を呼んだ女性…。
俺の事を知っているという事は、俺は以前どこかで彼女に逢ったはずだ。瞬間的にそんな事を感じ俺は、手元のサッカーボールを撫でながら記憶の網を次々引いてみた。
しかし該当する記憶はいつまで経っても捕まらない。俺は改めて彼女を観察してみる。
髪は変な言い方だが長めのショートカット。真っ黒い髪に反比例するかのように、肌はやたら白かった。長いまつげ、眼はぱっちりしている。ぶかぶかのベージュ色のコート。
手に持っているでかいのはスケッチブックだろうか?あの大きさ、赤ん坊ぐらいなら後ろに隠れる事が可能だろうな、などとつまらない事を考えてみる。
「佐久間 遼平君…だよね?久しぶり」
ベンチに座る俺にやんわりとした笑顔を上から投げかける。やはり逢った事があるらしい。
「えーと…」
今寒いのは北風のせいではないだろう。俺は微妙な笑顔で尋ねた。
「どちらさまでしたっけ?」
数秒の間。
「おやおや、やっぱり忘れられちゃってた?残念だな~」
彼女は溜息をつきながら、肩をすくめておどけたポーズをとった。
「私はね、春野 朋香」
春野 朋香?
俺の頭で記憶の網が引っかかる。こんどの引きはかなり強い。そして苦労の末、俺はそれを引き上げる事に成功した。
「春野さん…?同じクラスの………?」
「ぴんぽん♪」
彼女は嬉しそうに人差し指をくるくる回す。このように、この娘の正体は発覚した。
しかし、俺の困惑度はますます増加する。彼女からこんなふうに話しかけられるなんて考えてもみなかったのだ。
「久しぶりね」
その春野 朋香本人は、俺のそんな迷子のクラゲのような思いを無視し、自分の言葉を繋いで行く。
「散歩?」
「ん、まぁ…そんなもんかな?」
彼女の問に俺は霞んだ綿菓子のように答えた。
「ふうん…」
彼女は不思議そうに首を傾げる。と、突然何を思ったのか俺が座っているベンチに手を伸ばす。
がさがさぱっぱ。
どうやら溜まった落ち葉を払っているらしかった。
「よっこいしょ」
そう親父っぽく呟いて彼女は俺の左隣へ腰掛けた。持っていたスケッチブックを膝の上に立てる。
やたら厚い表紙にアルファベットで『なんたらかんたらクロッキー』と書いてある。俺の御粗末な英語能力では『クロッキー』の部分だけしか分からなかったのだ。
そんな俺の英文読解など知りもしない彼女は、表紙とは正反対な薄いページをパラパラとめくる。そこに描かれた静物や風景が嫌でも俺の眼を惹く。
彼女は何も描かれていない白いページを開くと、コートのポケットから先の丸い鉛筆を三本出した。同時に消しゴムが零れ落ち地面で跳ねる。彼女はあっ、と小さく声を上げそれに手を伸ばした。
俺はしばらくサッカーボールをてんてんと突きながら、足されてゆく鉛筆の線を見ていた。大まかな風景のパースから滑り台がぼんやりと姿を現す。こういうときは話し掛けない方が良いのだろうか?
しかし俺の隣にわざわざ座った、という事は会話を期待しての事なのか?他にも空いているベンチはある。もしや、彼女のいつもの特等席にたまたま俺が座していたのか?多数の考えが交錯する。
そして、俺はゆっくり腰を上げた。
「あれ?…帰るの?」
ほとんど同時に彼女が顔を上げる。先程まで忙しなく動いていた手が止まっている。
「うん」
ボールを脇に抱え、自分でも分かるほどつまらない返事を返す。
「じゃ…」
申し訳程度に手を上げると彼女もそれに応える。
何か言いたそうな眼だ、と感じたが一度上げた腰を再び下ろすのも気がひける。意味も無く足音を殺し公園の出口へ向かう。
振り返るのも気恥ずかしいと思い、俺はそのまま帰路についた。
春野 朋香。
(思い出せないはずだ…)
提出期限が明日の課題を放り出し床についた俺は、瞼の裏で今日の事を回想してみる。
学校で見ていた彼女とはまるで違う。
俺と同じクラスの女子。今まで彼女と話した事なんてなかった。そもそも、彼女が人と話すのを見たことがない。
脳裏に浮かんだのは、窓際で独りセピア色に見える姿。授業中も休み時間も昼飯のときもそうやって、ぽけ~っと窓の外ばかり見ていて…。『何を考えてるのかわからない女』…、そんなふうに俺は思っていた。
そして、そんな事を考えている自分に驚いた。
クラスメイトの顔や名前など、男女関係無くほとんど記憶していない俺が、何故彼女『春野 朋香』を憶えていたのか。
しかし思い当たる点がすぐ浮上する。
目立たないようにしようとし、その様子が逆に目立ってしまう…そんな娘だったという点。これは少なくとも俺の中では、の話だが…。
―――そして、もう一つ…気になっていた事があった。
彼女が二学期から学校に来なくなったという点だ…――。




